2006年07月20日(木曜日)

【HR】 仕事をしている場合

 一日中ほぼ雨だった。ようやくここ数日、梅雨らしい感じ。気温が低くて、エアコンがいらない。
 今日は沢山のことをした。この頃、一日にできることが少なくなったな、と感じることがときどきあるけれど、今日みたいな日には、そうでもないか、と思い直す。
 朝から一人で出かけて、研究打合せ。3時間後に戻る。ゲラがつぎつぎと押しているので、「λ」を一気に最後まで見た。これに2時間半くらい。次に、「STAR SALAD」の絵を6枚描いて、すべてペン入れをした。これでペン入れ済みは14枚になった。あと12枚。色つけは8枚のまま。これに2時間くらいかかった。小説の仕事を4時間半ぶっつづけですることは珍しい。

 それから、今度は、スバル氏とパスカルを乗せて出かける。知り合いを訪ねて、そこで1時間ほど。次に、ホームセンタへ寄って、買いもの。また、材料を幾つか購入。スバル氏は食料品も。それから、もう1つ用事があって、帰宅したのは6時頃。まあまあの仕事量である。ただし、工作は風呂上がりに30分くらいしかできず。
 明日から「カクレカラクリ」の2校を見る予定だが、「もえない」のゲラが今夜届いたので、こちらをさきに片づけるかも。

 若いときには、集中して仕事ができた。48時間くらいなら、寝ることも食べることも忘れて1つのことをしていられた。そういった集中力は、若者に特有のものだろう。それが、20代になるともうかなり衰える。その後も回復することはない。人間という動物は、10代後半で子孫を生み、その後20代前半で幼児を育て、それで役目は終わり、というデザインにメカニズム的にはだいたいなっている。だから、その後の人生はすべて余命であって、衰える一方、壊れていく一方で、騙し騙し過ごしていくしかない。
 こうしたことを認識することが大事で、それをきちんと自覚すれば、対処ができるだろう。これは、気持ちの問題でどうこうなるものではなく、手法で解決するしかない、と僕は考えている。
 多少話の方向は変わるけれど、人間の能力もまた、10代がピークで、あとは下降する。性格もそうだ。その頃が一番優しいし、また素直だ。そんな若者から見ると、年寄りは、知恵もあり、人間もできた、穏やかな性格の完成された人格に見えるかもしれないが、歳をとることで、性格が良くなったり、能力が高くなることは、事実上まずない。あっても、それは見せかけのものだ。カバーをする手法、テクニックを身につけただけのことである。
 たとえば、「不惑」という言葉が論語にある。「四十而不惑」と。しかし、ものごとに惑うのは、それだけ視点が速く、その結果多く、考えも素早く、したがって広く、しかも素直であり、先入観がない状態だからこそ迷うのだ。いうなれば、惑うことがすなわち自由である。惑わないのは、もう自分の程度を決めてしまい、諦めてしまい、人生をある程度見切ったからではないだろうか。そんな姿が、なんとなくどっしりとして落ち着いて見えるから、若者から見て、安定した形に映るだけのことだ。
 知識や経験が豊かであることも、そんなに大したものではない。知識に関していえば、教育を受けたばかりの子供の方が質が高いとさえいえる。大人の知識などは、身の回りの手続きに関するどうでも良いような卑近なものばかりだ。経験なんて、その人間個人の視点・条件によるものであって、他人に役立つようなものは極めて少ない。
 だからといって、大人や年寄りを馬鹿にしても良い、という話ではもちろんない。ただ、そんな立派な人間など滅多にいないのだ、ということ。だから、若者は安心して、自由に生きていけば良い、と思う。

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