【NEWS】
★現在4日遅れで公開しています。ご意見・ご感想はMLA掲示板へどうぞ。
★2/25に中公文庫より『森博嗣の道具箱』が発行。
★3/14にメディアファクトリーより『MORI LOG ACADEMY 9』が発行。
★3/14に講談社文庫より『θは遊んでくれたよ』が発行。
★4/25に幻冬舎より『工学部・水柿助教授の解脱』が発行。
★4/25に角川文庫より『どきどきフェノメノン』が発行。
★4/25に中公文庫より『クレィドゥ・ザ・スカイ』が発行。
★5/30頃に文藝春秋より『銀河不動産の超越』が発行予定。
★5月刊の予定だった講談社ノベルス『カクレカラクリ』は発行延期。
2008年05月12日(月曜日)
【HR】 海外志向の減退
一日中曇り空。水やりはしなかったが、庭掃除と草取りはした。気温はちょうど良い。
「ジャーロ」の連載を6000文字書いて、完成度は72%。締切は19日にしてもらったが、今週中に片づけられれば片づけたい。今日もゲラはない。今の執筆が終わったら、次は「庭園鉄道〜」の作業にかかれる。
パスカルをシャンプーした。洗うまえに体重を測ったら、200グラム増えていたので、スバル氏がショックを受けていた。それくらいの誤差はあるだろう。減ってはいない、ということは確か。そんなに急に減らないと思う。毎日、ちゃんと食べているのだから。
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銀行へ税金を払いにいき、それからショッピングセンタへ。リビングの電球が3つも切れているので、照度が落ちていた。この頃、どうも電球を頻繁に取り替えるような気がしてならない。つまり、品質が落ちているのではないか。安いものは低品質、ということを消費者にわからせるためのキャンペーン中かも。2階の通路の電球もあまりによく切れるので、ついに蛍光灯が入った電球に替えた。その後は長くもっている。今日は、「2倍長持ち」と書かれた電球を買ってきた。値段は1.5倍くらいだった。
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まえにも書いたが、近頃の若者は、海外へあまり出ていこうとしない。海外志向が、以前よりも弱くなった。海外から入ってくる文化(たとえば、映画とか著作とか)に対しても、僕が若かった頃に比べると関心がなくなっている。
かつては、欧米と日本には大きな格差があったし、また、国内にいてはどうしても得られない情報があった。今は、その格差は小さくなり、またより多くの情報をどこにいても入手できるようになった。
海外と国内の格差が狭まったのと同様に、都会と地方の格差も明らかに小さくなっているだろう。昔は、とにかく東京へ行かなければなにもできない、という時代だった。大学を出て就職したら、全員東京へ出た。地方に残ったのは、公務員くらいである。文化的なものに触れるにも東京しかなかったのだ。今では、地方にも各種の施設が作られ、その地方で働く若者がある程度は増えているように思われる(ただ、もっと過疎の田舎ではまた話が別だが)。
人間というのは、土地に縛られた存在ではない。たまたま日本に生まれたけれど、べつに日本人が嫌になったら、やめることが可能だ。世界中どこでも好きなところへ行ける(苦労の大小はあるが)。大勢がいる場所にいれば、得なこともあるし、損なこともある。それが選べるということが大事だし、選べるということを忘れてはいけない。
【社会】 年寄りの運転
東京に比べると、名古屋のタクシーの運転手は高齢である(僕が乗った車での印象なので、統計データを持っているわけではないが)。たぶん、東京の方が早く世代が替わったのだろう。ただ、東京の運転手は、地方から出てきた人が多く、ナビや地図がないと走れない人が増えた。
このまえ乗ったタクシーの運転手さんが、年齢制限が実施されるようになり、歳をとると仕事ができなくなる、と話していた。何歳から駄目なのかはきかなかったが、その人はどう見ても70代に見受けられた。ということは、以前は80歳になっても続けられたわけである。運転免許自体があれば問題ないという方針だったのだろう。
僕は駐車場で、前の車がバックしてきて、クラクションを何度も慣らしたのに、結局ぶつけられたことがある。そのときも、運転していたのはおじいさんで、「耳が遠いもので」という言い訳だった。
車がないと生活ができない環境で暮らしている老人はとても多い。核家族になって、面倒を見てくれる家族は近くにいない。歩いていける範囲では、買いものができない。公共交通を無料にしても、家を出て、それに乗るまでが大変だ。そういう人から車の運転を取り上げることは、とても難しい。
また、同じ年齢でも反射神経や運動能力には個人差がある。だから、一律にルールを決めることも難しいと思う。しかし、自動車の運転は、本人以外に、他人にも危険を与える可能性が高い行為なのだから、安全側にルールを決めるべきではないだろうか。個人的には、70歳を越えたら運転を諦める方が良いと考えている。
