2007年03月31日(土曜日)
【HR】 ちょうど半分
ぼんやりとした曇り空。今日は一日オフ。でも、夜はゲラくらいを少し見ようと思っている。
昨日、ついに例の銀行から書留が届いた。結局、「貴殿のご依頼のとおり手続きを省略して進めることになりました」と書かれていた。どう考えてもこちらの主張が正しいので、受け入れざるをえなかったのだろう。理屈を捏ねた甲斐はあった。「省略」ではなく「無駄を廃して」が本当だが。
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朝から、9台めのアンプの組立て作業を始めた。昨夜も3時間くらいやったので、その続き。シャーシに部品を取り付けるが、だんだん重くなるので、腕が痛くなってくる。午後からは、ハンダづけで配線ができるようになった。2カ月まえに注文したスピーカユニットが来週くらい来そうなので、それに合わせて完成させたい。アンプ組立ては、11号機でしばらくお休みする予定。暖かくなってきたから庭園鉄道が忙しくなるため。
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新機関車は初運転を目指して、あちこち微調整中。もういつでも走らせられる状態にはなっている。まだ、後ろにつく給水車ができていないけれど、これはほかの機関車のもので代用して試験をするつもり。
パスカルは注射が迫っているので、今夜シャワーで洗ってやった。これから、ノミやダニに気をつけないといけない季節になる。
スバル氏と少し遠くのホームセンタとスーパへ出かけた。彼女は植木鉢を5つ購入。僕は機関車の水タンクにするためタッパを買った。
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今日で、このMLAを始めて1年半になる。本でいうと6冊め。つまり、予定のちょうど半分である。かつて公開していた日記は、1日に何回も少しずつ書いてアップしていたけれど、今は1日に1回まとめて書く。バックアップをしてくれる人もいるし、労力的にはずっと楽だ。1日に30分ほどの時間しか費やしていない。
こんなことを書こう、と思いついたことをメモすることもなく、ネタのストックは常にゼロ。書くときに思いついたものを素直に書いている。データを調べて確認することがたまにある程度。でも、基本的にエッセィなので、森博嗣はこんなふうに今日は考えた、という具合に受け止めてもらえば良い。次の日には、全然違うことを考えているかも。そういった矛盾はごく普通のことだ。そうして捏ね回すうちに、矛盾のない主義や思想が築かれる。
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若い頃に比べると、ネットの存在もあるけれど、外部へ出ていく機会がとにかく減った。これは、精神世界においても同傾向だ。僕くらいの歳になれば自分の内側に沢山のデータが既に集まっている。外で発見されるものよりも内で発見されるものの方が多くなる。たとえば、これから死ぬまで家から一歩も出ない生活を強いられても、たぶん可能だと思う。わりと楽しく生きられるだろう。外部に存在する見たいもの、触りたいものを、ほとんど経験した、ということかもしれない。とりあえず、自分の中に取り入れたけれど、その処理が残っている、という意味だ。
みんな、ビデオを撮ったり、写真を撮ったりする。デジタルになったから、以前よりは手軽にどんどん取り込める。ただ、それらをじっくりと見て感じる時間が、現代人には欠けているだろう。取り込む作業だけに明け暮れる人生になるのでは? たとえば、海外旅行にいったとき、カメラを持っていかないだけで、ずいぶん沢山感じられるだろう。
【体育】 自由形
どんな泳ぎ方をしても良いから一番速い人が勝ち、というルールが、世界一泳ぎが速い人を決めるものだと思う。しかし実際には、スポーツ競技には、いろいろな制約があるようだ。たとえば、身に着けるものが限られている。足にフィンなどを着けて泳いだら速くなるけれど、それはルール違反だ。
「世界最速の男」と言われている人も、それは、ドーピングをしない、という制限下での話だ。なにをしても良い、という無制限のルールではない。もちろん、無制限にすると、「ではホットロッドに乗った人でも良いのか」という話になる。「これは車ではない。靴だ」と主張してもきっと駄目なのだろう。
あるいは、長さが90mのロッドアンテナがついた帽子を被っていると、10m走るだけでゴールできるが、これもきっと駄目なんだろう。こんなふうに頭を使って工夫をする方がむしろ面白いように思われるし、人間味溢れる競技になるものと予想されるが、スポーツとはもっと動物的なものらしい。
実際の社会は、法律などの最低限のルールはあるものの、スポーツよりは制約が少ない。頭を使って、これまでにない戦略をあみ出した者が少ない力、少ない労力で勝てるチャンスがある。窮屈なスポーツマン精神にのっとらなくても良く、非常に自由である。
2007年03月30日(金曜日)
【HR】 本棚がない
朝、雷が鳴って、パスカルが吠えていた。8時に起きたときには、すっかり晴れていたので、水やりの必要がなかった。パスカルは膨らんでいた。外で水浴びをしたらしい。
まず、小説を書いた。10000文字を書いて、「ゾラ・一撃・さようなら」を114%で書き終わった。終わり。集英社へ即メールで発送。一瞬でこれを忘れて、見なければならないゲラに明日から3日ほどかける予定。
幻冬舎コミックスのI藤社長が来宅。皇なつき氏の「黒猫の三角」用の新しいカバーイラストを見せてもらった。
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午後は、音楽を聴きながら、書斎でのんびりコーヒーを飲んで、届いた洋雑誌を読んだ。それから、古いアンプを開けて、回路図をざっと作った。幸い、左右チャンネルでアンプ自体が完全に独立しているタイプなので、配線は見やすかった。危なそうな箇所を見繕い、ネットで部品の注文をしておく。
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僕は本棚というものを持っていないので、本はすべて床に平積みにしている。まえにも書いたが、自著が発行されて見本が届いたら、箱に入ったそのままを倉庫に積み上げてしまう。だから、ときどきお客さんから「あの本がほしい」と言われても、それを探し出すことが困難だ。つい最近出たばかりの新刊でさえ見つけることができない。
玄関の近くにでも「ご自由にお持ち帰り下さい」という棚を作って本を置いておけば、少し家の中のものが減らせるのではないか、と思う。自著以外にも沢山の新刊が届くから、もしかしたら、喜んでもらってくれる人がいるかもしれない。でも、その置き場所が僕にはもったいない。
本棚もそうなのだ。模型雑誌は古いものを探すことがあるから、本棚に入れたら便利だろう。普通の小説の場合は、そんなもので壁が占領されることがもうもったいない、と考えてしまう。
書物というのは、歴史的に見ると、かび臭い汚いものだった。図書館の雰囲気がそうだが、いわば、工場や工作室みたいなほこりっぽい仕事場である。本棚という家具には例外なく戸がつけられたのもそのためだった。食事をする場所や、リビングには本棚を置かれない、というのが歴史的なインテリアである。
近頃になって、リビングにも好きなものを自由に飾ってみよう、という人が現れ、また、普通の住宅らしくない雰囲気の面白さを出すために、書棚がリビングのインテリアとして進出した。これは、アンプや無線機が並んでいたり、ガンダムや模型が並んでいたりするのと、同レベルだろう。
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ただし、本の背だけを見せるような並べ方は、いかにも図書館的な合理主義ではあるけれど、飾るという意味からは少々外れているように思われる。どうせならば、もっと表紙が見えるように飾った方が良いのでは。
【社会】 防災
関東大震災は、その何十年もまえから、このくらいの規模の地震が数十年のうちに起こる、と予想されていた。しかも、そうなった場合には、水道が使えなくなって火災が広がり、何十万人もの死者が出る、というシミュレーションもされていた。この予測はもちろん問題になった。大衆を不安にさせるもので「けしからん」というふうにも扱われたようである。
地震がいつ起こるのか、という予測は非常に難しく、「数十年」という地球的に見れば「一瞬」の単位を、これ以上精度を上げて予知することは困難かもしれない。ただ、地震が起きた場合にどうなるのか、どの程度の被害がどこで起こるのか、ということは計算することができる。
一般の人の多くは、「家が壊れて、その下敷きになる」という不安を抱いているだろう。古い家はたしかに危ない。安全な家か危険な家かは、専門家が見ればわかる。地盤によって揺れ方が異なるので、そういった「運」はある程度あるものの、少なくとも、ここにいれば命を落とすことはない、という場所は確実にわかる。
地震時に人の命を奪う最大の要因は、火災である。建物の崩壊によって人命が失われた例は、最近の日本では極めて少ない。
どんな被害が出るか予測されているのに、実際に被害が出るのはどうしてなんだ、と疑問に思われるかもしれないが、その答は、わかっている「対策を打っていなかった」からである。予想だにしない事態が起きる可能性はまずない。
2007年03月29日(木曜日)
【HR】 ようやく一息
昨晩は疲れて早めに寝たので、今朝は6時半に起きた。午前中は曇。でも午後は晴天で気温は20度。桜が麓では咲いているけれど、庭園内の桜はまだ。
早朝から小説を書いて、2時間で10000文字進んで、完成度は104%まで。明日終わる見込み。結局、17日間かかった。予定よりは早い。「イナイ×イナイ」のゲラも最後まで読んだ。あと、2つゲラが待っているので、それは明日から。
しかし、ちょっと一息つける。4月は、「クレィドゥ・ザ・スカイ」の手直しが一番大きな仕事(2週間)。このほか、「日経パソコン」連載4回分の執筆(3日間)と「子供の科学」から依頼されているエッセィ(1日)、あと、短編の執筆(1週間)やゲラ(合計1週間)が幾つかあるくらい。まあ、仕事はもちろん毎日あるけれど、気を遣うものが少ないので、楽だと思う。11月から3月までは、長編3作の執筆を中心にいろいろ重なって大変だったから、やっと少しのんびりできる。
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スバル氏とスーパへ行き、名古屋の味噌とスパゲッティソースを大量に買って、妹の家へ送った。昨日、そういう約束をしたから。段ボールもスーパにあったもので、ぴったりいっぱいになった。あまりにぴったりだったので、気持ちが良かった。
水やりもした。どんどん緑が広がっている。今日だけで、葉っぱを出した樹がいくつかある。パスカルはすぐにぼかぼかになる(名古屋では、「ぽかぽか」の強調形容)。池のメダカは大きくなっている。昼寝もした。ガレージが暖かい。
機関車は仕上げ工作。ほとんど完成に近い。来週には試運転ができるかも。ただ、給水車をまだ作っていないので、臨時で水タンクをどこかに取り付けて試運転をするか、ほかの機関車の給水車を借りなければならない。はたしてトラブルなく走るだろうか。70%くらいは、なんらかのトラブルが起こるだろうと予測。今月の機関車製作部のレポートをアップした。
続けて、この週末は天気が悪そうなので、飛行機はやめて、アンプを1つ組む予定。課題は山積みである。このまえの古いアンプも今夜分解してみよう。とても楽しみ。
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スバル氏が言っていたこと。「スポーツの解説って、ほかの国の選手に対しては、凄く適切な説明をきちんとしてくれるのに、日本の選手になったとたんに、よしっとか、ああっとか、まだ大丈夫ですよっとか、単なる呟きばかりだし、精神論になるんだよね。仕事で出てるなら、ちゃんと解説しろよ」
僕が言いたいこと。「桜は綺麗だと思うけれど、桜の下の酔っ払いが見苦しい」
【理科】 子供の疑問
大人の皆さんは、どれくらい答えられるだろう?
1)光とは何ですか?
2)熱とは何ですか?
3)力とは何ですか?
4)物体とは何ですか?
5)重さとは何ですか?
6)透明とは何ですか?
7)波とは何ですか?
8)味とは何ですか?
9)匂いとは何ですか?
10)命とは何ですか?
