2007年02月09日(金曜日)

【国語】 想像を期待する伝達

 簡単なことで迷うことがある。たとえば、「事故に注意する」という表現は正しいのか。それは、道路で事故があったら、それをじっくり見にいくことだろうか。本当は「自分が事故をしないように注意する」の意である。では、事故をしないように、何に注意をすれば良いのか。そこは自分で考えろ、という意味だろうか。いや、注意するのは人間なのだから、「事故をしないように●●さんに注意をする」という記述が正確である、という人もいるだろう。いやいや、それではもともとの意味とやや違っている。注意するものは、やはり起こりうる可能性に対してであろう、ともいえる。
 「空き巣に気をつけて下さい」というのは、空き家にしないように気をつけろ、という意味だろうか。「空き巣狙いの泥棒に気をつけて」という意味だとしても、そういう泥棒がどこにいるのかわからないから、気をつけるわけにもいかない。そうではなく、「空き巣ねらいの泥棒が入らないように、気をつける」という意味だが、しかし、結局何に気をつければ良いのか。それは、戸締まりであるとか、それらの防衛手段に気を配ることを意味している。相手がここまで想像することを前提に、最初の言葉が発せられているのだ。
 言葉は、もともと相手の想像力を期待した伝達方法である。言葉を知っているとは、この想像による補助・展開ができるという意味だ。できるかぎり想像を必要としない記述もあれば、逆にほとんど想像に任された記述もある。通じるか通じないかの両極があるのではなく、その間のいろいろなレベルで伝達される。
 重要なことは、相手にどの程度自分の伝えたかったコンテンツが理解されたかを確認(あるいは自覚)することである。確認できないときは、またも想像するしかない。ただ、「相手の想像」を想像して発信することが大事だ。どうしても、言葉が多くなり、表現がしつこくなるけれど、少なくとも言葉を尽くすことで理解は高まるようではある。これだけが救いだ。

« 1つ古い記事「美容院」 | 1つ新しい記事「壊れた?」 »