ところで、話は外れるが、そういう年寄りの運転手ほど、客を乗せているときに携帯電話を受けて話をする。年寄りほど、マナーを守らない。つまり、ルールに対しても緩慢になってくるようだ。そうならないように気をつけよう。
2008年05月11日(日曜日)
【HR】 放し飼い禁止
雨が上がって、だんだん晴れてきた。気温は低く、過ごしやすい。今日は起きたら8時だった。不思議に沢山眠れた。
「ジャーロ」の連載を6000文字書いて、完成度48%に。気がつけば、ゲラが奇跡的になくなっている。おお、これこそ、「ゲラ・オフ!」。次に来るのは、「庭園鉄道〜」のゲラか。これは見るのが楽しみ。
お昼にパスカルを車に乗せて森林公園へ散歩に出かけた。パスカルはもう知ったコースである。人間の子供が嫌いなパスカルは、子供の歓声などを聞くと、引き返そうとする。「そっちへ行っては危険です」みたいな顔で。
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ところで、公園には、「犬の放し飼い禁止」という立て看板がある。しかし、犬のリードを外して走らせている人をよく見かける。もしかして、あの行為を「放し飼い」だと認識していないのではないか、と思いついた。つまり、「放し飼い」とは、本来は「檻に入れたり、つないだりせずに飼うこと」である。「自分は、この公園で犬を飼っているわけではない。ちゃんと、自宅で飼っている」という人は、犬を放して走らせるくらいは問題ない、と考えているのでは? ようするに、「犬をフリーにすること」の日本語がないのが問題だ。少なくとも、「犬を常につないでおくように」と書くべきか。
誰もいない場所だったら、犬を自由に走らせてやりたい、と飼い主ならば誰でも考えることだろう。だが、犬を公園で放す行為は、いずれ犯罪として扱われるようになる。どんな理由があってもしてはいけない行為だ。
スバル氏が、自動車の後部座席のシートベルト着用に関して、「そこまでルールになるのって、おかしくない?」とおっしゃっていた。しかし、それをいうなら、運転席や助手席でのベルト着用だって、本来本人の自由かもしれない。本人の安全のため、たとえ他人に迷惑をかけない場合でも法的に規制をする、というのは議論のあるところだろう。酔っ払いを街に野放しにしている日本だが、ルールのバランスが多少気になることはある。まあ、試行錯誤は必要か……。
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雨上がりなので、今日は水やりはしなくて良さそう。雑草を少しだけ取った。薔薇が沢山花をつけている。今までで一番多いかもしれない。クレマチスが咲きすぎ。リシマキアは、黄色と黄緑と緑の3種類がある、と思っていたが、先日場所を変えて植えたものから、どうも黄色と黄緑は土によって色が変わっているだけで同じものだと判明。夕方に掃除をしようと思ったけれど、バキュームクリーナの袋が雨で湿っていたので、また明日。
今日は、アンプを少し入れ替えた。違う音で聴いてみよう、と思ったのと、気温が上がってきたから、発熱の少ないものを使うことにした。
【理科】 ゼンマイ
ゼンマイで動くおもちゃには、この頃滅多にお目にかかれない。僕が子供のときは、モータと電池で動くものは高価で、なかなか買ってもらえなかった。作ったプラモデルは、自動車も戦車も船も、ほとんどゴム動力かゼンマイだった。
ゼンマイは、金属に力を加えて変形させ、それが元に戻ろうとする力を利用して動くメカニズムである。歴史はずいぶん古いはず。ミラノでレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館に入ったら、彼のノートから復元したゼンマイ駆動の「自動車」のレプリカがあった。人が乗れる大きさである。
模型界の重鎮・井上昭雄氏が数年まえに、ゼンマイで動く大きな機関車(5インチゲージ)を作られた。それで人間を引っ張って走ることができるものだ。
ゼンマイの力は、そもそもネジを巻いた人間の力を蓄えたものであって、つまりは、人間が押して走るよりも効率が少し悪くなる。単にエネルギィを蓄えているだけだからだ。けして「クリーンな動力」というわけではない。この点では、電気もまったく同じである。電気を使った器具(調理器具や自動車など)は、「クリーンだ」という印象をアピールすることが多いようだけれど、どうやってその電気を起こすのか、どこからその電気が来るのか、を考える必要がある。
これは、自著の中でも書いたけれど、「ゼンマイ」という名称は、植物にもつけられている。そちらがさきなのか、それとも、鋼のゼンマイに似ているから、植物に名づけたのか、どちらだろうか?
