2006年09月18日(月曜日)

【HR】 コミュニケーション

 ときどき書いておく。写真はクリックすると少し大きいのが出ます。
 長女M氏と長男S氏が家にいる。そうか、今日も休みなのか。知らなかった。何の日だろう。外国製のカレンダを使っていると、気づかないことがある。こういうのは、グローバルというのか。そういえば、ひと頃ほど、グローバルって聞かなくなった。むしろ、ローカルの方向なのかもしれない。地域密着型というべきか。ただ、地理的なことに囚われていると、ネットの時代、少し危ういかも。

 台風のために風が舞っている。しかし、気温はむしろ高め。ガレージの中で吹き付け塗装をしながら、少しずつゲラを読んだ。「四季 春」を40%くらい。このところ、1日に5時間以上ゲラに費やしている。年末に文庫が何冊も重なっているから。
 今日から、長編の執筆なので、とりあえず、新しいフォルダを作り、タイトルと引用と人物表と目次などを書いた。Gシリーズの第6話になる「ηなのに夢のよう」だ。このシリーズから森博嗣を知ったという読者がとても多い(60%以上と予想)が、作る方も最初から、そういったデザインで臨んでいる。ちなみに、シリーズ名は、最初からGシリーズである。変更はしていない。
 一方では、読者の大半は文庫を読んでいるため、ようやくVシリーズをそろそろ終えるか、という位置で、現在最も多いファンメールはVシリーズ後半である。

 面白いのは、シリーズを最初から通読されている人に限って、「最初から読むべきだ」とおっしゃるし、また、「最初から読んできた者だけにわかる面白さだ」と主張する。一種のコレクタ心理といえる。しかし実際には、シリーズを通して読んでいる人は、割合的には非常に少数であり、ほとんどの人は、書店にたまたまある本を手に取り、順番もあまり気にせず、また断続的に読む。「ほとんど」というのは、具体的には80%くらいのイメージ。
 「いや、すべてを知らなければ、見逃してしまう部分がある」と言われるかもしれないが、しかし、すべてを「順番に」知る必要はどこにもない。また、すべてを知ることは、そもそもできない。もしすべてに近づきたいのならば、僕が書いたものを、エッセィや日記に至るまで読むことになるし(それに近いマニアもいるが)、引用されている書籍、僕が読んだことがある本、などにも手を出すことになるだろう。しかし、それでもまだ、まったく完全とはいえないことは自明だ。
 コミュニケーションには必ず、一部に「理解」と「誤解」が含まれる。大半は見逃され、ときどき「無視」と「敬遠」と「保留」がある。いずれにしても、伝わるもの、伝わったと認識されるものは、受け手がその場で着想したものである。送り手は、単に注意を喚起したにすぎない。

 夕方、幻冬舎のS儀氏が来宅。久しぶりだった。水柿君シリーズの今後について打合せ。3冊め(「工学部・水柿助教授の解脱」)を来年出せるように、あと3編書かなくては、という話。このシリーズにも少数だがファンがいて、お待たせしている。とにかく、一番書くことが技術的に難しいシリーズであることは確かだ。
 さて、今日から5日間、特別講義です。講師は、シティガールのよしもとばななさんです。

【図工】 特別講義1

 おじゃまします。よしもとばななです。特別講師です。どきどきです。
 小学二年生のとき、紙粘土で生き物をつくり網に貼り付けて壁掛けにするという工作をしたことがあった。私は色とりどりのうろこの魚をつくることにした。動いている魚のほうがかっこいいと思って、くねってはねている魚をつくっていたら、周りの子供たちからクレームが来た。「曲がってるのをつくっちゃいけないんだ、魚とはまっすぐなものだからだ」という。「おめ〜ら死んだ魚しか見たことねえんじゃないか?」と今の私なら言うけれど、当時のおとなしい私は「変なの」と思いながら黙っていた。すると問題はどんどん大きくなり、誰かが先生に言いつけてやる、と言って先生を呼びに行った。先生は「なにを言うんだ、すばらしいことじゃないか、動いてる魚をつくるなんて。こういう考え方が図工には大事だよ」と言って問題は終わった。
 先生がどういう人であるかはとっても大事だと私は思った。もしここで先生まで「魚はまっすぐに!」なんてことを言い出したら、私はもう学校に行かなくなったかもしれない。
 子供たちがそんなわけのわからない統一感を創作に対して求めていたのが謎だが、きっと彼らは私の持っている気持ち悪いくらいのクリエィティビティを潜在的におそれていたのだろうと思う。そしてなにかのきっかけであげあしを取りたかったのだろう。
 もしかして今は時代が逆のほうにふれていて、子供が「死んだ魚」をつくろうとするとクリエィティブじゃない、とみんなが責めてくる時代になっていて、実は同じことであるような、いやな予感がする。
 いずれにしても創作に基準があると思う方が、おそろしいのだ。
 あっ、書いてみたら、単なるエッセイになってしまった。
 作家バカ一代、先が思いやられます。

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