2006年12月10日(日曜日)

【HR】 人生の効率

 雨上がりで晴れて暖かかったが、風は強い。1時間ほど庭掃除をした。
 「クレィドゥ」は5000文字書いて完成度は18%。「η」のゲラは40%まで見た。久しぶりに晴れたので、「η」のカバー折り返しに載せるために写真を撮った。これだけの仕事で、トータル6時間くらいかかった。やりすぎ。

 工作室では、アンプとスピーカがほとんど完成している。でも、小さなパーツが4つほどまだ届かないので中断。今日はまたラジオに戻って、配線を1時間ほどする。こういう作業をしていると、とても落ち着く。心が穏やかになる、という意味。工場に勤めて、工員になれば良かったかもしれない。正直そう思うときが多い。体力的に無理だっただろうか。それにきっと、リクリエーションとかサークルとか社内行事がいろいろあって、単に作業をこなす以外に、その種のイベントに参加しないといけなかったりするのかも。そう考えると、やっぱり勤まらないかな、と想像。でも、自分の手でものを作る仕事はやはり憧れる。
 昨日のケーキがまだ残っていて、今日も食べた。ケーキはその日の方が3倍くらい美味しい。コーヒーメーカもとても好調で、毎日何杯か飲んでいる。エスプレッソも飲むようになった。最初に200杯分くらい買ったカセットのスタータ・セットで、12種類の味を試している。またまた、たまに脈絡なく書くけれど、昨夜はすき焼きだった。すき焼きは、そんなに好きな料理でもないけれど、1年に1回くらいなら日本の醤油の塩辛さを思い出して良い感じ。
 ビートのリアウィンドウを掃除してから、まだ一度も乗れないでいる。けっこう自分が忙しいのだな、と気づく。毎日、沢山のことをしているつもりはなく、ようするに、処理が遅いからなのか。まあ、不満はない。これ以上多くをしたいというわけではなくて。

 たしかに、有能なスタッフが3人くらい身近にいたら、かなり多くの仕事を処理できるようになる。自分だけのときの2倍はできるだろう。僕が若かったら、そうしたかもしれない。そうする意味というのは、僕が生産するものが2倍になる、というだけであって、合計4人で2倍にしたのだから、効率としては半分に落ちている。もっとも、そのスタッフの3人には僕の報酬の1/4を与えれば、僕としては1/4プラスになる。
 生産量を求めるのか、それとも効率を重視するのか、というと、別にどちらでも良い。求めたり重視したりするほどのものでもない。今はそう思える。だいいち、生産量や効率を追求するのなら、庭の落葉なんか拾わないだろう。
 どんな組織にも無駄な部分はある。無駄をなくそう、と考えることは間違いではないけれど、無駄をなくさなければ、と焦る姿勢は、既に前向きではない。ときどき立ち止まって、自分の衣服についている埃を払う、という程度であれば良いが、やっきになってぱたぱたとはたき回っているようでは、傍から見ていても滑稽だし、その結果、無駄がなく綺麗になったとしても、立ち止まっていた時間は取り戻せない。無駄をなくすという行為自体が大いなる無駄だったという例は非常に多いのだ。
 たとえば、行政がクリーンになることは大事だけれど、行政はクリーンになるために存在しているのではない。これと同じように、人間は、正直であることが大事だけれど、正直になることが人生の目的であっても、ちょっとどうかと思われる。呼吸することは大事だが、呼吸するために生きているのではない、という極論を語れば、わかっていただけるだろうか。

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