2008年05月10日(土曜日)
【HR】 未来予測のすすめ
昨日の夜から雨。今日も一日ずっと小雨。気温が低くなったので、ストーブをつけている。
午前中に小説を書く。「ジャーロ」の連載を5000文字書いて、完成度は24%。「MLA10」のあとがきの推敲をして発送。
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お昼頃にスバル氏とショッピングセンタへ出かけ、僕はスリッパみたいな靴を購入。ガレージで履いているのだが、3000円もした。スポーツ用品だったが、こんなに高いものだとは知らなかった(スバル氏から「君の経済感覚は古い」と指摘された)。食料品を買ったあと、久しぶりにたこ焼きを食べながら帰った。昨日、N倉氏からもらったチーズケーキを今日も食べた。昼過ぎはガレージで昼寝。
工作は2大プロジェクトが終了して一息ついているところ。そう、小説も長編が1作終わったから(手直しはまだだけれど)、残り14作になった。こちらもひと山越えた感じだ。
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夕方、「ダ・ヴィンチ」のI子氏が、「MLA10」のゲラを取りにきてくれた。今年中に書く予定の作品(漫画のノベライズ)の打合せも。再来週の取材(受ける方)についても約束をした。
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未来に対して備える場合、「もし○○だったら、どうするのか?」と考える。これは当然のことだ。いろいろなケースを想定し、そのそれぞれの場合に自分はどう対処するのか、という判断をしておき、場合によっては実際に準備もすることになる。
ところが、そういう考え方がそもそもできない人がいる。スバル氏がそうだ。「もし○○だったら」と想像してごらん、と話すと、「どうしたら○○なんて事態になるのか」「本当に○○になるだろうか」「○○になるなんておかしいではないか」という方向へ考えが向かうようだ。そうではなく、それがあったとき、「自分がどうするのか」を考えてほしいのだが……。
たしかに、「○○になっては困る」という場合もある。その場合は、そうならないように、今すぐ自分にできるかぎりの手を打つべきだ。しかし、自分の意志や行動に関係なく「○○が起こる」可能性があるとしたら、やはりその場合の対処方法を考えておくべきだろう。
たとえば、ごく身近な例を無理に挙げてみよう。ネットオークションでいくらの入札をするのか、というとき、「誰かがもし、その値段を超えて入札してきたとき、自分はどうするのか」という判断ができれば、入札の値段が決められる。駆け引きがあるから、戦略的なものもたしかにあるけれど、問われているのは、最終的にはいくらまでなら自分は出せるか、という「自分の気持ちの予測」だけなのだ。相手の出方はまったく無関係である。それなのに、つい「こんなに出す人がいるかしら?」と考えてしまいがちだ。
他人の未来についていろいろな可能性を想像し、それに対する自分の対処を予測しておけば良い。他人がそのいろいろな可能性のうち、どれをどのように、またどういう理由で選ぶのかを考える必要は全然ないし、予測することなど不可能だ。それこそ、余計な心配というものである。
【算数】 有名な数学者
今日、「ダ・ヴィンチ」のI子氏が、「数学の先生」の話が面白かったと語ったので、同じようなものを考えてみた。
数学が嫌いな人でも、数学者の伝記ならば面白く読めるのではないか、と思う。それは、将棋ができない人でも将棋指しの一生を物語として楽しめるのと似ている。どんなジャンルでも、そのジャンルのプロフェッショナルにならなければ、そのジャンルの天才の人となりに関心が持てない、というわけではない。
数学は、誰でもが少しは知っているジャンルだ。将棋は触ったこともない、ルールも知らない、という人はいるかもしれないが、数学の基本的なルールは義務教育で習う。だからこそ、しかし、はるか雲の上にまで上り詰めた人、というイメージを抱かせるなにかが「数学者」という言葉にはある、と感じることだろう。現代では、もっと「専門的」なものであり、「マイナ」なものになっていて、数学全般に関する知識を持った人ではない。それでも、「広さ」よりは、その「高さ」、あるいは「深さ」みたいなものが、やはり「はるかな」ものという印象を漂わせることにかわりはない。
