2006年06月09日(金曜日)
【HR】 当たり前が毒舌か
午前中は雨が降っていた。雨降りは、持ち時間が長い。庭に出ないからだ。その分、仕事が捗るのか、というと、どうもそうでもない。雨の日は雨の日なりに、したくなることがある。「λ」は75%まで。「少し変わった子」のゲラは60%まで進捗。「ダ・ヴィンチ」「日経パソコン」の文章の推敲もした。「ラピタ」のエッセィも少し書き始める。
お昼頃は、パスカルも乗せて買いものに出かけた。駐車場でゲラ校正をした。
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スバル氏が熱心にニュースを見ていて、逐一事件の報告をしてくれる。局によって、容疑者を姓で呼んでいるところと、名前で呼んでいるところがあるようだ。「マスコミに対して怒りを露わにする容疑者」というシーンが繰り返し放映されるらしいが、寄ってたかってカメラやマイクを向け、煽っているマスコミがいるのだから、普通の神経の持ち主ならば怒るだろう。
いつも感じることだが、むしろ、あそこでカメラやマイクを向けている人間の方が異常だ。「動機を明らかにしてほしい」などと繰り返しているけれど、自分に関係のない他人の不幸にそこまで立ち入りたい人間たち、カメラやマイクを向け、無礼な質問をし、それで番組を作り、エンタテインメントを捏造する者たち、またそれをTVで見ている人々、彼らの動機こそ明らかにしてほしい。
もちろん、知りたがるのは自由だ。知りたがる人に知らせるのも自由だ。しかし、少なくとも「使命」と誇らしげにいえるほど格好の良いものではない。ひと言でいえば、その自由も使命も「下品」である。
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また、これもスバル氏から聞いた別の話。TVの悩み相談室(彼女はそんなものを見ているのだ)に、老人が電話をかけてくる。夫に先立たれ、子供も病気で死んだ。自分一人になってしまった。それが寂しい。昼食と夕食は届けてもらえるが、朝食はないのでパンを食べている。友達は、近所に2、3人しかいない。これを見ていたスバル氏は、「長生きしたのがいけなかったんじゃない?」と言っていた。僕もそのとおりだと思う。なに不足ないその状況を悩みだと思い込めるのは、もうぼけているのだろう。なにをどうしても、解決はない。
TVのスタジオで、「自分が長生きしたんだから、しかたがないじゃない、そんなの」と言えないのは、どうしてだろうか? 普通に考えられる当たり前の言葉が、TVでは言えないらしい。みんな、優等生というか、馬鹿みたいにわざとらしいコメントしか吐けない。もちろん、きっと例外はいるだろう。そういう人間は、お笑いの人で、たぶん「毒舌」なんて呼ばれているにちがいない。そこまで簡単に想像できるくらい、すべてが定式化しているのである。こんな窮屈な世の中に誰がしているのだろうか?
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礼節は大事である。思いやりも当然のことである。黙っているのが上品だ。わかっている人はきっと我慢しているのだろう。勇気のある人間が本音を漏らすのではない。我慢が足りない未熟者だから、僕みたいに余計なことを書くのだろう。