よく、「まだ科学では解明されていないものがある」と表現されるが、上記のものは、すべて科学によって正体が解明されている。「自然の神秘」「生命の神秘」という言葉を使うのならば、そのまえに義務教育の範囲だけでも科学的知識を身につけるべきである。そうでないと、その人の人格が神秘になる。
2007年03月28日(水曜日)
【HR】 発信による成長
暖かい晴天。7時半頃起きた。睡眠充分で、とてもすっきり。ちょうど、スバル氏がパスカルの散歩に出かけるところだったので、ついていった。朝のパスカルは一段と元気だ。
戻ってから、庭の掃除をして、水やりをした。リシマキアの綺麗な黄緑の葉が立ち上がっている。今日は暖かくなりそう。
午前中は、研究打合せで3時間ほど外出。午後は、妹が双子の姪たちを連れて訪ねてきたので、半日つき合う。
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小説の仕事は夜。「ゾラ〜」を10000文字書いて、完成度は94%に。「イナイ〜」のゲラは今日は見られない。
講演会のスケジュールをいくつか調整中だが、昨日に引き続き少し書く。まず、大変ご依頼が多く、ほとんどをお断りしなければならないことに対して、ここでお詫びを。特に、3月や4月、学校関係の行事で、というお話が多かったが、すべてお断りした。
近いところでは、昨日書いた6/2に講談社。それから、7月くらいにも関東で企画がある。また、9月には、埼玉で予定されている。この9月のものは鉄道模型のイベントの一環であるが、大半をファン倶楽部の予約に割り当ててもらった。いずれファン倶楽部の方で告知があるだろう。また、大学関係で、秋口の依頼もいくつか来ていて、1つくらいは受けるかもしれない。そうなると、今年は4回になる。多い方だ。3月で執筆が一段落するから、少しほかの活動をしても良いかな、という気のゆるみかもしれない。
講演は不得意ではない。もう20年以上、大勢の前で話をすることが仕事だったからだ。しかし、けっして気持ちの良いものではない。肉体的には疲れないものの、話をしたあと必ず気分が落ち込む。もっと伝えられたはずだ、もっと説明できたはずだ、もっと知ってもらいたかったことがある、という後悔ばかりが頭に浮かんでしまう。そういう幻滅にも慣れたけれど、でもやはり面白くはない。同様の不満は、ものを書いたあとにもある。
つまり、「発信」という行為は、どうしたって結局は欲求不満が大きくなるだけなのだ。「受信」は少なくとも「満たされる」行為だが、「発信」はその逆である。出したから不満になるのではない。出すことによって、さらなる未知を知ってしまい、容量が増すために、相対的に不満になる。
だから、ものを表現し伝えることで、満足を得られると考えている人は、たぶん長続きしない。クリエータを目指す人は、古い表現だが、そのことを肝に銘じておくと、仕事として持続できるだろう。満足を求めてはいけない、ということ。不満が大きくなることが正常なのだ。それが、発信することによって得られる「成長」だ、と僕は最近気づいた。
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ついに、アマゾンから例のCDは入荷しないという謝罪&キャンセルのメールが届いた。2カ月以上かかった。それから、先月発行した詩集「魔的」がだいぶ以前からアマゾンで在庫がなく、「絶版ですか?」というお問い合わせメールも幾つかいただいた。最初は、「3〜5日以内に入荷」だったが、今日は「3〜5週間以内に入荷」の表示になっていた。これは、アマゾンでは「入手困難」という意味のサインである。しかし、中央公論新社に問い合わせたところ、絶版ではないらしい。単に営業の「求められるところに供給する」という基本的なシステムが機能していないだけだった。このことから、アマゾンも、注文があったからといって、いちいち手配などしてはいないし、またメーカもいちいち書店の在庫をチェックして出荷などしていない、ということがわかる。ということは、「入荷待ち」というのは、文字どおりの「待ちぼうけ」状態であり、切り株で2羽めの兎を待つ行為を示しているわけである。
【算数】 曖昧な思考
先日の滑り台の問題に対して、沢山のメールをいただいたが、正解は1つもなかった。けっこう難しい問題なのだな、と認識したが、おそらく正解を導ける人はメールなど送ってこなかったのだろう。
60%くらいの人が、これこれこういう理由で「たぶん、こうだと思います」という表現で答を書いてくる。これは、算数には馴染まない言葉である。たとえば、「1+1=?」と聞かれて「たぶん、2ではないかと私は予測します」とか「なんとなく、2じゃないかって気がしますが」という返答があった場合、「まあ、予測は自由だし、どんな気がしてもけっこうです」と答えるしかない。当然ながら、これが試験であれば、いずれも不正解にする。そういう曖昧なものではない。つまり、1+1の答は、人間がどんな気分になるか、ということには無関係なので、関係のないものを持ち出すことが、既に誤りだといえる。
ただ、そういう理由で、滑り台の問題に正解者がいなかったわけではない。
なかには、それなりの理屈があった。たとえば、「同じ高さなので、消費されるポテンシャルエネルギィは同じになるため、すべり下りる時間は等しい」といったものだ。これは間違いである。消費されるポテンシャルエネルギィは等しいが、それは消費時間には無関係だ。ヒントを書くなら、ポテンシャルエネルギィが消費され、それがすべて運動エネルギィになるので、すべり下りたときの最終速度は、両者とも同じになる、ということは物理的に導き出せる。実は、これがネックだったかもしれない。ここまでは問題の「前提」であり、ここからが数学的な考察が必要になる「問題」なのである。
(今回はメールを受け付けない。掲示板にも書かないように)
2007年03月27日(火曜日)
【HR】 何故か早起き
6時半に起きた。昨日スバル氏が帰ってきたので、早く起きなくても良いのだが、なんとなく……。火曜日なので、燃えないゴミをスバル氏とパスカルと一緒に持っていった(パスカルは運んでいないが)。発泡スチロールなどで6袋あった。
昨夜、スバル氏が帰ってきたあと、工作室で怪我をした。頭を打ったのだ。立ち上がったとき、上にあるものにぶつけてしまった。そこに障害物を置いたのは自分なので、全然腹は立たなかった。そのままハンダづけを続けて、ほっと一息ついたら、額の髪を払ったとき指に血がついていた。それで、スバル氏に見てもらい、消毒をしてもらった。そんなに痛くはないけれど、今朝、早く目が覚めたのはこのためだったかもしれない。
昨日は本当に沢山のことをした。あまり沢山やったので、次から次へと躰が動いて、気配りが足らず、ペンキをこぼしたり、頭を打ったりしたようだ。元来がこういうおっちょこちょいなのである。
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今日は落ち着いてやろう、と心に決めた。朝から、機関車の工作の続きをする。早く起きたのは、これがやりたかったからだ。昨日塗装が終わって、今日は仮組み。まだ不都合な部分があるので、もう一度分解して修正する。しかし、目処がついた。
お昼頃にスバル氏とホームセンタとスーパへ。午後は、音楽を聴きながらのんびり過ごした。30分くらい昼寝もした。リフォーム工事のために退避していたものをキャビネットへ戻したりもした。スバル氏も、新しくできた収納庫へブーツを入れなければ、と話していたが、まだ空っぽのまま。
モルタルで作ったミニチュアの家が昨日できたので、ポーチの横に置いた。どこに置くかをまだ決めていないので、とりあえずの位置。ちょっと重くなってしまった。1人ではせいぜい3mくらいしか持って歩けない。これで、モルタルの家は4軒め。
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さすがに、昨日と今日、張り切りすぎて少し疲れた。筋肉痛もあちこち。今日はゆっくり休もうと思う。
「ゾラ〜」は8000文字書いて、完成度84%。「イナイ〜」のゲラは、85%まで見た。6月2日(土)に講演をすることになった。場所は東京で主催は講談社。近々正式な告知がある。
【国語】 ございます
もうあまり聞かなくなった言葉の1つだが、「ございます」は2つの意味があるようだ。1つは、それが「存在する」という意味の「ある」であり、もう1つは、「である」と同じ意味で使う場合だ。どちらも、「ある」の丁寧語になる。今はほとんど「あります」を使うので、出番が少なくなった。もちろん、「あります」よりさらに丁寧な感じになるから、使ってみると調子が良いだろう。
お客が、「〜はありますか?」と尋ねたら、店員は「あります」では、ちょっと丁寧さが不足しているように響く。お客よりさらに丁寧に、「ございます」の方が謙(へりくだ)った感じが漂って良い。
挨拶のうち、「おはようございます」だけが、「ございます」がつくため、これが丁寧に聞こえる、だから、ある業界では挨拶は昼も夜も「おはようございます」になる、とまえに書いた。「こんにちは」「こんばんは」は目上には使いにくいからだ。これは、「今日は」と「今晩は」が主語であるのに対して、「お早う」だけが述語だからである。「ございます」をつけるには、「今日でございます」「今晩でございます」と「で」をつけなければつながらない。ちなみに、同じく述語の「ありがとう」は「ございます」がつけられる。「さようなら」は、接続語なので、やはりつかない。
「ござります」という言葉もある。「ございます」とどう違うのはよくわからないが、ちょっと古い感じがする。時代劇では耳にするが、普段使うにはちょっと変かも。
また、「ます」を取った、もともとの「ござる」も、尊敬の意を含んでいる。「行く」や「来る」の意味もある。「誰々がござった」とか、「あっちへござれ」なんて使うのだが、もう現代の言葉とは思えない。
2007年03月26日(月曜日)
【HR】 塗装とササミ
今日もパスカルのために早起き。朝から晴天で暖かい。パスカルの散歩も快調。
早く工作がしたいので、執筆に集中して8000文字を書く。「ゾラ〜」は完成度76%。100%では終わらないから、あと4日くらいかかるだろう。「イナイ〜」のゲラは今夜、70%まで見る予定。こちらはあと2日かな。いずれも、予定よりも少し早めのペース。
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工作をいくつかした。途中で、塗料が不足したので、ホームセンタへ買いものに。帰ってきて、外でペンキ塗りをしていたら、風が強くて、ペンキの缶がひっくりかえってしまい、大騒動になった。リカバに30分ほどかかった。工作物には関係がなくて良かった。
まえにも書いたけれど、ホームセンタで売っている200円くらいのラッカ・スプレィは、ちゃんとしたものには使わない方が賢明。どうでも良いもの用だと思う。つや消しの黒だけは安いのでも、なんとか使えるけれど。600円くらいのスプレィで塗ると、簡単に綺麗に仕上がる。これに気づくまでに、沢山失敗をした。なんでもそうだけれど、安いものと高いものがあるのは、ちゃんと理由があって、機能が同じなら、高いものはとっくに消えているはずなのだ。
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昼頃、水やりもした。リシマキアがもうかなり伸びてきた。昨日一昨日の雨のおかげで、あっという間に緑が増えた感じがする。細かい白い花が沢山方々に咲いていて(23日の3枚めの写真参照)、明らかに雑草なのだが、スバル氏と話し合って、これは仲間にすることにした。毎年同じではない、というのがガーデニングの面白さだろうか。
スバル氏が出かけるとき、パスカル用のササミがもうなくなるから、なくなったらスーパで買ってきてチンしなさい、と言っていた。しかし、僕のやり方では、タッパに残っていたササミの半分も消費しなかった。つまり、スバル氏は、僕の倍以上パスカルにササミを与えているのだ。スーパへ行くといつもササミを買っている。変だと思ったが、絶対にやりすぎだ。彼女が留守になると、パスカルが落ち込むのはササミのせいかもしれない。
暖かくなってきて嬉しい。4月は、少し仕事が楽になる。11月くらいから続いていた強行スケジュールがもうすぐ終わりそうだ。1つも落とさずになんとか乗り切れそう。
【社会】 何の金だ?
