2006年07月11日(火曜日)

【HR】 群れへ戻れ!

 朝方、雨が降ったらしい。朝にはもう晴れていた。でも、水やりをしなくて良い。パスカルはがっかり。
 午前中に小説の仕事をした。「もえない」の連載分は4000文字まで。「少し変わった子〜」のゲラは10%まで。短編を収録したい、参考書に入試問題を引用したい、図書館の朗読テープを録音したい、といった許可願いがよく来る。そのたびに、住所を書いたり名前を書いたり、銀行口座を書いたり。おまけに、その封筒を糊で封をして、さらにポストまで入れにいかなければならない。メールだったら、コピィ&ペーストでたちまち終わる処理が、時間で10倍はかかる。手紙が往復する時間を考えたら100倍かかるだろう。しかも、信頼性は低い。本当に面倒なことである。

 ファンレターは、この頃、編集部経由で郵送されてくるものが、本当に減った。デビュー以来、紙に書かれたファンレターには一切応えない、という人気商売にアルマジロな態度を取ってきた甲斐あって、ようやく気持ちが通じたのだろうか。酷いものになると、色紙だけ送ってくるものがある。サインをしろ、という脅迫らしい。返信用の封筒が同封されていて、切手が貼ってあっても、そういった理不尽な要求には屈しないことにしている。それに、それを送り返す(ポストまで行く)手間は、少なくともその切手よりは高い、と僕は考える。
 しかし、本当にいろいろなパターンのメールが来る。僕の場合、読んで不愉快になるようなものは滅多にないが、べた褒めされるのも、酷評されるのも、同じレベルといえる。それよりもやはり、世間にはどんな人がいるのだろうか、と考えるときのサンプルとして価値がある。自分からメールを送ってくる人が、全体集合を代表するとは思えないので、その性格的な部分を除けば、という見方になるけれど。
 非常に数は少ないものの、作家宛ではなく、編集部宛に来るものがある。これは、一種のクレームであろう(読んでも意味がわからないものが多いが)。ここの部分が間違っているとか、どうして、こんな本を貴社は出したのか、と言いたいようだけれど、そこまで表現できていない。しかし、深読みするとなかなか筋が通っていて、一理あるなと思う場合もある。ただし、本当に当たり前のことが書いてあるだけだが。
 羊の群れから一匹が離れたから、牧羊犬がこれを追って吠える。「群れへ戻れ!」と言っている。このようなものではないだろうか。つまり、作家という人間は、ときとして社会という群れから離れようとする異端児なのだ。まあ、吠えられるくらいはしかたがない。吠えているのが本ものの犬ならば、「お役目ご苦労」くらいには思う。吠える方も、「私は選ばれた犬です」と自称してくることが多いが、よく見ると、仲間の羊が犬の真似をして吠えているだけなのが見えてしまったりして、微笑ましかったりする。
 そもそも、小説でもエッセィでも、いずれも一般的な、常識的な、当たり前のことを書いていたら、商売にならない。「夏は暑いですね」「物騒な世の中ですな」「近頃の若者ときたら」「やっぱり若いときに苦労をしなくては」「子供は愛情をもって育てましょう」など、まあ、誰もが口にするようなことをわざわざ書いていたのでは、職業としてなりたたないのだ。
 文章を書いて、それをお金と交換している。生半可な金額ではない。本当に大金と交換しているのである。したがって、それに見合った高価なものを創ろう、とするのがプロの作家だ。それがなくて、書きたいことを書く、言いたいことを言う、自分をわかってほしい、書いて楽しみたい、ではアマチュアと変わらない。
 群れから離れようとするものを読んだら、多くの人は、「え、そうかな?」と思うだろう。そして、「でも、そういう見方もあるか」「いや、それは言い過ぎだろう」などと、そこから分かれていく。群れの本体にも、少しだけ影響が出る(それが、ファンからのメールでわかる)。
 最初に、「え、そうかな?」と思わせるものが書けなければ、やっぱり鈍いということになるだろう。
 当たり前のことを書いている優れた作家もいるが、それは、その当たり前さをみんなが忘れた頃に書いたという価値だ。そのタイミングが絶妙なのである。群れから離れているのに、ときどき、群れへ戻ってやる天才的に優しい羊なのだろう。

 午後は、デッキで溶接を30分ほどした。今日は体調も良く、沢山工作ができた。毎年、夏になると工作に力が入る。夏の大工作だ。

【社会】 利子と利息

 同じものだと思っていたが、厳密には、ローンなどで金を借りたときに増える分が利子で、逆に、金を預けた場合に増える分が利息、ということらしい。つまり、利子の方が利息よりも常に大きい。でも、一般には後者も「利子」で通じている。
 僕が働き始めた頃は、定期預金の利息が7%以上もあったことがある。100万円を預ければ、1年で7万円の利息がもらえた。ということは、1億円の定期預金があれば、1年で利息が700万円だから、これならば、充分に一家が食べていける。元金は減らない。減らないんだったら、気の良いお金持ちから借りて、みんなが利息で生活できる、という世の中になったら良いのになと想像したが、はて、その場合、いったい誰が働いているのだろう、という疑問は残る。結局、そんな世の中になったら、利息の率が下がってくるわけだ。
 7%も利息があると、10年ではほぼ元金が倍になる。ということは、20年で4倍、30年で8倍、40年で16倍だ。20歳のときに、1000万円を定期預金にすれば、60歳になったときには1億6千万円になっている計算である。
 こういった計算を少ししてみると、「年金保険で老後に3000万円もらえる」なんて言葉も、それほど甘くは感じられないだろう。健康で早死にしない人には、明らかに保険は損である(年金をもらう直前に死ぬと大損、年金をきっちりもらっても小損)。
 どうして、お金が増えなくなったのだろうか? それをよくよく考える必要がある。
 そもそも、何故、黙っていてもお金が増えたのか? そちらの方が変ではないか。ようするに、労働の割には賃金が安く、搾取されている大勢がいて、その利潤が組織や一部の人たちに集中していたのだ。だから、どんどん投資をして、お金が増えていく時代だった。現代は、比較的労働に見合った賃金がもらえ、欲しいものが手に入り、利益が比較的均等に分配される豊かな社会になった。ただ、こうなると、新しいことを始めても大きくは成長できない。だから、持っているだけでは金は増えない、という当たり前の状態に至ったのである。

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