2006年05月11日(木曜日)
【国語】 会話文
鉤(かぎ)括弧でくくられた、人がしゃべっている文章を何というのか、辞書で調べてみたら、「会話文」と呼ぶらしい。そうでないものを「地の文」といい、区別するようだ。しかし、一人で呟く場合もあるわけで、会話文とはこれいかに。
さて、会話文は小説にはつきものである。ただ、難しいのは、誰がしゃべっているのかを読者に示さなければならない点である。そこで、「と誰某は言った。」というような説明が鉤括弧を閉じたあとに加わることになる。ところが、ながながと話す奴もいるわけで、たとえば、探偵などは、3ページくらいしゃべり続けることも珍しくない。いつ呼吸をしているのか、喉が嗄れないか、と心配になるほどだ。
読んでいる人も不安になる。特に、登場人物が多い場合には、先に話し手が誰なのかを示してもらいたい。そこで、「誰某は言った。」をさきに書き、その後ろに会話文を書いたりする。この手法もわりと多く使われている。
僕の場合は、小説を読み慣れていないせいか、このさきに話し手が誰かを書く方式をしばらく使えなかった。どうしても、不自然さを感じてしまうからだ。というのは、実際の場面で、黙って手を上げて、「あ、この人が今から話すのだな」と相手に認識させてから話を始める人が滅多にいないからだ。つまり、言葉は、まず最初に耳に飛び込んでくる。その僅かのちに、誰がしゃべっているのかを認識する。それが現実の順番だ。
そこで、
「あ、君……」と彼は言った。「ちょっと、いいかな」
というように表現すると、認識の順になる。特に、聞き手がそちらを見ていなかった場合には、声を聞いて、初めて彼を見る。だから、
「あ、君……」と彼は笑いながら言った。なんだか嬉しそうだ。「ちょっと、いいかな」
というように、彼がどんな様子かを認識してから、残りの言葉を解釈する。ようするに、その順番で情報を受け取るのが自然だと思ったので、採用しただけのことである。
英語がこのような表記になっているのも、現実認識からして自然だったためと思われる。