ニュースを聞いていると、泥棒や強盗などで、金を取った犯人が捕まると、「金が欲しかった」という動機に、もう一歩踏み込んだ理由がついていることが多い。代表的なのは、「借金に困って」と「遊ぶ金欲しさ」である。警察で取り調べを受けるときに、マークシートで選択するようになっているかのようだ。「ネットオークションで凄い出物があった」とか「簡易保険に加入したかった」というような理由は聞かない。
金というのは、買えるものならば、なにとでも交換できる。遊ぶための金も、借金を返すための金も、親の病気の治療代も、異性に貢ぐための金も、同じものである。誤魔化されてはいけない。
たとえば、増税するときなどにも、政治家はこれと同じことを言う。増税分は、福祉に使います、と語る。金融制裁を解除するときには、国民の生活改善に使うことを約束した、と語る。
金には、そのように「特別なものにしか使えない」という使用範囲を限定するような商品券的な機能はないのである。
借金はあっても、遊んでいたかもしれない。親が病気でも、彼女には貢いでいたかもしれない。教育や福祉に回す金は、自衛隊の予算を削って回すことだってできる。その場合、増税は自衛隊のため、という解釈になるのだ。
「金が欲しかった」と答えると、「どうして金が欲しかったんだ?」と追及される。「増税します」といえば、「どうして増税なんかするんだ?」と騒がれる。だから、しかたなく言い訳を用意する。
泥棒も政治家も、「いえ、いろいろやりくりしているんですが、トータルとして、どうしても赤字になるものですから」と正直に答えるのがよろしい。
2007年03月25日(日曜日)
【HR】 手加減
スバル氏がいないので6時半に起きた。まだ雨が降っていたが、パスカルの世話をする。リビングでゲラを見ながら待っていたら雨が止んだので、パスカルを散歩に連れていくことにした。玄関で胴輪をつけてやろうとすると、首を自分で突っ込み、手を上げて、自分から通そうとする。もの凄く喜んだ。帰ってきてもしばらく遊んでやる。いつまでも塞ぎ込んでいてはいけない、と急に前向きになったようだ。
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午前中に小説の仕事を片づける、という毎日が続いている。さきに仕事を片づけないと、ゆっくり遊べない。「ゾラ〜」は8000文字進んで、完成度68%。「イナイ〜」のゲラは55%まで見た。
古い真空管を12本使ったアンプのジャンクを手に入れた。軽くチェックをしてから音を出してみたら、片方のチャンネルは申し分ないが、もう一方は30分ほど聴くと、音が完全に割れてくる。真空管を差し替えてみても同じだったので、たぶんコンデンサが劣化しているためだろう。回路図がわからないから、中を見てまずはそれを作って、それから、怪しい部品を新しいものと交換していけば直りそうだ。こういう修理も楽しい。非常にレトロなサウンドで面白かった。そうそう、昔ってこんな音だったよな、という懐かしい響き。
ICアンプを2日間ほどずっと聴いていた。部品代2万円で作れてしまう。スイッチを入れたらすぐ音が出るし、パワーも申し分ない。うん、これで充分ではないか、なんて感じるのである。ところが、久しぶりに真空管のアンプをつけて、聴いてみると、思わずにんまりとしてしまう。やっぱり違うな、と。この違いに10万円出す価値はある。だいたい、もしそういった要素がなければ、とっくに世界中から真空管アンプは消えているはずなのだ。
このところ、夜は工作室で機関車の組立て。かなり佳境。なんとか4月に試運転に漕ぎ着けたい。
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工作をしていて、常に気をつけなければならないことは、「手加減」である。たとえば、ネジを締めるときにも、思いっきり力を込めてはいけない。今まで、ボルトを締めすぎて、ボルトを切断してしまったことが何回あるだろうか(たぶん40回くらい)。ボルトが1本駄目になるだけではない。ときには、ボルトの穴も、穴を開けた母材も、すべておシャカになる。なんとかリカバしようとするが、たいていは無駄に終わる。全部を最初から作り直す方が早い、ということに気づくのだ。どれくらい力を込めれば良いのか、ということが非常に大事だけれど、それは時と場合によって判断しなければならない。
この教訓は、あらゆることにいえる。渾身の力を込めて臨めば、必ず最上の結果が得られるわけではけしてない。「一生懸命やれば良い」「全力を出しきる」という決まり文句とは裏腹に、力まず冷静に、常に頭を使って力をセーブすることが、成功する秘訣だと思われる。
ただ、「まあ、その場その場に適切なそこそこの力で乗りきってきました」と正直に話すと眉を顰められるから、成功者は必ず「力一杯やりました」とインタビューに答える。だから、真に受けないように。「手加減したな!」と怒る人もいるが、一級品も傑作も、適切な手加減によって生まれるものである。
【理科】 飛行機の脚
飛行機のタイヤとその支柱を「脚」という。「あし」とも「きゃく」ともいう。この部分は、離着陸のときに働くだけで、飛んでいる最中にはまったく必要がない。古典機や一部の軽飛行機は、速度も遅いため、脚を折り畳む必要はない。せいぜい、タイヤにスパッツという流線形カバーをつけて、空気抵抗を減らす工夫をした程度である。
しかし、速度が速くなると、飛行中の脚の抵抗は馬鹿にならなくなる。脚を折り畳む機構やその動力は、相当な重量増になるし、またそういった複雑な機構を導入することで、少なからず危険性が増す。そうまでしても、脚を胴体の中に収納するメリットは絶大だったのである。これによって速度は増し、燃費も劇的に改善される。第二次大戦中に、世界中の戦闘機が引込み脚を採用したし、その後のジェット機でも、脚を引き込まない飛行機はほとんどないといっても良い。飛んでいる鳥を見るとわかる。脚は見えない。ちゃんと引き込んでいるのだ。
ラジコンの飛行機も例外ではなく、曲技をするための機体はほとんど脚を引き込む。僕も経験があるが、着陸のときに脚が出ない、といったトラブルはときどき起こる。胴体着陸になるわけで、小さい模型ではそんなに大きなダメージはない。機体の重量とともに、危険性は増すだろう。
「大船に乗ったつもり」という言葉があるように、小船よりも大船の方がたぶん安全だろう。これは、大きくなるほど、波や気流などの外乱が相対的に小さくなるからだ。しかし、飛行機の場合は、大きいからといって、安全とは限らないように思われる。
2007年03月24日(土曜日)
【HR】 まだ余韻
午前中は曇、午後から雨になった。スバル氏が朝、タクシーで出かけていった。パスカルが玄関に下りて、ずっと待っている。外で遊んでやっても、虚ろな感じだ。雨が降らないうちにと、お昼過ぎに散歩に連れていったが、途中で歩かなくなってしまい、顔をじっと見る。なんか人生が虚しくなっちゃった、みたいなふう。帰ってきてから、リビングで遊んでやった。ササミを少しやったら、その後、その場所にずっと座ったままで、無言でなにか訴えていた。ストライキかもしれない。
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昨日の平岡氏の本は、昨夜ベッドで読んだ。アメリカの雑誌に連載していた内容で、既に一度は読んでいるものだが、やはり素晴らしい。タミヤのプラモデルの組み立て図も世界随一であるが、それよりももっとわかりやすく正確な図面を描くのが平岡氏である。作図はCGではなく、手で描かれているという。世界中のモデラが彼の記事を読んで、その設計どおりに機関車を作っている。彼は神様で、信者が多い、という表現がまったく嫌味ではなく、頻繁に耳にするところだ。本当に素晴らしい世界唯一の才能なのである。これだけの設計をして、これだけの図面を描く行為は、実際に機関車を1台作るよりもはるかに大変だ。なにしろ、考え抜かれた設計図があれば、あとはなにも考えずに作るだけなのだ。図面を描く時間の方が工作の時間よりずっと長いし、何倍もの頭脳と体力を必要とするだろう。
昨夜お礼のメールをお送りしたところ、即座にお返事をいただいた。近いうちにお目にかかれることにもなった。大変光栄である。しばらく、それを楽しみに工作にも励める。
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小説の仕事を午前中に片づける。「ゾラ〜」は8000文字書いて、完成度60%まで。「イナイ〜」のゲラ校正は40%まで。いずれも予定どおり。
工作は、今日も機関車の組立て。毎日少しずつでも進めると、着実に完成に近づくものである。アンプも少し進んだ。アンプはすべて床に置いているが、そろそろ歩く場所が困る状況になったので、立体的な配置を考えなければならない。オークションで素晴らしい模型の骨董品を落札して、それも今日届いた。
雨の日、ブリティッシュロックを聴きながら、ジャスミン茶を飲みつつ。
【算数】 間隔
これは、【国語】かもしれない。「間隔」という言葉を聞いたとき、それはどこのことを示しているのか。
たとえば、「2本の柱の間隔は90cm」とあれば、それは、どこからどこまでの距離が90cmという意味だろう。おそらく多くの人は、柱の表面どうし、向き合っている面の間にあいているスペースを想像するだろう。つまり、柱と柱の間に、90cmの長さの棒がちょうど入る、という意味に受け取る。これが普通の感覚だ(駄洒落)。
ところが、技術者はそうは考えない。柱の間隔とは、柱の中心どうしの距離を示す方が普通である。たとえば、「1m間隔で杭を打ちなさい」「10cm間隔で釘を打ちなさい」と言われたときには、これと同じ「間隔」を大勢がイメージするはずである。こちらの方が定義として統一されている。どんな太さのものが並んでも、間隔が同じであれば、同じ本数が必要になる。ただ、「隙間の幅」が違ってくるだけだ。技術者たちは、表面間距離のことを、「内法(うちのり)」とか「内々(うちうち)の距離」といったふうに表現することが多い。
したがって、1m間隔で柱を立てても、柱の太さが1mあれば、隙間はあかない。
算数でも、「周囲が300mの池があります。この池の周囲に30m間隔で樹を植えようと思います。何本の樹が必要ですか?」といった問題が出たとき、「樹の太さは考えない」と言った但し書きは必要ない。ちなみに、この問題、池がもの凄く細長い場合には、対岸の樹どうしの間隔が30m以内になる可能性があるので、慎重に対処しなければならない。
2007年03月23日(金曜日)
【HR】 びっくりした荷物
晴天で暖かい。お昼頃には18度くらいまで上昇。ぽかぽか。
今日は工事。トイレの収納の中の棚とドアの内側のパネル張り。お風呂の小物取付け。それから、お風呂、階段、1階玄関、通路の絨毯の張替え。朝から、何人か職人さんが出入りした。パスカルもハッスルしている。リフォームの工事は今日ですべて終わり。設計士さんが、最後に確認に来た。
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庭の水やりを朝からした。この時期はなにを植えても大きくなって楽しい。まだ、緑は少ないものの、今にも出てきそうな感じのものばかり。このまえまで支えが必要だった木が、知らないうちに3m近くにもなっていたりする。
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毎日音楽をずっと聴いている。日によってアンプを替えて。また、聴く音楽もいろいろ。まだ9台めは作り始めていない。部品がすべて揃ったところ。
機関車は、昨夜も12時頃まで組み立てていた。佳境といえる。これまですべて仮組みしてきたところを、そろそろ本組みで進める段階になった。ネジはロック剤を使うし、配管はシーリングをしながら組むので、順番が違って、やり直しになると面倒だ。工程表を頭の中で描いて進める必要がある。
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今日の午後は庭でペンキ塗りを30分ほどした。暖かかった。スバル氏がポストへ行き、郵便物を取ってきた。その中の荷物に、平岡幸三という名前があったので、「わ、同姓同名の人がいるんだ」と思った。でも、開けてみたらご本人からだった。世界に知られている日本を代表するライブスチーマ(蒸気機関車のモデラ)である。世界中のモデラが知っている日本人の1人。最新の著書が入っていた。こんなに嬉しいことはない。お手紙には、僕の庭園鉄道のサイトをご覧になっている、とあった。インターネットをやっていて本当に良かった、と思う。
僕は、金属工作を平岡氏の本を読んで学んだ。三十代のときである。この上なく緻密で丁寧で美しい図面と適切な説明が平岡氏の持ち味であるが、初めてこれを読んだとき、工夫さえすれば、時間をかけさえすれば、どんなものでも自分の手で作れるのだ、ということに気づかされた。
平岡氏の本に従って、工具を1つずつ揃え、何日もかけて車輪を作った。これが庭園鉄道の夢の始まりだった。その後、走らせる土地が必要だと考えて、自分の貯金や収入では、一生できないかもしれない、と計算して、思い切ってバイトをすることにした。それが小説を書いた動機である。したがって、作家になったのは、平岡氏のおかげかもしれない。
まだまだ全然そんなレベルには達していないけれど、ものを作る喜びは、ものを考える喜びと同じだと感じる。考えて作る、作ってまた考える。この繰り返しであり、両者の摺り合わせがこそが醍醐味だ。もっと頑張ろう。
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「ゾラ〜」は午前中に7000文字を書いて、完成度52%に。書き始めて今日が10日めで、半分だから、多少スローペースではある。「イナイ〜」のゲラは昨夜30%まで見た。いずれも順調。
【国語】 「幼少」と「人」
幼少とは、幼い、という意味である。辞書によれば、平家物語が引用されていた。「幼少より」とか、「幼少のみぎり」などと使う。「みぎり」というのは、「頃」と同じだ。
僕は、この言葉には、尊敬の念が含まれるものと感じている。これは、僕の解釈が間違っているのかもしれない。しかし、ずっとそうなのだ。おそらく、かつてはこの言葉を耳にしたり、目にしたりする場合、例外なく、それは歴史的人物、あるいは伝記になるような人物が、子供だった頃を示す単語だったからだと思う。
だからこの頃、人が自分自身に対してこの言葉を使っていると、非常に抵抗を感じる。他人に対して使うのは良い。「彼が幼少の頃は〜」とか、「貴方の幼少の頃は〜」は、普通に聞こえる。しかし、「私が幼少の頃〜」と言われると、どうしてもイメージが悪い。同様に、自分の家族に対しても、この言葉は、僕は使えない。
これは、「人」にもいえる。「人」には、尊敬の気持ちが込められているから、「僕は、こういう人なんです」と自分に対して使うのは、真面目な席ではちょっと恥ずかしい(冗談としてならば僕も使うが)。
どうなのだろう。僕が一方的に間違っているのだろうか?