数学に関する読みものは、大きく分けて、この数学者について書かれたものと、数学のある特定の問題について記されたものに分かれるだろう。そして、圧倒的に前者の方が一般的な読みものといえる。そもそも、伝記というのが一般化を目的とした存在ともいえるか。
古いところでは、ピタゴラスなどが有名だし、名前を思いつくのは、ユークリッド、デカルト、パスカル、オイラー、フェルマー、ガウス、ラプラスなど。ニュートン、ラグランジュ、ガリレイも、数学者に含めても良いと思う。
ドラマティックといえば、なんといってもガロアだろう。20歳で決闘で死んだ19世紀初頭のフランス人である。20歳ということは、数学者になるまえに死んだわけで、死後に業績が認められた。もし知らない方は、少し調べてみると意外に面白いかも(人にあまりすすめない森博嗣談)。
2008年05月09日(金曜日)
【HR】 砂上の楼閣
曇り空。朝は、スバル氏と一緒にパスカルの散歩にいった。パスカルは一所懸命歩く。樹々が生い茂っていた。出かけるまえに、燃えるゴミを4袋出したのだが、カラスが来るかもしれないので、生ゴミが入った1袋は樹の陰に隠し、あとの3袋を見えるところに出しておいた。散歩から帰ってきたら、出してあった方を突いた跡があった。スバル氏は「カラスって馬鹿だねぇ」とご満悦である。
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水やりをしたが、周囲を走り回るパスカルの動画撮った。草取りもした。
朝からケーキを食べる。昨日いただいたグラマシーだ。美味しかった。血糖値が上がって、小説の仕事をする。「ジャーロ」の連載を1000文字だけ書いた。完成度は4%くらいか。今月末に出る「銀河不動産の超越」のカバーやオビのゲラが来たので、これもチェック。
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明日と明後日が雨の予報なので急きょ機関車を運転することにした。連日である。やはり血糖値のせいか。昨日写真を紹介したオレンジの機関車を運転。この15号機は、4年ほどかけて作った機関車で、昨年の春に完成したもの。今回は再塗装しただけである(色もまえと同じ)。
お昼過ぎに、中央公論新社のN倉氏が来宅。「スカイ・イクリプス」の2校ゲラを取りにきてくれた。映画関連の今後の予定や、7月のトークショーの打合せをした。「スカイ・イクリプス」のノベルス版を今年の11月に出すことになったとか。6月に出るフィギュア付きBOXセットは、既にそれぞれ1000を越える予約が入っているそうで、現物もないうちから予想外に好調(僕が予想した数字より2倍は多い)。そのフィギュアの実物を初めて見せてもらった。金属製だからずっしりと重い。写真を撮っておくけれど、青い方はキャノピィ前の反射防止の黒に塗り間違いがある(もちろん発売時には修正される)。あとは、映画関係の取材予約が幾つか。
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市民講座の応募は現在400弱。すべて返信メールを24時間以内に送っている。これが来ない人は、メールがこちらへ届いていないと考えて良いので、再送を。僕はまだ1つも読んでいない。
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こういうメールがときどき来る。「先生の小説を読んで、ふと思いついたことがあります。もしかして、○○は××ではないかと。そして、もしそうだとすると、△△とは矛盾をしますし、どうしても、▲▲でなければならなくなります。したがって、やはり□□は■■という結論になってしまいます。僕のこの推理にどこか間違いがあるでしょうか?」
まあ、返す言葉もないのだが、サービスとしてこう答える。「砂上の楼閣って、ご存知でしょうか?」
【国語】 鈍っていく言葉
既に書いたとおり、「ちょー嬉しい」や「美味しすぎ」という言い回しは、最近では単に「とても嬉しい」「非常に美味しい」という意味でしかない。強調しているだけである。もともとは、前者は「超」であり、後者は「過ぎ」だ。これは、適切なレベルをオーバしてしまった状態を意味した表現である。たとえば、「超自然現象」というのは、「とても自然な現象」ではなく、「超能力」も「とても能力がある」ことではない。この従来の使用法だと、「超嬉しい」は、嬉しさを通り越して、もう素直には喜べない、気持ちが悪いくらいでむしろ嫌だ、という意味になる。また、同様に「美味しすぎる」というのも、現在の年寄り世代には、美味しさを通り越して、無闇に食べてはいけない、なにか躰に悪影響のある味だ、という意味に受け取られかねない。若い世代には、本来のその意味を知らずに使っている人が見受けられる。
