2007年02月05日(月曜日)

【HR】 達成したくない

 起きたら9時だった。爽快。すぐに仕事をした。「イナイ〜」は12000文字を書いて完成度は100%に。もう少しだけ。明日終わる予定。仕事が終わった気分になって、庭でパスカルと遊んだ。とても暖かい。

 スバル氏と銀行とショッピングセンタへ。吹き抜けの広場で小物類が沢山並んでいて、ぼんやりと眺めていたのだが、それは全部チョコレートだった。ようするに、チョコレートとして僕は見ていなかった。スバル氏は、この季節にしか手に入らないアイテムがある、とおっしゃっていた。何だろうか。きかなかったが。
 そういえば、昨日アマゾンからCDが1枚だけ届いた。注文したうちの「在庫あり」になっていたもので、これは新発売のもので、どこへ行ってもたいてい買えるものだ。2週間かかった。もう1つはたぶん無理だろう。聞くところによれば、「3〜5日で発送」も「1〜2週間後に発送」も、「手に入るかもしれない」という意味にとっていれば問題がない、とのこと。今日もCDショップで1枚買った。
 夕方、「ダ・ヴィンチ」のI子氏が「MLA5」のゲラを取りにきてくれた。来年の仕事の打合せなども。美味しいケーキをいただいた。ところで、今回の「〜5」は、「〜4」に比べてページ数は同じか、微減とのこと。次こそは……、と思う。2007年の抱負は、簡潔な日記を書くことである。

 午後は工作が3時間ほどできた。今作っているものも、だいぶ出来上がってきたので、そろそろ次のことを頭で考えている。
 これは小説もそうだが、完成する手前で、頭の中では後かたづけをしている段階になる。ようするに、気持ちはもう撤収しているわけだ。だから、実際に本当に完成した時点では、もう次の仕事で頭がいっぱいの状態になるから、「やった!」とか「ああ、終わったな!」といった感慨や、ほっとする気持ちは少ない。頭の1割くらいの最後まで残っていたチームが、「終わったね」と呟く程度である。
 研究では、この種の終わりさえない。論文を書き上げたときに、少しほっとするが、それは締切があるというだけのことで、仕事の終わりでもないし、区切りでさえない。章の終わりほどの一段落もなく、ページを捲る程度の切り換えにすぎない。
 だいたい、やればやるほど、謎が増えていき、どんどん把握できなくなっていく。その中から出来ることだけをやるわけであるから、なにかを達成するというよりも、1つ作るごとに、達成できないものが増える、それを知る、という感じである。
 では何故続けるのか、と問われれば、簡単である、終わりたくないから、言い換えれば、達成したくないからだ。

【国語】 「機械」のイメージ

 スバル氏から聞いた大臣の失言のニュースである。彼女は、「きっと、言葉の弾みで言ったか、違う意味で使ったのではないか、可哀相に、と思っていたら、実際に話しているところの映像が流れて、本当にそのままずばりだったから、驚いた。あれはやっぱり、責められても仕方がないね」と話していた。僕は事情を全然知らない。
 ところで、「機械」というのは、みんなどんなイメージに捉えているのだろう。たとえば、「機械のように働く人」といった場合、それは悪いイメージなのだろうか。
 僕が子供のときには、「機械のように」というのは、良いイメージで使われることが多かった。正確で間違いがなく、精力的で疲れを知らないタフさを持っている、という意味だったかと思う。いろいろなものが機械化され、オートマティックになった時代だった。自動化されることは素晴らしいことだった。外国でも、人に対して「マシン」という渾名をつけることが多いが、おおむねそれは天才的に素晴らしい、正確無比である、という尊敬の念が籠められていた。
 ところが、ここ数十年は、人間、環境、生命、といったものがクローズアップされるようになり、「人間は機械ではない」という否定的なイメージで使ったものを耳にするようなった。気持ち、心、精神、感情といったものが機械にはなく、生きものにはそれがある、という再認識であり、機械は生きものよりも下等だという当たり前のことを、確認したわけだ。そんなところから、「しょせん機械だ」といった台詞も多く聞かれるようになった。この言葉自体が、機械を恐れている響きがあって、興味深い。
 上記の傾向は、「コンピュータ」でも同様だ。かつては、これは良い響きだったが、この頃は逆である。
 将来的なことはわからないが、人間を一種の機械と見なすことは、それほど見当外れではない、と僕は考えている。現在の医療、特に外科技術の多くは、人間を修理するものである。また、機械によって、どれだけ生命が救われたかわからない。
 「機械」という言葉くらいで人間が貶せるほど、人間の尊厳は安っぽくはないはずなので、言葉の表現程度であまり感情的になるのも人間としていかがか、とは思うところである。

« 2007年02月04日 | 2007年02月06日 »