地方によって違うのかもしれない。少なくとも僕が調べたかぎりでは、明らかな間違いである、という証拠は見つからなかった。でも、変だな、と思っている人はわりといるようである。いずれにしても、圧倒的少数のようだ。
2007年03月22日(木曜日)
【HR】 郵便局事情
8時起床。スギの花粉が終わったためか、体調が良くなってきた。
午前中は、研究関係で出かけて、戻ってきたのが11時頃。それから、スバル氏と郵便局と区役所へ行った。郵便局は振込みのためで、自動引き落としになっていないものがあったらしい。初めての区の本局(以前とは別の区)へ行った。30分ほど待たされた。お茶のサービスがあった。これはなかなか気が利いているけれど、お茶を配る人員がいるなら、受付を増やしてもらいたい、とみんな思っただろう。
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そういえば、この局も駐車場が北側にあって、車を駐めたら道へ一度出て、ぐるりと遠回りして正面の入口へ、という順路になっている。北側には職員の出入口しかない。つまり、客用に駐車場がデザインされていないのだ(かつては客用駐車場ではなかった)。建物の中を通る場合の10倍以上の道のりを歩くことになる。お年寄りは大変である。
あと、速達を出した。郵便料金が今はどうなっているのか確かめようと、しばらく探したが、どこにも表示されていなかった。目のつくところにパンフもない。簡保の勧誘ばかりだった。ゆうパックが持ち込みだと100円引き、というポスタが目についた。コンビニに持ち込んでも100円引きだとある。では、どういうときに100円引きにならないのか?と疑問を持った。スバル氏にきいてもわからなかった。たぶん、集荷に来てもらう場合だろう。それは100円引きではなく、集荷が100円増しと見るべきなのでは。「値下げ」としなかったのは、また戻すつもりなのかな。
お年寄りが沢山じっと静かに待っている。ATMや自動引き落としや振替機やネットが使えないお年寄りが、こうしてここへ来るのだ。病院の待合いコーナのような雰囲気だった。簡易保険なども、いろいろ複雑怪奇なシステムを沢山作り出しておいて、今頃になって自分たちでも処理ができないほど繁雑になっているのが見ていてわかる。処理能力を超えているのではないか。それを主張して人員を増やそうという壮大な計画だったのかもしれない。ちなみに、屋外の切手の自販機はここも使用停止だった。なにか問題があったのだろう。
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郵便局で消費した時間のおかげで、いろいろ計画が狂い、今日は塗装をしようと思っていたが延期。小説は、「ゾラ〜」を7000文字書いて、完成度は45%に。「イナイ〜」のゲラは昨夜10%まで見た。今夜も見る予定。このほか、4月刊の本のカバーの確認などがあった。
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外は暖かい。庭で水やりをしていたら、上着を脱ぎたくなった。ゴミ拾いも少しできた。パスカルも元気に走り回っている。夕方のパスカルの散歩はスバル氏と一緒に行った。スバル氏はパスカルが引っ張ると、それに合わせて走ろうとする。自由にさせたい人なのだ。うちの子供たちも、そうやって育てたのだろうか。そのまえに、一番自由に育てられているのは僕か。
【図工】 吹付け塗装
色を塗る手法は、大きく分けると、刷毛塗り(筆塗り)と吹付けがある。ペンキをべたっと塗るようなときは、刷毛でも良いが、綺麗に仕上げたい場合は、吹付けが有利だ。
吹付けの中で最も手軽なのは、スプレィ缶を使ったもの。これを買ってきて、シューッとやるだけ。色がついては困るところを隠すマスキングテープや、新聞紙があれば、どこでもできる。屋外でやる方が良いが、風があるとやりにくい。上手に塗るためのコツは、一度に色をつけようとしないこと。軽く吹き付けたら、そこで我慢。しばらく時間をおく、という慎重さが大事。吹き付けすぎると、塗料が多すぎて垂れてしまう。それから、塗ったあと乾燥させるときに、埃がついたり、風で飛んできたものがべたっとついたりしないよう注意が必要。埃がないところでやるか、埃を被らないような防御を用意する。
スプレィの最大の欠点は色の調整ができないことだ。混ぜることが難しい。それに、値段も高い。普通の塗料を使いたい場合は、スプレーガンやピースコンなどの道具を使うことになり、しかも圧縮空気を供給するコンプレッサかボンベも必要になる。しかし、スプレィに比べると、きめの細かい塗装が可能で、特に小さいものになるほど、スプレィよりもピースコンが有利になる。
パソコン上で絵を描くツール(たとえばフォトショップなど)にも、スプレィがある。あれは便利だ。僕は、フォトショップでイラストに色をつけるときは、スプレィしか使わないほどこれを多用している。やはり、普段の作業に近い感覚だからだろう。
2007年03月21日(水曜日)
【HR】 工作ぼちぼち
春らしい晴天。お昼頃は15度くらいまで暖かくなった。風も少し和らいだだろうか。スバル氏が庭で水やりをして、パスカルがその周りを駆け巡っていた。ホースから飛び出した水を飲むのがパスカルの楽しみなのである。そんな季節になった。おかげで躰中がびしょ濡れになるから、あとでタオルで拭いてもらっている。それでも、乾くのにはしばらくかかる。
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小説の仕事は午前中に執筆だけ。「ゾラ〜」を6000文字書いて、完成度は38%まで。「イナイ〜」のゲラを今夜から10日かけて読む予定。執筆と同じくらい時間がかかるだろう。このように、長編の執筆と、長編のゲラが重なると、頭の中が2本立てになるけれど、思ったほど混乱はしない。小説の仕事に慣れたためだろうか。光文社からアンソロジィの文庫化のためのゲラも届いた。これは短編で4/10締切。
お昼頃、スバル氏と書店とスーパへ出かけた。今日は休日らしい。車の中で、好きな音楽の話を彼女とした。ソウルは駄目、コーラスは駄目、踊りながら歌うのは駄目、とスバル氏はいろいろと注文が多い。僕は、あまりそういう理屈は持っていない。聴いて感じの良いものは、それで良い。普段は僕の方が理屈っぽいが、こういう対象になると、逆転するのである。これがヒントになるだろうか(何の?)。
10カ月ほどまえから、お茶に凝っている(よく飲むというだけの意味)。結局は、ウーロン茶とジャスミン茶が好きだとわかった。あまり冷やさない。常温の方が好きだ。今は、だいたいこの2種類のものが多い。コーヒーも1日に3杯くらい飲む。
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ICアンプの欠点は仕様か、と書いたが、それをカバーする基板が発売になった。やはりそうするだろう、といったところ。さっそく取り寄せてみた。今日、3時間ほどかけて組み込んだ。部品が小さい小さい。米粒の半分くらいだ。真空管だと、つけっぱなしにして席を離れることができないけれど、ICだと熱も出ないし、安心して使える手軽さはある。
9台めのアンプは、シャーシ工作が終わったので、いつでも始められるが、工作台が空いていないのと、時間がないため、ストップしている。10台め、11台めも、既に手配をした。
機関車の工作は(思い出したから)頭が暖まって、面白くなってきた。キットなのだけれど、部品はことごとく合わないので、そのままでは取り付けられない。削ったり、方法を変えたり、パーツを新しく作り直したりしながら進んでいる。付属のパーツを「参考品」だと思うと、こんなに親切なものはない。早く、石炭で走らせてみたい。
【社会】 タクシー事情
タクシーを非常によく利用する。東京で移動するときはたいていタクシーだし、名古屋でもかなり頻繁に乗る。名古屋のタクシーは全面禁煙になるそうだ。東京と名古屋のタクシー事情を比較してみよう。
まず感じるのは、名古屋のタクシーの運転手の方が年齢層が高い。それから、よくしゃべる。20分も乗るような距離だと、おしゃべりしないで乗ることはほとんど絶望的である。あと、名古屋では、タクシーを駅や繁華街以外の場所で拾うことがかなり難しい。バスが走るような大通りでも、走っている空車のタクシーを見つけるには、平均10分以上はかかるだろう。地下鉄の駅やバスターミナルでもタクシーがいないところが多い。タクシー乗り場があっても、である。タクシーは電話で呼ぶもの、というのがこの頃の常識になった。僕が若い頃(もう20年以上まえになるが)には、そうではなかった。タクシーは街のどこでも拾えたものである。
東京は、タクシーがどこでもすぐに拾える。いくらでも走っている。運転手さんは若い人が多い。そして無口だ(無礼ではない)。そのかわり、道を知らない人がだんだん増えているような気がする。東京へ出てきたばかり、という人が多いせいだろうか。
名古屋では、ほとんどの家に車が1台以上ある。ちょっとした買いもの、食事、公共機関、などへみんな車で出かけていく。書店に行くのも、コンビニへ行くのも車だ。だから、書店やコンビニには、10台以上駐められるスペースが普通ある。こういった街だから、タクシーが成り立たない、ということかもしれない。
よく、歩道に立って車を見つめているお年寄りを見かける。タクシーを待っているのだ。昔のようにすぐに拾えない、と不思議に思っているにちがいない。一方、市バスはラッシュ以外は、客がとても少ない。名古屋では老人は市バスや地下鉄が無料なので、バス停に並んでいるのはほとんどお年寄りである。これらを見ていると、ラッシュ時以外はバスをタクシーに切り換えてはどうか(バスの運転手さんがタクシーを運転するわけだが)、などと考えたりする。
2007年03月20日(火曜日)
【HR】 スケジュールいろいろ
晴天。今日は9時頃起きた。睡眠時間が長かったのは、遊び疲れか。
午前中に小説の仕事を片づける。「日経パソコン」第37回のゲラを確認。「ゾラ〜」は6000文字書いて完成度32%まで。執筆をしていると、毎日のノルマをこなすという不自由が、健康にとても良い。ある程度制約があった方が、人間、規則正しくなるからだ。
急いで仕事を片づけて、時間を作って、工作をする、という日々になる。一日中工作だけができる、という休暇の日には、最初からだれてしまって、なかなか始める気になれなかったり、なんてことがある。ままならないものだ。
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角川から発行されていた漫画「黒猫の三角」(皇なつき画)は、絶版になって1年以上経過していたが、幻冬舎コミックスから4月24日に再発行されることになった。表紙の絵が新しくなるらしい。先日、皇氏から登場人物の服装について希望をきかれたが、「いえ、どんなふうでも」と答えた。大変気に入っている作品なので、とても嬉しい。ちなみに、これで、僕が原作の漫画は、すべて幻冬舎コミックスになった(全部で5冊ある)。海外へも積極的に展開しているし、今度は文庫も出すそうである。
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午後は講談社のM澤氏、T垣氏が来宅。今年後半の文庫の打合せ。M澤氏が海外研修で不在となるために、その間、T垣氏が彼女の代役をする。文庫は7月が「悠悠おもちゃライフ」でフィックスだが、11月が流動的だった。順番でいくと、Gシリーズの「φ」の文庫化になる。だが、以前に書いた理由で待ったがかかっていた。その代わりに、自選短編集を文庫で出すという案もあった。これは、もう5年ほどまえからときどき挙がる企画だ。今日の打合せで、やはり、11月からGシリーズを文庫にするのが一番ファンが喜ぶ選択だろう、ということで決定をした。二転三転したが、最初の予定どおりになった。
さらに、夕方は同じ講談社のK城氏が来宅。メフィストのゲラを取りにきてくれた。忙しい編集長なのにわざわざ大変である。「イナイ×イナイ」の初校ゲラも持ってきてくれた。今月中にこれを読まなくてはならない。もしかして、もう最初のK木氏よりも、K城氏の方が担当が長いかもしれない。
夜は、メディアファクトリーのI子氏と電話で話し「奥様は〜」の2校ゲラの確認事項を伝える。これは校了。
工作は、アンプのシャーシの塗装の続き。機関車の組み立てもほんの少し。部品も幾つか届いた。体調はかなり良くなってきたようだ。
【算数】 滑り台の問題
これは、【算数】というよりも【理科】に近いかもしれない。今回も短くいこう。
僕が子供のときの「子供の科学」に出題されていたクイズである。
滑り台があって、高い位置のA点から、低い位置のB点まで、滑っていく。このとき、AB間を直線で結んだ滑り台と、やや、下に撓(たわ)ませた曲線で結んだ滑り台とでは、どちらが、滑り降りる時間が長くかかるだろう?
難しくなるので、摩擦抵抗は考えない。
何故そうなるのかを、図などを使わずに、言葉だけで簡潔に答えてほしい。ここがポイントである。
(掲示板に答を書き込まないように。メールは受け付けるが、正解は答えない)
2007年03月19日(月曜日)
【HR】 人を育てるジレンマ
晴天、また少し暖かくなった。スバル氏が、ホームセンタへ行きたい、というので、朝から小説の仕事を片付ける。「メフィスト」2校をチェック、「奥様〜」の2校をチェック。「ゾラ〜」を5000文字書いて、完成度26%。
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ホームセンタで、工具や材料、塗料などを購入。スバル氏も日用品や花の苗を購入。今日は僕の方が高かった。
午後は、次のアンプのシャーシ加工と塗装をした。機関車も毎晩少しずつ、どこかを削ったり穴を開けたりしている。なにしろ、作り始めたのが5年もまえだから、よく覚えていない部分があるが、手をつけると不思議とだんだん思い出してくる。
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夕方は、研究関係の人たちと近くの喫茶店で会った。けっこう興味深い話だった。というか、研究対象が面白い。でも、役に立ちそうにない(だから面白いのか)。来年度の実験計画についても相談を受けた。企業はお金があるな、と思う。でも、研究というのは、お金をかけたからといって、満足な結果にはならないものだ。
企業の中で、技術者が育つ。真の技術とは、その企業の外でも活きるものだ。すると、せっかく育った技術者が、ほかの会社へ移ってしまう、という事態を企業は恐れる。このジレンマはどこにでもある。人は育てなければならないが、人が育つことは、必ずしも企業の利益に結びつかない。
これまでの日本ならば、恩義を感じて骨を埋めるなんて風習があったけれど、今時はもうそんな精神はないに等しい。武士道というが、戦国時代を見れば、昔から危ういものであったことがわかる。育ててもらっても、成長すると、この報酬では不足だと感じるようになるものだ。繋ぎ止めるために、もっと給料を上げるのが正しい道だと思うけれど、そうなると「不公平だ」といった声がどこからともなく上がってくるわけだ。
しかし、自分の持っている技術が、どれくらい価値があるものか、普通はなかなか認識できない。同じ分野の他人と交流はそれほどないし、そもそも、日本では「いくらもらっているの?」という話は何故か御法度で、「下品」だということになっている。ほとんど話題に上がらないのである。インターネットが、この風習をたぶん拭い去るだろう。所得格差は、さらに大きくなるはずだ。何故なら、能力格差の方がまだまだずっと大きいからである。
