2006年12月23日(土曜日)

【HR】 反響と誤解

 晴れて暖かい土曜日。8時過ぎに起床。午前中は3時間ほどガーデニング。ほとんどは掃除をしていた。それから、段ボール箱の解体などのゴミ作り。そのあと、ゼンマイの機関車を5台ほど出して庭で走らせた。
 洋雑誌が届いたので、音楽を聴きながら、コーヒーを飲みながら、これを読むという素敵な午後。機関車製作部のレポートもぼちぼちと作った。それから、「魔的」のゲラも半分くらい読んだ。

 インターネットは、何人が見たのか、どれくらい引用されたのか、などのデータを比較的掴みやすい。これが、今までのメディアにはなかった特徴だ。雑誌や書籍などでも、読者からの反響を非常に気にしているけれど、反響とはつまり自主的にアンケートに答えたり、ハガキなどを送ってくる人間の声であって、それが平均的なものでないことは自明である。つまり、わざわざ意見・感想を伝えてくるような人はごく一部の特殊な集合だからだ。これは、どんな分野でもいえる。テレビの視聴率などは、調査が正しく行われていれば(これが大いに疑わしいが)、平均に近い数字を出すだろう。でも、あくまでもごく一部のサンプルによる集計である。
 インターネットはその点では「手応えのわかる」メディアといえる。広告などが、ここに集まりつつあり、ビジネスが広く展開しつつあるのも頷ける。
 さて、このMLAも、原稿料をいただいて書いているのだから、それなりに反響を意識している。ときどき挑発的なことを書けば反響の数字は上がる。しかし、数字を上げるために書くのでは本末転倒だ。またしばらくは、わざと抑えて大人しくする、といったバイオリズムになる。
 たとえば、最近3カ月くらいだと、11/24の「友達って大事か?」がだんとつで反響が大きかった。これは、予想どおり。もう何度も書いていることで、古くからの読者は「またか」と思われたかもしれないけれど、やはり大半は、新しい読者なのである。10/11の「怒らせる文章」や、11/22の「価値に相応しい値段」もその半分くらい反響があった。しかし、9/8に書いた「戦争放棄」や11/13の「書店のシステム」などは、予想よりは反響が少なかった。

 書きたいことを書くのでもなく、また僕という人間をわかってほしいから書くのでもない。また、僕という人間を好きになってもらいたいから書くのでももちろんない。それでは、素人の書くブログだ。
 読んだ人が、なんらかのものを感じる、なにかを得るきっかけとなる、あるいはそう錯覚できる、というコンテンツが必要である。それを書くことが作家の仕事だ、と少なくとも僕は考えている。プロが全員こう考えているとは思わないし、当然ながら、これが正しいとか、こう考えろ、という意味でもない。
 それから、「こんなことを書いたら誤解されるのでは?」といったご指摘も多くいただくのだが、それはもちろん覚悟しているし、誤解されないような文章を書いていたのでは、まったく仕事にならないことは確かだ。以前にも書いたが、クリエータというのは「誤解されてなんぼのもん」である。

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