2006年09月19日(火曜日)
【図工】 特別講義2
そういう意味で、森先生が「サイン会はつまらない、名刺交換会にしましょう」と思うことや、「印税はいらないし、本をみんなが読ませたい人に送りたい」と思うことも、「なんでゲラ刷りはデータで来ないんですか?」と思うことも、森先生の創作の一部だと感じています。
私の姉は全くの文系だが、型にはまることなく生きることにかけては天下一品で、中学のとき、机とイスでじめじめした校舎裏の通路に勝手に家を造り、そこにこもってマンガを描いたり、コンロで火を起こしてカップラーメンを食べたり、お茶を飲んだりして放課後をひとりまったりと過ごしていた。その家にアクセスするには崖みたいなところを這って通らなくてはならず、さらに入り口には恐ろしいインドの神様みたいな姉自作の絵がかけてあり「神様にパンツを見せないとここを通れない」という内容のことが書いてあった。やれやれ。しかし今でもその神様とそこに至るまでの危険な道の大変さとそこで飲むお茶のおいしい味が、すばらしきものとして目に体に焼きついている。
創作とは、常に死(社会的な死も含め)のリスクを必ず含んでいるのだ、と思う。
森先生が尊敬している井上昭雄さんという人を、私は一度だけお見かけしたことがある。その作品もいくつか見せていただいたことがある。おそろしいものだった。どういう機構で動いているのか素人の私にはもちろんさっぱりわからなかったが、発想が異様でしかもそれを美しいデザインで実現させるのにどのくらい冴えた頭と技術がないとだめなのか、誰が見てもわかるのである。いちばん効率よく動くようにしたら自ずとデザインも冴えたという合理性も感じられた。さらに作品からは透明でさわやかな、切れのいい風みたいなものがふわ〜、と吹いてくるのだ。人はどこまで行けるのか、なるべく雑音なくそれを行けるところまで極めたい、と私はかなり刺激を受けた。