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庭の草木は赤い芽を出している。葉っぱが広がりそう。そろそろ落ち葉拾いをして、虫が増えないようにしないといけない。近所の家はどこもしょっちゅう庭師さんが来ていて、枝を払っている。ああしていないと虫がわくのだろうか。それに比べると、うちはナチュラルだと思う。どの樹も伸び放題である。この頃は、キツツキみたいに木をつついている綺麗な鳥を庭先で見かける。スバル氏が名前を知っていたが、キツツキとは言っていなかった。
【国語】 世界観と人生観
「世界観」という言葉は、たぶん小説を書き始めて、出版社の人とつき合うようになって耳にするようになった。それまでは使ったことがない。広辞苑には難しいことが書いてあったので引用しないが、世間一般で使われている意味は、その人が社会や世界をどう捉えているか、といった抽象的なもの。しかし、人の話を聞いていると、「誰々の世界観が好きだ」という表現で、単にその人物が創り出した「世界」のことを示している場合が多い。だから、わざわざ「世界観」なんて使わないでも、「誰々の創り出す世界が好きだ」といえば済むのではないか。半分くらいの人が、ほぼこの意味で使っているように観察される。
「世界観」に似た言葉に、「人生観」がある。この両者は、なかなか区別しにくい。人生観というと、その人の生き方みたいなものに近づく。それとは別に、つまり自己に直接関係しない範囲にまで及ぶものが世界観、だとは思う。でも、境界は極めて曖昧である。
「世界像」という言葉もある。こちらは、感覚的なものを排除した現象としての「世界というもの」だろうか。「人生像」という言葉は聞いたことがないな、と考えたら、「人間像」があった。これがずばり、世界像の個人版である。「誰々の人間像に迫る」といった表現はよく耳にするが、本人によって語られるものではなく、やはり外部からの観察によるものだ。
「僕の世界観」「僕の人生観」はOKだが、「僕の世界像」「僕の人間像」は抵抗がある。
2007年03月18日(日曜日)
【HR】 抵抗手段
今日も晴天、少し暖かくなったように思う。
新しいお風呂は調子が良い(当たり前か)。ジェットバスというのは初体験だったが、マッサージみたいで気持ちが良い。スバル氏も気に入ったようだ(というか、スバル氏が希望したものである)。シャワーの調子も良くなった。トイレも洗面も使いやすくなった。
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今日は、午前中は飛行機の整備をした。昨日の機体とエンジンのメンテ。大きいから大変。スバル氏と長女M氏が出かけたので、工作室で留守番。
工作台には大きな機関車が載っていて、ほかのことができない状態。重いから上げ下ろしが簡単にできない。この作業台は僕の自作だけど、これほど役に立っている自作品はない。今日も各種パーツが合計25kgくらい届いたので、また工作が沢山できそうで嬉しい。
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午後も日差しが暖かそうだったので、庭で掃除をしたり、機関車を走らせたりした。写真に写っている電車みたいなのは、アルコールで走る蒸気動車。井上昭雄氏設計のもので、30年以上まえの雑誌に載っている記事を見て作った(昨年10/25参照)。
「奥様は〜」の2校が届いた。「ゾラ〜」は5000文字を書いて、完成度21%まで。今のところスローペースだが、少々新しいジャンルということもある。そのうちピッチが上がるだろう。
スバル氏は花粉のため、毎日もう駄目だ、と言っているくせに、3日連続で出かけている。エネルギッシュだ。パスカルの鼻が濡れているから、花粉のせいだと彼女は主張していたが、犬はたいてい鼻が濡れている。寝ているときは乾く。寝転がって、鼻を上に向けると鼻水が逆流するらしく、咳き込んだりする。仰向けにはなれない構造らしい。
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3/14に書いた件について、沢山のお見舞いメール(多くは、「訴訟しては?」という内容)をいただいた。感謝。べつに落ち込んでいるわけではないので、ご心配なく。ちなみに、未払いの分は金曜日だったかに入金があった(1000万円くらい)。これだけの金を持って逃げた社員がいるのだろう、と疑われてもしかたがない。今のところ、担当者はまだ社に出てきていないらしい。明らかに不祥事である。
読者も、出版社がルーズである、という印象を持っている人がいるみたいだ。本が予定どおり出ない、といったことが原因らしい。多くは作家に責任があるだろう。
いつだったか、ある出版社で僕の本が1カ月発行が遅れることになった。出版社の都合だった。僕は締切を守ったし、既にウェブなどで予告をしていたので、少々腹が立った。そこで、その出版社の雑誌に書く予定だった原稿を1カ月遅らせる、と担当者に予告した。すると、もの凄く驚いた様子だった。そんな報復をされるとは予想もしていなかったのだろう。しかし、作家にできる抵抗は「書かない」ことくらいしかない。
【社会】 所得格差
この頃、この言葉をよく耳にする。
まず想像できるのは、豊かになるほど格差は大きくなる、ということだ。
江戸時代とかを想像すれば、将軍や殿様がいて、食べるのにも困った民が大勢いたわけで、この格差は今日よりも大きいのではないか。ただ、庶民の中での格差はあまりなかった。みんなが貧しかったわけだ。しかも、どんなに努力をしても、この(殿様との)格差は乗り越えられない社会システムだった。
現在は少なくとも、格差を乗り越えられない規制はない。才能があり、運が良ければ、誰でも金持ちになれる。
また、一方で、一様に貧しかった庶民が経済発展で豊かになれば、その中から金持ちが現れる。つまり、みんなが稼げるような社会になれば、当然ながら格差は生まれる。
例は少し悪いが、たとえば、教育が行われない状況では、大衆の知識レベルには大きな差がないかもしれないが、全員に教育を受けさせると、勉強ができる者とできない者が観察されるようになる。学歴の差といったものは、江戸時代にはなかったが、今は「格差」がある。
もう1つは、人間が長生きになるほど、格差が大きくなる、という点だ。これは、若者よりも老人の所得格差がずっと大きい、という明らかなデータからもわかる。生まれたときは同じでも、だんだん差は大きくなるのである。
諸外国と比べても、日本の所得格差は、アメリカをはじめとする欧米先進国よりもまだ低い水準で、格差が少ないといって良い。同じ敗戦国のドイツと同程度である。豊かであった歴史の長さに関係しているのだろう。
さて、では、格差は豊かな証拠だ、と放っておけば良いのか、というともちろんそうではない。豊かな者が、貧しい者を助けるような仕組みが機能しなければならない。豊かな者とは、日本の場合、多くは企業である。企業がもっとこういった方面に努力をするべきだと個人的に思うし、税制もそうあるべきだと考える。
2007年03月17日(土曜日)
【HR】 必要な大きさ
今日と明日は寒いという予報。たしかに少し寒いが、身構えていると、そうでもない。日差しは春。昨日は東京で雪が降った。あまりここに書いていないけれど、東京にけっこういたりする。最近、東京で借りている部屋を引っ越した。山手線の沿線で便利なところになった。
今日は、午前中は飛行機を飛ばしにいった。レンタカーを借りて、大型の飛行機を運んだ。飛行場(模型専用)で組み立てるのに30分くらいかかる。飛ばしたのは2回だけ。それぞれ15分程度である。風が強かったけれど、機体が大きいから相対的に影響が少ない。まあまあの感じで飛んだ。新作機ではなく、エンジンを載せ替えただけ。でも、面白かった。
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パスカルが庭を凄い勢いで走るときがある。僕がいると滅多にしない。怒られると思っているのだろうか。スバル氏だけだと走る走る。写真を撮ってもらった。しかし、このあとシャンプーされたし、長女M氏にドライヤをかけられて、かなりぷんぷんだった。下の写真は濡れているところ。
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「ナンプレファン」のゲラをチェック。この連載はこれで終了。非常に丁寧な対応で、気持ち良く仕事ができた。「ゾラ〜」は5000文字書いて、完成度16%まで。順調。
真空管アンプの本は現在手に入るものは、ほぼ読み尽くした。今は、トランジスタへとステップアップしている。でも、そろそろ面白くなくなってきた。鉄道模型も、HOゲージからNゲージになったとき、小さくなってつまらないな、と感じた。僕は、犬も小型になるとどうも飼う気にならない。10kgくらいはないと駄目だ。なんとなく、必要な大きさというものがあるような気がする。理屈を捏ねてみました。
お風呂が使えるようになった。便利だ。この1カ月間、書斎から風呂に入るためには、まず寝室へ着替えを取りに行き、また風呂場へ向かう、というトータルで50mほどの道のりを歩く必要があった。銭湯へ行く気分で、遠くまで出かけていく感覚。うっかり忘れものをして入ってしまって、出てから着るものがなかったりすることもあった。最初は面白かったけれど、やっぱり不便だ。
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今日はまたアマゾンからCDが届いた。ずっとまえに書いた問題のCDは未だに届かない。以後、「在庫あり」しか注文しないことにしたら、あっという間に届くようになった。ただ、20枚ほどCDを買ったが、うち2枚が開封されたものだった(僕は気にしない)。これは普通のことかもしれない。書籍はとても便利である。
イギリスのメーカから模型も届いた。注文して1カ月も経っていない。日本のメーカよりもずっと早かったりする。オーディオ関係はどこのメーカも几帳面で、対応が非常に良い。いつ発送できそうか、明日発送できる、さきほど発送しました、と丁寧にメールで知らせてくるところばかりだ。
関係ないが、「ラジオ技術」という雑誌を初めて読んだけれど、「スピーカ」「ヒータ」「ウーファ」など、カタカナ表記がJISに則していた。1/26の【国語】で書いたオーディオ関係の伝統の例外に当たる。表記だけでなく、「ラジオ技術」は非常に内容が良いと思った。ただ、書店では手に入りにくいようだ。
【理科】 自動巻
腕時計には自動巻がある。僕が子供のときからあった。人間の腕が動くと、時計内の振り子が動き、これが少しずつネジを巻く。半永久的に時計が動く、という仕組みである。それ以前の時計は、ゼンマイを巻かないと動かなかったので、巻き忘れると知らない間に止まっていたものだ。その後、小さな電池で駆動する時計が現れたので、自動巻は見なくなった。ところが、最近はまた自動巻を見かける。モータと電池も内蔵し、ネジを巻くのではなく発電をしている。ハイブリッドだ。
このまえ、アイデア商品の店に、自動巻の腕時計のネジを巻く台、という商品があった。そこに時計を置いておくと、台が電池で動いて、時計を充電するらしい。なんのために自動巻なのか、と不思議な光景ではある。
昔なら、時計なんて高級なものは、1人1つしか持っていなかったから、四六時中同じ時計を身につけていた。だから、自動巻も有効だったわけだ。今は、時計を沢山持っているし、使う機会が少ないから、自動巻が用をなさないのかもしれない。
自動巻の時計をつけていると、時計のネジを巻くエネルギィ分人間が疲れる。同様に、たとえば駅の改札口の床に、踏まれることで発電する装置を取り付けて駅の節電にすれば、その改札を通る人間が少しずつ疲れることになる。それ以前に、その装置を開発し、生産し、設置した費用とエネルギィが取り戻せるまえに、その装置が故障して廃棄されるだろう。家庭に風力発電を備えても、それを設置するための費用がかかりすぎて、稼働している間に節約する電気代をたぶん取り戻せない。
だからといって、無駄だとはいわない。工夫は常に必要なのである。
2007年03月16日(金曜日)
【HR】 もっと理屈を捏ねろ
少しは暖かくなったかな。昨日は花粉で一日頭が痛かった。外に出なかったのに。書斎にもガレージにも花粉がいっぱいなのだろう。今日は室内でもマスクをすることにした。
午前中に小説の仕事。「別册文春」のゲラを確認。「ナンプレファン」のゲラも来た。「ゾラ〜」は4000文字書いて、完成度11%まで。
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自著に関しては、エクセルで発行日や重版や支払いなどをそのつどインプットして整理をしている。1カ月に10回近く連絡があってデータを更新しなければならない。税金関係はスバル氏がやってくれるし、HPのデータやスケジュールは秘書氏が担当してくれているけれど、これだけは僕が自分で管理している。面倒ではある。でも、このチェックをしていたから出版社の経理ミスが発覚したわけだ。過去にも同じミスが1度あった。ほかの作家の方も、ちゃんと確認をしているのだろうか? コンピュータ処理だから間違いはない、なんて考えていたら大間違いだ。
工事は、今日はジェットバスのポンプの取付け。試運転をして、夜には新しいお風呂に入れるようになった。1カ月ぶりの広いお風呂。明日、パスカルを洗ってやろう。工事は、あと玄関ホールと階段、バスルームの絨毯の張替え。これは来週になるらしい。
少し寒かったけれど、外でモルタルを練って、ミニチュア建築物の工事もした。今回で左官作業は終わり。あとは楽しい塗装。機関車も配管をいじっているが、どうも上手くいかない。部品が足りないこともわかった。
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この頃の若い人と話をしていると、平均してみんな理屈がなくなっている感じがする。特に、技術系の人間ならば、もう少し理屈を捏ねてほしい、と思うことが多い。「理屈を捏ねるな」という年寄りくさい叱り方があるので、理屈を捏ねることに悪いイメージを持っているのかもしれない。感覚的に捉えるものと、理屈で捉えるべきものがあるけれど、後者については、屁理屈でも良いから、捏ねないよりは自分なりの理論を持っている方が良い、と僕は思う。つまり、理屈を持とうとする姿勢が基本なのだ。昨日、経験をしてインプットされたものを自分なりに処理することが大切だ、と書いたが、つまりこれが理屈を捏ねることと等しい。
話は少し違うが、政治、たとえば外交一つとっても、日本人は、どうも理屈を捏ねなさすぎるように僕には思える。僕の知っている外国人はもっと理屈屋ばかりだった。コミュニケーションによって相手を説得するツールは理論であり理屈だ、と彼等は考えている。日本人は、情だとか、気持ちだとか、これまでの経緯だとか、あるいは誠意といったわけのわからない単語で片づけようとする。充分な理屈を持ったうえで、こういったものが付加される方が見栄えが良いだろう。
経験がない分、若者は理屈を捏ねよう。それが若者の特権ではないか。さて、しかし、素直に感じるだけで良いものと、理屈を捏ねた方が良いものがたしかにある。どこで両者を区別したら良いのか、その理屈はまたいつか……。
【算数】 立体思考
今回は文章は少なめにしよう。この写真は、200円のおもちゃである。懐かしい、と思った人もいるだろう。1mほど軽く放り上げるたびに、色が変わる。モータなどの動力は一切ない。
緑色からオレンジ色に変化するプロセスを写真で紹介しておく。このボールの内部のメカニズムが頭に描けるだろうか。これは、紙を使わないと無理かもしれない。こういうのが一番、算数(数学)らしい頭の使い方だと思う。
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2007年03月15日(木曜日)
【HR】 経験は必要か?
冬が一矢を報いようとしているみたいだ。
午前中に小説の仕事を片付けた。「野性時代」のゲラをチェック。それから、新作を4000文字書いて、完成度は7%に。この作品は、タイトルが「ゾラ・一撃・さようなら(Zola with a blow and goodbye)」と半年以上まえに決めて書き始めたもの。たぶん、このまま書いていくことになるだろう。「別册文春」からもゲラが届いた。これは明日見る。「メフィスト」の2校も届いた。
今日はアンプの実験はやめて、聴く方に専念。工作室を片づけて、機関車の組み立て作業の準備をした。パーツがようやくほぼ揃ったからだ。まだ足りないものがあるけれど、少し進めようと思う。5年越しの工作である。
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沢山のことを経験すれば沢山の知識が得られる、というのは間違った認識ではない。少なくともデータはインプットされるだろう。そのデータを忘れてしまうか、覚えているか、という差はある。また、たとえ覚えていても、持っているデータどうしを比較して、系統立てて整理がされているかどうか、という分析の有無が、その人物の知識の質として顕れるだろう。
若い人には「なるべく多くを経験しなさい、それが君のためになる」という言葉がよく投げかけられるけれど、本当にそうだろうか? たとえば、世界中を回って沢山の経験をした人は、その期間、日本で普通の人がしただろう経験ができない。沢山の仕事をしたことがある人は、1つの仕事を長く経験したことがない。他人にとっても有益な経験というものは、そんなに多くはないので、たとえば、歳を取っている人の方が時間が長かった分、たしかに経験は豊かであるけれど、だからといって、若者の誰にも有益なアドバイスができるほどの人物は滅多にいない。300年も生きれば、少しは経験豊かになれるかもしれないが。
そもそも「経験しよう」と意気込むことが、どうも変だと感じる。べつに意気込まなくても、どこでも、いつも、「経験」はしているのだ。場所が遠くないと、あるいは新しい環境でないと、経験ができないと思い込んでいるのは、単なる幻想である。まだ会えない新しい彼女こそ自分の理想の女性だ、と信じているのと同じくらい、傍から見ていると微笑ましい状況だけれど、一言でいえば「幼稚」である。
自分の部屋に籠もって本ばかり読んでいたり、ネットばかり見ていても、沢山の経験ができる。あるときは、現地へわざわざ足を運ぶよりも効率良く、しかも上等な情報が得られる。現代は、場数を踏んだジェネラリストよりも、1つのことに秀でたスペシャリストが求められる場面がけっして少なくない。ただ、最初にも書いたように、経験したことを自分の中でいかに整理し処理をするのか、という部分が大切である。経験するだけならば、それこそ、猿でも犬でもできる。
そういうわけで、自分が経験不足だなんて不安を持つ必要は全然ない。年寄りの変なアドバイスに惑わされないことだ。そんなことを言う人こそ、明らかに経験不足だと思う。簡単に言えば、経験というものは、役に立つときと、逆にハンディになるときと、だいたい半々だ。経験があったばかりに二の足を踏んで、ちっとも前進しないといったケースは多い。年寄りの消極さを形成する最大の要因は経験である。
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今日は、左官屋さんがタイルの仕上げをした。設備屋さんも来て、バスルームのトイレや洗面の器具を取り付けた。漏れていた別の場所の水道も器具を取り替えてくれた。正常に戻ると嬉しいものだ。
【国語】 縦書きは嘘っぽい
1/22に「縦書き」について書いた。わりと反響があった(この3カ月では第4位)。「縦書きだと、全部作りもので嘘っぽく思えてしまう」と書いたら、一部から反発があったが、どうもその人には、「作りもの」や「嘘っぽい」が悪いイメージなのだろう。言葉のイメージだけで判断するテキスト型の特徴だ。僕は、自然のものよりも「作りもの」が大好きだし、「嘘っぽい」ものも嫌いではない。だから、小説を書いているし、模型だって、本物ではないからこそ面白い。
さて、そうはいっても、たとえば、僕の分野で学術的な情報のほとんどは横書きだ。有益な情報はすべて横書きから得られる(英語も含めて)。縦書きから得られるものは皆無といっても良い。そういう分野である。ときどき、建築の構造や材料に関して、新書で本が出ていて、縦書きになっているものがあるが、すべて学術書で既出の情報だし、それ以外には、嘘っぽい部分しかない。新聞や雑誌などに取り上げられる専門分野の情報のほとんどは、古いし、表現が間違っているし、あるいは単なる宣伝(偏った誇張)である。
だから、他分野の学術的なニュースが新聞などに載っていると、これは嘘だな、と身構える。事実、確かめるために、その専門の友人に尋ねてみると、ほぼまちがいなく「あれは、嘘だ」「ヤラセだよ」「単に、新聞社に売り込んだだけだよ」という言葉が返ってくる。このような状況から、「縦書きは嘘っぽい」という素直な表現になるわけだ。
友人の一人は、ときどきハガキを寄こす。そういう趣味なのだ。今どき珍しい草書体で、文章が綴られている。これは、僕にはできないことだし、とくにやりたいとは思わないけれど、しかし、美しいとは感じる。草書の美しさは、横書きにはできないだろう。これは素晴らしい。草書が読めない人が最近多いが、縦書きが好きならば、これくらい書けて読めると世界が広がるだろう。文字の美しさというのは、絵と同じである。
もう一度書くが、僕は縦書きになる本は、エディタで最初から縦書きで書く。横書きになる本は、初めから横書きで書く。同じ文章を、縦にしたり横にしたりすることは、できれば避けたいと思う。たぶん、この縦横変換の過程が一番嘘っぽい(信頼できない)のではないか。それは、理系の内容を文系の人が書いたり(あるいはその反対だったり)するときに混入する誤解や無知が原因かもしれない。
2007年03月14日(水曜日)
【HR】 環境が悪い
まだ寒い。風も強い。でも天気は良い。
新作執筆は、まず既に書いた部分の手直しをした。完成度は3%。暖機運転が終わったから、さくさく前進できそうな気がする(いつものことだが)。
お風呂の工事は、今日は左官屋さんが1人でタイルを張っていた。バスタブは既に取り付けられている。
お昼頃、日差しが暖かそうだったので、モルタルを練って、ミニチュア建物の工事をしたが、とても寒かった。1時間ほど頑張ったけれど、躰に悪い。
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世の中には、こちらの言いたいことが伝わらない場合が多いが、たいていは、理解してもらえないのではなく、単にわからない振りをされるだけである。わからない振りをしていれば、それでことが過ぎていく、という場合が多いからだろう。いちいち腹を立てているとキリがないが。
この1週間では、少し不愉快なことが2件あった。
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1つは、ある出版社から、昨年12月に重版した8冊の本の支払い明細が届いていなかったこと。郵便事故で届かなかったのかもしれない、と思って再発行をお願いした。
すると、この8冊を3月に発行しました、という新しい書類を作って送ってきた。そうではない、既に12月に発行したという書類は受け取っているのだ(だからこそ連絡している)。新たに書類を作ってしまうなんて、なんともその場限りのいい加減な対応である。
発行後2カ月以内に支払いがあり、そのとき明細を送ってくるはずなので、もう1度問い合わせた。すると、「それは未払いでした。今月末に支払う予定です」との連絡があった。しかし、契約の期限を1カ月以上過ぎている。そのことに気づいていないのか、ともう一度問い合わせたところ、その後3日間、経理の部長も担当者も病気で出社していない、という連絡が毎日来る。会社組織として機能していないようだ。
もう1つ。ある出版社から、僕に著作権のある本が出版された。既に文庫に収録されている短編を数編掲載したいとの手紙を半年ほどまえに受け取った。住所が間違っていたので、方々を経由して転送されてきた手紙だった。この種の企画は比較的多い。たとえばアンソロジィだとか、デジタル出版、特定の人向けの特殊な本など(ある意味で、翻訳本も同じか)。一応「承諾」の返事をした。そのうち具体的な連絡があるだろう、と思った。メールアドレスはHPに公開しているし、講談社へ郵送すればこちらへ転送される(と同じくサイトで案内されている)。
ところが、その本が出版され既に書店に並んでいたらしい。書店で見たという読者から数通メールをいただいたが、ミスが沢山あったそうだ。たとえば、表紙の森博嗣のローマ字表記が間違っている、解説中で作品名に間違いがある、など(これは小事である)。実はもっと重大なミスもあった。
その出版社の担当者から最近メールが届き、「見本を送ったが、住所が違っていて届かなかった」とのこと。住所を教えた覚えはない。何故、さきに連絡をしてこなかったのか? それ以前に、本を作る段階で、メールを1つ出すだけのことが何故できなかったのか?
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この2件は、いずれも、下手をすると犯罪といわれても文句がいえないレベルであるが、こんなことでいちいち腹を立てていたらこちらが損なので、これ以上追及しない。出版界では、この程度のルーズさはごく普通のことなのだ、とこの10年で学習した。締切一つとっても、ほとんど守られていない。10年まえの僕だったら徹底的に戦ったかもしれない。若かった僕は、戦った方が社会のため、みんなのためになると信じていたからだ。今はすっかり諦めた。
一般には、締切を守らないのは作家の方らしい。そういう人ばかりだと、これが問題にならず通っていくのだろうか。僕にとって出版界は、気持ち良く仕事ができる環境ではない。早く足を洗いたいと願っている。
【社会】 配達サービス
僕が子供の頃には、牛乳屋さんがあった。そういう専門店があったのである。どうしてかというと、牛乳は配達してもらわないと飲めないものだった。たぶん、保存が難しかったからだろう。各家庭の屋外に、郵便ポストとは別に、牛乳受けなるものが置かれていて、そこに牛乳が毎日入っている。そして、飲んで空になった牛乳瓶を同時に引き取ってもらったのである。
既に冷蔵庫はあったし、スーパもあったが、それでも牛乳だけが何故かしばらく配達された。しかし、紙パックになり、あっという間に配達もなくなり、スーパで買うのが当たり前になった。
酒屋さんも、かつては配達をしていた。酒も醤油も米も配達だった。御用聞きが回ってきて、家まで届けてくれるのである。今でももちろんあるだろう。しかし、数は減っているし、利用しない家庭が増えているのは確実だろう。
料理の出前も、以前よりは減ったように思われる。ラーメンや寿司を家まで届けてもらう機会は減っているのではないか。ピザだって、この頃店が減ってしまった。食べるためには出かけなければならない。
配達するための人件費に対する理解が、日本にはなかった。配達は無料のサービスだと考えられていたからだ。しかし、この経費を削れば安くできる、という合理化が行われたわけだ。
これからの高齢化社会では、自動車を運転して買いにいけないお年寄りだけの家庭が必ず増える。配達サービスは重要になるだろう。個々の業種が行うよりも、買いものと配達だけを請け負うシステムが主流になるのではないか。これが本当のコンビニエンスである。
2007年03月13日(火曜日)
【HR】 個人差はありますが
昨日よりは少しましだが、でも寒い。屋外活動はすべて中止。今夜から新作を書く。昨年の7月に3000文字ほど書いたものだが、頭の暖機運転に少しかかるかもしれない。
午前中は、昨日の続きでアンプの周波数特性の測定。4号機と5号機は重いから、工作室へ簡単には運べない。この2つは、計測器をすべて書斎へ持ち込んで測るしかない。それ以外のものは測定が終わった。
意外なことに、測定の生データは、普段聴いていたときの感覚とよく対応している。測定値は電圧だが、これをワットにすると2乗になり、またデシベルにするために対数を取って表示するのが一般的だけれど、そうなると差が隠れてしまうかもしれない。3号機は、僕の気に入っていたアンプだが、左右のチャンネルで特性がかなり異なった。これは、最初トランスをショートさせる配線ミスをしたためにダメージがあったのだろう。こういうことも測定するとわかるものか。
安いICアンプが健闘しているが、欠点もあるため、今日届いた部品と幾つか交換してみた。でも、あまり効果がなかった。ネットを調べると、同様の問題を抱えている人が多かったけれど、決定的な解決策はないようだ。つまり、これが仕様か。少なくとも、僕が作ったアンプの中ではコストパフォーマンスは一番良いから、たとえば、誰かに作ってくれと依頼されたら、これを作るだろう。でも、僕には一日聴いていると少々疲れる音である。
パワーアンプは、あと1つ作ったら、少しお休みして、今度はプリアンプや、D/Aコンバータあたりを作ってみよう、と考えている。実家にはLPレコードが沢山あるから、プレイアを手に入れて、イコライザアンプを作って繋ぐ手もある。でも、たぶん面倒だろうなあ。
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ダイエット商品のCMでは、必ず「個人差はありますが」というフレーズが入るようだ。たとえば、「個人差はありますが、1カ月で15kgも、たった1カ月でですよ、凄いですねぇ、15kgも痩せたのです、という人もいるのです」と中央の「1カ月で15kgも!」のところを強調して話すが、重要なのは「個人差はある」と「という人もいる」の部分である。1人でもそういう人がいれば嘘ではない。その人は死にかけていて、放っておいても1カ月で15kg痩せたかもしれない。
この方式でいけば、たとえばどの作品でも、「個人差はありますが、森博嗣の最高傑作、これがもう空前絶後の最高傑作だ!、という人もいます」と宣伝できるわけである。冗談ではなく、これは事実。どの作品も必ず「今までで一番良かった」と言ってくる読者が存在する(全部読んだうえでの判断かどうかは不明だが)。
保険会社の宣伝を見ると、巧妙に「得だ」というイメージを言葉に潜ませている。ある程度の「安心」は買えるが、それは「不幸」を和らげるだけである。それと引換に「損」をする。それが保険の仕組みだ。保険で得をすることは、基本的にない。だから、「お得です」というのは、他の保険、昔の保険に比較した場合のことだろうか。保険に入らない場合と比較すれば、(平均したら)明らかに損である。
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【理科】 3本の矢
毛利元就の有名な話。作り話だろうか。
3人の息子たちに1本ずつ矢を手渡し、これを折らせた。3人とも簡単に矢を折ることができた。そこで、今度は3本の矢を渡し、これを折らせた。すると、誰も3本まとめては折れなかった。こういう持って回ったことをさせて、「力を合わせてことにあたれ」と教えたのである。「仲良くやれ」と言葉でいえばすぐに伝わるのに、こんなパフォーマンスを見せないとわからないほど、息子たちの頭が悪かった、というふうに素直に受け止めてはいけない。
矢が曲げられた場合、同じ硬さ(弾性)であれば、同じ変形量に対して同じだけ抵抗するから、3本を束ねると、ほぼ3倍の力が必要となる。意外性もなにもない、3本で3倍になるだけだ。
しかし、この束ねた3本を接着剤で固めてしまうと、どうなるだろう。たとえば、横に3本が並ぶ平面的な配置で接着して(1:3の長方形に収まるような断面になるが)、3本を同じ形で曲げる(長方形の短辺方向に力を加える)場合では、接着しない場合と同じで3倍のままであるが、その直角方向に、すなわち3本が重なった方向に曲げようとすると、もの凄く(ときには何十倍も)強くなっている。また、3本を正三角形の断面になるように接着剤で固めても、3倍よりも数倍強くなる。
したがって、毛利元就は、にかわで固めた3本の矢を息子たちに手渡し、兄弟がこのように一心同体になれば、3人分よりもさらに強くなれると教えれば良かったのだ。そちらの方が説得力があったはずである。逆にいえば、この程度の力学的センスが毛利元就には欠けていた、やはり、自分で城を築いたり、工作をしたりするような暇もなかったのだろう、と想像できる。
こういうことを書くと本気で怒ってくる人がいるからな……、まあ、いいか(独り言)。
2007年03月12日(月曜日)
【HR】 趣味の実験
朝から変な天気で、雪が降ったり、霰が降ったり、そうかと思うと晴れ渡ったり、という目まぐるしい天気。とにかく非常に寒い。
「銀河不動産」は手直しをして文春へ発送。終わり。事務処理課題は、銀行向けの書類も書いて印鑑を押して封筒に入れた。進捗は90%に。もう少しだが、最後の銀行が頑固で困っている。
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工作室では、部品を探したり、整理をしたり、次のプロジェクトへ向けて態勢を整えているところ。たいてい、このように態勢を整える段階で、不足なものが幾つも見つかって、すぐにはスタートができない。準備委員会を立ち上げているようなものだ。正式の製作委員会ができるまでのサブワークである。
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8台のアンプの特性を測るための実験をした。10Hz(ヘルツ)〜1MHzの正弦波をインプットして、出力の傾向を測定した。いわゆる周波数特性というもの。どの周波数も同じレベルで増幅しているとは限らない。このほか、各周波数で、矩形波を入力して、波形の乱れをオシロスコープで調べた。これがいわゆる「歪み」であるが、こちらは定量化は難しい。正しい波形を引き算して、その差分を積分した値を求めることが一般的なようだが、トータル量よりも、乱れ方を見た方が、耳で聴いている音のイメージに近いように思える。
アコースティック・エミッションの研究で、波形のスペクトルから、その音が出た原因を分類しようとしたことがあるが、非常に難しかった。演算や処理を駆使しても上手くいかない。しかし、その波形を可聴音にして聴くと、音で判別ができる。たとえば、人間は人の声を聞いて、誰の声か聞き分けられるし、言葉も解読できるが、これを機械でさせると、もの凄く難しい解析になる。どちらにしても、数個の数値に還元してしまうと情報量は失われる。
数字を沢山記録して、あとでエクセルでグラフを描いてみた。手で描いても良いが、対数グラフが必要だし、対数グラフ用紙なんて、普通の文具店ではもう買えないのではないか。今日は8台のアンプのうち2台の測定ができた。
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ほかのメディアで書いたことがある。ホビィ(hobby)は、「趣味」と訳されている。日本人は、「趣味」に対して、「本業ではないもの」「遊び」あるいは「暇つぶし」といった認識をしている場合が多い。しかし、欧米ではそうではない。hobbyは、その人物の人間としての奥深さを評価する重要なファクタの1つである(「無趣味」は「無職」と同じくらい眉を顰められたりする)。まあ、別に他人の評価などどうでも良い。ただ、「しょせん趣味だ」とか「趣味だからほどほどに」といった考えは、少々浅はかだと思うだけだ。
歴史を見ても、多くの数学者が、趣味で数学を楽しんでいた。それが本業ではなかった。ほかにも数多くの発見が、個人の趣味の活動から生まれている。hobbyは、日本語に訳すならば、「個人研究」あるいは「家庭研究」が近いと思われる。
ちなみに、スポーツやレジャはhobbyではない。これは、欧米でもそう認識されている。だから、たとえば「hobbyはテニスです」というと、テニスの歴史について研究しているのか、と誤解されたりする。
【算数】 対数グラフ
理系で頻繁に使うグラフ用紙に、「対数グラフ用紙」がある。普通のグラフ用紙は、マス目が均等に入っているが、対数グラフのマス目は、粗いところと細かいところが繰り返され、一般の人が見たら、「こんなもの、どうやって使うんだ?」という変なグラフ用紙である。
普通のグラフでは、1, 2, 3が、同じ間隔で並んでいるが、対数グラフでは、1, 10, 100が同じ間隔になる。つまり、示したい数字のlogを取り、その値が長さになって表れている。この「logを取る」という意味がわからない、それ以前に読めない、という人もいると思うが、読み方は「ログを取る」である。カタカナで書くと「記録を取る」という意味に誤解されてしまう。
logにはいろいろあるが、一般に馴染みがあるのは、「10の何乗か?」というものである。たとえば、100は10の2乗だし、1000は10の3乗である。だから、100のlogは2、1000のlogは3だ、といって良い(厳密には少し表現が違うが)。このようにすると、10が1、100が2、1000が3と、同じ間隔で並ぶことが理解できるだろうか。
対数グラフ上にある数aとbをプロットする(a<bとして)。すると、a点とb点の間の距離(長さ)は、b/aになる。また、aとbを乗じた値abが、グラフ上ではaの長さとbの長さの和になる。これは、log(ab)=loga+logbだからである。この理屈を応用し、対数グラフをそのまま目盛りにした定規を2つ作ると、かけ算ができる計算尺になる。
一般に使っている数でも、たとえば地震のマグニチュードや、騒音のデシベルなどが、測定値(エネルギィなど)のlogを取った値である。
2007年03月11日(日曜日)
【HR】 詩的考察
大風の一日。スバル氏が朝からタクシーを呼んで出かけていった。パスカルがしょんぼりしているので遊んでやった。
体調は良くない。だから大人しくしていた。夕方はマスクをしてパスカルを散歩に連れていった。
午前中に、「銀河不動産」を書き上げる。12000文字。明日手直しをしたら1000文字増えるだろう。予定どおり。明後日からは、書き下ろし長編に移る。集英社で8月に単行本になる予定のもの。今月中に書き上げることが目標。途中でゲラが4つくらい割り込むだろうか。写真は、羽海野氏カバーイラストの「MLA5」である。「4」に比べると2ページ減だ。頑張ろう!
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昨日、I子氏と話したこと。小説の中にポエムっぽい部分が出てくると、読者の1割弱を占める「小説読みの人」は、そこが「意味がわからないから」と敬遠するようだ。彼らには、物語とは必ず意味がわかるものでなくてはいけないからである。
たとえば、テレビドラマを見慣れていると、劇場映画を見てわけがわからなくなることがある。さらには、音楽のプロモビデオなどを見ると、全然意味がわからない。だから、「もう見ていられない」と目を逸らす。しかし、普通(大勢)の感覚というのは、面白ければ良い、楽しければ良い、新しければ良い、綺麗なら良い、というものである。どちらが素直だろうか。
日本語は、目で捉える文章である。日本語を読んでいる人は、読み方に拘らないことが可能だ。漢字が読めなくてもだいたい意味が通じてしまう。だから、言葉が持っているリズムや、音の美しさに触れる機会が少なくなる。同様に、文章のリズム、文章が持っている美しさに触れずに、物語だけを追う傾向が、ほかの国の文学よりも強いかもしれない。もちろん、全員がそうではない。数的には一部の人たちだろう。しかし、その一部の人たちが1日に2冊も3冊も小説を買い、たちまち読み、そして愛読者カードを送り、ブログにも小説の書評を書く。出版社で本を作っている人たちも同じ人種だ。普通の感覚をすっかり忘れているように、僕には見える。
たとえば、日本では詩人があまりメジャにならない。小説家は名前を挙げられても、詩人の名を(特に、生きている詩人や、若い詩人になると)挙げられる人はごく少ない。中国語でも英語でもドイツ語でも、詩は非常に地位が高く、また大衆に愛されているが、これは、日本語が持っている上記の特徴から来るものだろうか。
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もっとも、書店を見て回ると、実は、文字がほんの少ししかない本がけっこう沢山あって、その種のものが意外に数が売れているのである。活字中毒者のように1日何冊もは買わないが、ときどき詩を読んでみたい、絵本を開いてみたい、という人は大勢いる。むしろ人数はずっと多い(10倍以上いるだろう)。
メールが手軽に出せるようになったおかげで、愛読者カードやファンレターまでは送らなかった、という人たちが、1行だけ作者にメッセージを送る時代になった。「面白ければ良い」と望んで読む人は、「面白かった」と素直な短い感想を書く。これ以上に、ストーリィがどうの、構成がどうの、という分析をしない。その人が手にするのは、この次は本ではなく、音楽かそれとも映画かもしれない。大多数の人は、ここに属している。サイレント・マジョリティと呼ばれているけれど、サイレントなのではなく、言葉(理屈)でわかろうしていないだけだ。ただ「感じたい」人たちなのである。1行のメッセージが手軽に出せる時代になって、以前よりは、この人たちからの声が届くようになった。そういったメッセージによれば、若い人たちには(昔も今も)詩の需要がある、と僕は感じている。
【国語】 暁
暁(あかつき)というのは、もともとは、夜を3分割した、宵(よい)、夜中、暁の1つだった。だから、たとえば、夕方6時から朝の6時までの12時間が夜だとすると、6時から10時が宵であり、10時から2時が夜中、そして2時から6時が暁である。つまり、暁には、空が明るくなっている、という意味は必ずしもなく、夜が明けようとするとき、つまり明けるまえである。「暁闇」という言葉もあるが、これは月も沈んでしまって真っ暗になる暁のことだ。
でも、現在は、暁といえば一般に、空が白んでくる朝方のことを示すようだ。
小学校のとき、生徒会の役員の選挙があったが、立候補した人がみんな口を揃えて「私が当選した暁には〜」と演説をしたので、僕はそのときに「暁」という言葉を覚えたかもしれない。辞書によると、「ある事象が実現したそのとき」と意味が書かれていた。つまり、実現するものが、良いものか悪いものか、という制限はないようだ。すると、「宝くじに外れた暁には〜」「会社を首になった暁には〜」というような用法は間違いではないのか。否、「実現した」というのは、意思どおりになったという響きがあるから、やはり当事者にとっては望みのものでなければならないだろう。
間違えて、「曙(あけぼの)」を使わないように。「私が当選した曙には〜」なんて言うと、春霞がかかっているような、花粉が目一杯飛んでいるような、どんよりとした朝が来そうである。
2007年03月10日(土曜日)
【HR】 嬉しい重版
また晴天。朝から小説の仕事をした。「銀河不動産」を4000文字書いて完成度100%に。でもまだ終わらない、手直しも明日以降。
お風呂の浴槽などが朝届いた。設計士さんや施工の人が午前中に4人来て、搬入や打合せをしていった。僕は話には加わっていない。月曜日から工事になる予定。ジェットバスになるので楽しみ。パスカルも洗ってやれる(ジェットバスではなく、シャワーで)。
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7台めのアンプは昨夜完成して、正常に音を出した。安い部品を使っているわりに非常に良い音がして、この新しい回路の優秀さがよくわかった。もっと上等な部品を使ってみる価値は大いにありそうだ。それとは別に、8台めのアンプもあっという間に作ってしまった。こちらは、7000円の基板キットと3000円の電源基板を購入して組み立てたもの。真空管ではなくICを使った超小型アンプだ。20kgもある真空管アンプと同じ機能が、シャープペンの芯のケースくらいの大きさに収まってしまっている。ハンダづけが大変だったが、なんなく音を出した。熱くならないし、小さいのに厚い音を出す。普段はこれで充分かも。特に夏に向いているだろう。7台めも8台めも、まだ調整が必要で、改造する予定。部品交換の必要がある箇所も多い。さっそく、その手配をネットでした。さて、9台めのアンプは……、と構想中。
お昼頃には暖かかったのでガーデニング。外で苗を植えたり、雑草を抜いたり、水をやったりした。また、モルタルも練った。楽しい。そのあと、ゆっくりコーヒーを飲みながら、読書など。
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夕方は、メディアファクトリーのI子氏が来宅。「奥様は〜」のゲラを手渡した。「MLA5」の見本ももらったが、その写真は明日。そうそう、なんと「MLA1」の重版が決まった。発行後1年になるが、このシリーズで重版になるとは思わなかったので、非常に嬉しい。I子氏に対する責任も少しだけ果たせて良かった。
しかし、小説よりも何倍もエネルギィも時間もかかっているし、僕自身は、こちらの方が作品として価値が高いと考えている。それでも、小説の10分の1くらいしか世の中に出ない。小説なんか初版本を持っていても価値は全然ないが、こういう本こそ、将来手に入らなくなるだろうし、もしかしたら価値が上がるのではないか、なんて思うのだが……。いや、べつにおすすめしているわけでは全然ない。
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今日も、I子氏と「薄い本が売れる」話をした。本を作っている人たちも、また、愛読者ハガキを書くような一部のファンも、活字が大好きな人たちだから、想像もできないのだろう。でも、同じ値段で、片方は3分、片方が4分の曲があったとき、4分の方を、「長く楽しめるから」とか「情報量が多いから」という理由で買うだろうか。それと同じくらい、文字が多い方が得だという考え方は、一般の人から見たら変なのである。電車や飛行機だって、少しでも長く乗っていたい、遅い方がお得だ、と考えるのは、鉄道マニアだけだ。
僕自身は、迷ったとき、同じ値段だったら、まちがいなく薄い方の本を買うし、文字が少なく、写真や図が多いものを選ぶ。同じ内容ならば、短時間で読めるものの方が得をした気分がする。文字が多い方が良いのは、辞書くらいではないだろうか(辞書でも薄い方が良いが)。
そんなことよりも、「文字数なんてどうだって良い」が正しい理解だろう。でも、このMLAも、日々文字を少なくしようと努力している。
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写真は、昨日届いた「人間は考えるFになる」(文庫版)の見本。コジマケン氏の素敵なカバーである。この種の本はやっぱり文庫だな、しかも薄くて良いなあ、とつくづく思った。今回、土屋先生と僕の「あとがき」が加わっている。確信的「相変わらずさ」が堪能できる一冊。
【体育】 高飛び
悪いことをして逃げたいわけではない。陸上競技の高跳びである。
たとえば、スポーツは男女で記録を別に扱う。それは、体力の差があって、生まれながらのハンディだから、ということだろう。しかし、たとえば高跳びの場合、男女の差以上に、躰の大きさのハンディが大きいのではないか。世界中の人種が一同に介して競うのならば、自分の身長の何倍を飛べるのか、といったルールにした方が公平だと思われる。
もちろん、高さ(大きさ)以外にも、重さがある。物理量で表すならば、バーの高さと躰の重心高さの差に、競技者の体重をかけた値が、ポテンシャル・エネルギィあるいは仕事量の観点から評価値に適切であろう。この値が大きい人が勝者であり、記録として認めるべきではないか。体重が2倍の人は、半分の高さを飛べば良いことになるので、どんな人でも、記録に挑戦してみようか、という気になるだろう。しかしまあ、体重は身長と違って、個人でコントロールできるものだから、考慮に入れるべきではない(つまり、挑戦するなら痩せろ)、という考え方もあるかもしれない。
同様のことは、幅跳びにもいえる。また、水泳などでタッチの差で1位2位が決まってしまう場面を見ると、「でも、スタートのとき、足が離れる瞬間で見ると、身長が高い人は、最初からその分リードしていたのだから、実は2位の方が泳ぐことだけでいえば速かった可能性があるな」などと考えてしまうわけである。
こういうことを考えている人間はきっとスポーツ界にはいないから、まあ安心してよろしい。
2007年03月09日(金曜日)
【HR】 諦めのスローガン
今日も晴。昨日よりは少し暖かいかもしれないが、でも、風は冷たい。ガーデニングを少しだけした。リシマキアの新しい緑の葉が方々に出始めている。このまえ買った苗を全部植えた。スバル氏が今日も苗を買ってこようと言うので、ホームセンタへ行き、10個くらい購入。これはまだ植えていない。
午前中に小説の仕事を片付けた。「銀河不動産」第3話を4000文字書いて、完成度60%に。「DAY & NIGHT」のゲラ校正をして、宅配便で発送。文字の手直しは少ない。「日経パソコン」のゲラ校正もした。「奥様は〜」のゲラは95%まで見た。明日、I子氏が取りにきてくれることになった。
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3月になってから、工事が中断していたが、明日材料を搬入して、来週いっぱいお風呂の工事を行うことになった。お風呂ができたら、パスカルを洗ってやりたい。
これで今回のリフォームは、一応終了の予定。そのうち、ホビィ・ルームやセバスチャンの部屋なども直すかもしれない。寝室の壁に書棚を作るのも、今はまだ。
工作は、庭でモルタルを練って、左官仕事を少し。それから、工作室で、小さな基板のハンダづけ。ICをソケットなしでハンダづけしたけれど、めちゃくちゃ小さい端子なので、ついたかどうか、虫眼鏡で確認しながらの作業だった。小さすぎだよ、と思う。目の悪い人はできないだろう。
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今日も、例の件で銀行と電話で話をした。4日まえに「上司に相談する」と言っていた事項だが、今日は「本部へ問い合わせている」に変わった。上司でも判断がつかなかったのだろうか。「どうして、こんなことをする必要があるのか?」という簡単な問いに、そこまで話し合わないと答えられないほどならば、潔くやめれば良いではないか。現に、この銀行だけが必要だと言っている。他行では廃止されているものなのだ。余計な仕事をしている人間が多いな、とつくづく思う。
社会人というのは、「みんなで諦めよう」といったスローガンでもあるように僕には見える。つまり、「いや、それが正しいのはわかっているんですが、なかなかねぇ〜」と言いながら、間違ったことを続ける。理由もなく、そのまま続けているのである。正しいとわかっているなら、すぐに正せば良いではないか。何が「なかなかねえ〜」なんだ?と思う。ようするに、自分ではやりたくない。正しくする変更が面倒で、間違っていても、せっかく今までこれでやってきたんだから、という「惰性」を尊重するのである。よほど間違いが大きくならないかぎり、そのまま放置する姿勢である。結局は、無駄が増大して、みんなが長く損をすることになる。
ただ、合理化をすると仕事がなくなってしまう職種も多い。事務系の職員は、本能的に自分たちが不必要になることを予感し、恐れているのではないか、と思われるほど鈍感力を発揮する。「無駄でもいい、給料さえ出れば」というスローガンなのだろう。
【社会】 機動隊
今の若い人たちは、ストライキを知らない。言葉は知っていても、どういうものか、イメージがない。そういうものを見たり、出会った経験がないのだ。
若い人たちは、こう考えている。労働者が団結して、みんなでストライキをしたら、経営者は全員を解雇するだけのことではないか、と。そういえば、この頃は、労働組合などの活動もあまり目立ったものがない。労働組合自体が、ほとんど機能していないところも多いと聞く。
学生運動も、既に歴史的なものになってしまった。学生が団結して授業をボイコットしたりして学校に待遇の改善を求める、なんてことは、今の学生には信じられない行為であろう。そんなことをしたら、全員単位を取れなくなって、全員留年になる(現にそういうことは過去に実例がある)。
そこまではしたくない。べつにそうまでするほど不満はない、というのが、豊かな現代の労働者そして学生だろうか。
かつては、もっと過激になって、暴力行為に及ぶようなことも多かった。町中で集会をして、ジグザグデモをして、機動隊とぶつかって、火炎瓶を投げたり、放水されたり、催涙ガスを打たれたり、石を投げ、殴り合って、流血騒ぎになった。そんなことは、僕が子供のときには日常茶飯事で、大きくなったら、あんなことをするのだな、とぼんやり眺めていたものであるが、最近ではさっぱり消えてしまった。本当に、昔はなにかと物騒だったなあ、と思う。機動隊なんか、この頃見たことがない。銀行強盗も立て籠もりも乗りものジャックも、近頃ほとんどないのでは? 争いごとをけしかけているのではない。みんな学習して賢くなったのだな、と思うのである。
2007年03月08日(木曜日)
【HR】 梅発見と人事異動
晴ときどき曇で寒い。スバル氏が昨日買ってきた薔薇だけ植えたようだ。あとの花の苗はそのまま。ちょっと外に出るには寒い。もちろん、いつもの冬よりはずっと暖かいのだが。
庭(というか敷地内)に梅の樹があることを発見した。いつの間に育ったのか、もう高さは4mくらいある。枝には白い花が沢山咲いていた。咲いていたから、気がついたのだ。たぶん梅だろう、と思っただけであるが。
桜の大木が家の近くに立っているが、これが先日の大風で、家やデッキに当たったらしく、枝が何本も折れていた。一番長いのは2mくらいの枝が折れていた。順調に育っても、こういったアクシデントで生きものは制限を受ける。これが自然だ。
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「奥様は〜」のゲラを75%まで見た。「銀河不動産」第3話を2000文字書いた。調子はまあまあ。台湾版の「恋恋蓮歩の演習」の見本が届いた。「の」が「的」に変わっただけで、ほぼそのままのタイトル。いつもながら、お洒落なデザイン。
大きな出版社では、人間の異動が多い。担当者が替わることが珍しくない。何度も会って話をして、熱心なので、では、この人のために作品を書いてあげようか、と思った頃には、もうその担当者がいない、ということが過去に何度もあった。別の部署へ移ってしまったり、別の出版社へ替わってしまったり、という具合である。
こういうときはビジネスライクに、「では、こちらも担当者を替えましょう」と、連載作品やシリーズものの登場人物を入れ替える、なんていうのが良いかもしれない。その方が心機一転できる。もっと良いのは、これを機会に、作家を替えていただく、というのが素敵だ。少なくとも、これまでお世話になった、という恩義というのか感謝の気持ちというのか、それがリセットされるわけで、作家(というか僕)側から見れば、借りがなくなって、借金が突然ゼロになって、なんとなく得をした気分になる。出版社側には明らかに損失だと思われるが、それでも、社内ではメリットがいろいろあるのだろう(2/16の【社会】「任期について」を参照)。
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昨日基板を作ったデジタル電圧計をケースに入れて完成させた。抵抗を組み込み、レンジを切り換えられるようにした。昨夜は基板のプリントが細かくて小さくて、実に大変だった。部品も小さいし、熱に弱そうだし、パワーのないハンダごてを使っていたけれど、これが生ぬるい。やっぱりICは嫌だな。でも、ケースの穴開けなどで、今日の方が時間はかかった。ただし、できたメカがコンパクトなのは非常によろしい。真空管ばかりやっていないで、半導体でアンプを1つくらい作って、比較をした方が良いかも、と思い、さっそく部品を発注。でも、高校生のときにパワートランジスタのアンプを作ったが、あのときの印象が悪すぎる。今はもっと部品も良くなっているだろうか。
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長女M氏がパスカルの小さな絵を沢山描いたので、そうか、こんなふうに彼女はパスカルを見ているのか、と思った。絵を描かせると、その人がどのように頭の中で捉えているか、だいたいわかる。絵が描けない人は、頭の中で明確なイメージをしていない。ボールペンで僕が落書きしたパスカルが、この写真。もちろん、実物を見て描くのではない。ちょっと顔が大きいが、これはデフォルメというよりも、頭の中のイメージなのである。この絵は、塗り絵になっている。
【理科】 月面弓道
真空中を移動する物体には、空気抵抗が生じない。したがって、一度速度を得てしまえば、推進力がなくても、そのままの速度で運動を続ける。さらに、その飛んでいるときの姿勢も、我々が一般にイメージしているものとは異なっている。
月面で弓を構えて矢を放ったとしよう。矢は普通に飛び出す。そして、空気抵抗がないし、重力も小さい(6分の1くらい)ので、地球上で届く距離の10倍くらい飛ぶかもしれない。地球上で50m先の的を狙えるなら、月面では500m先の的を狙える(ただし、的を大きくして)。
もちろん、直線では飛ばないので、上を狙って、山なりの軌道で飛ばせば良いだろう。前進速度の水平成分は一定であり、重力によって落下する時間内に、どこまで水平に移動するかで、飛距離が決まる。
しかし、上手くはいかないものである。的に矢が刺さらない確率が高いのだ。速度が不足しているからではない。空気抵抗がないので、矢は地球上よりも速い。
飛んでいるときに、矢の尖った先が必ず前にあるとは限らないのだ。飛んでいる途中で、矢が回転をする。弓を離れたときの、ほんの少しの回転力によって、矢はすぐに回転を始める。縦あるいは横になったり、反対向きになったり、ゆっくり回転しながら飛んでいくだろう。重い鏃(やじり)が前で、空気抵抗を受ける羽根が後ろ、という地球上では当たり前の飛び方には、月面ではならない。
2007年03月07日(水曜日)
【HR】 関係と無関係
晴れた。朝からスバル氏がガーデニングを始めたが、少し寒い。そのあと、ホームセンタへ一緒に花を買いにいった。だんだん風が出てきてさらに寒くなったので、外に出る気にはなれなくなって、また明日。
午後は、ガレージで音楽をがんがん鳴らしていた。昨夜、また1つちょっとした装置を自作したので、それを試した。なかなか具合が良い。7つめのアンプはほとんど組み上がり、現在、調整&パーツ待ち。今日は、デジタルの電圧計を作った。計測器をいろいろ作って、環境を整えている。工作台の掃除もした。そろそろ機関車製作に復帰したいところ。
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出版社とのやり取りをしていて、よく出るのは、「値段を抑えたい」という言葉だ。営業的に、少しでも安くしたい、という気持ちはわからないでもないけれど、数十円、あるいは数百円下げるために、内容を削ったり、装丁をグレードダウンしたり、つまり、値段のために質を落とすことが多い。おそらく出版物がまだメジャだった頃の名残だろう。既に、小説をはじめ、ほとんどの出版物はマイナで趣味的な商品になっているのに、作り手の思考回路が古いままなのではないか。趣味分野であれば、値段を上げてでも凝ったものを目指すのが常識だ。たしかに、まだ何万、何千という数が売れているからマイナではない、という考えかもしれないけれど、何百万、何十万もは既に出ていないわけで、頭の切換えが必要だと僕は思う。漫画ももうマイナだから、早く本の値段を上げた方が良い。そのかわり、印刷をもっと上質にするべきだ。どうも、30年くらい昔の、高度成長期のノウハウに未だにしがみついているように見える。