それは、まあ、べつに良いのだけれど……。
このように、言葉というのは、表現がどんどん過激になる。逆にいうと、その言葉の持っていたもともとの意味は、しだいに控えめになっていく。オーバにオーバに言う方が面白いから、誰かが使う。すると、それをみんなが使いだし、普通の表現になってしまう。こうして、言葉は「鈍っていく」のである。鈍ってしまうからこそ、さらに鋭い表現が欲しくなり、よりオーバなものが使われることになる。例を挙げるなら、「非常に」も「とても」も「絶対」も「凄く」も、今では、多少強調しているだけで、「ありえないくらい」ではない。「ありえないくらい」も、全然ありえる範囲になった。
この逆に、もともとの意味よりも、オーバになっていく表現はないだろうか、と考えた。まえに書いた「微妙に」とか、あるいは、「ちょっとねえ……」などは、今では「かなり」に近い。でも、鈍くなる例ほど多くはないようだ。
2008年05月08日(木曜日)
【HR】 4回めでやっと成功
ちょっとだけ曇っているかな、という天気で、昨日よりは多少涼しい。27℃くらいかな。体調は良い。
レディ・マドキャップの試運転がしたいので、さきに仕事を片づける。「MLA10」のゲラを最後まで読んだ。それから、あとがき1500文字を書いた。推敲は後日。本のサブタイトルも決めた。今回の羽海野チカ氏のカバー・イラストは裁判官のコスプレ。
まず、再塗装をしたオレンジの15号機を組み直す。これに1時間くらい。外に出して、ターンテーブルのところで駅長パスカルと一緒に記念撮影。
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そして次は、いよいよレディ・マドキャップ。3回の試運転で不具合が特定でき、そこを直したので、今日は上手くいく確率が高い。まず、ガレージから40mくらい押していき、高架線で、機関車の下部からナットを締め直した。再びガレージの駅まで押して戻り、石炭を入れて火をつけ、スチームアップ。
圧力が高まったところで、バルブを開けると、給油機が正常に作動し始めた。良かった良かった。やはり佐藤さんが作ったものだから、この装置に不備があるなんてことはないわけで、僕の工作が悪かったのだ。今日はポンプも快調だし、ついでに直しておいた蒸気漏れの箇所もぴたりと止まっていたし。
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給油機を調整しながら走り続け、メインラインを20周くらい連続運転をした。オイルがよく回ったのか、エンジンも滑らかになった。いうことなし。それにしても、ここ1週間くらいはとても面白かった。問題を解決すると、何故こんなに楽しいのだろう。
運転は完璧だったが、試運転が終わってから機関車の煤掃除をしているとき、鉄骨で自作したブリッジに頭をぶつけて、こぶができた。とにかく、子供のときから変わりなくそそっかしいのである。
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3時に講談社のO村氏が「τ」のゲラを取りにきてくれたときは、まだ頭が痛かったので、保冷剤で冷やしながら話をした。グラマシーニューヨークのケーキをいただいた。血糖値が上がってまた元気になる。
夕方はスバル氏とダイエーへ買いものに。今日はとにかく、機関車が上手く動いたことが嬉しい。こぶを差し引いても、素晴らしい一日だった。
【体育】 体重の変化
僕は1年でだいたい5〜6kgくらい体重が増減する、と何度か書いているが、ここ1年ほど、かなりの頻度で体重を測って、変化の様子を観測してみた。冬は重くて夏は軽い、というくらいしか把握していなかった。たぶん、12月くらいが一番重くて、6月が一番軽いだろう、程度の曖昧な自覚だった。だから気温や日照時間のようにサインカーブで変化していると想像していたのだが、実は全然違った。
体重が増えるのは、秋から春にかけてで、半年くらいかかって少しずつ増える。2月くらいが一番重いみたいだ。その後、3月半ばくらいから軽くなる。そして、わずか1カ月半ほどで5kg落ちるのだ。5月にはもうすっかり躰が軽くなっている。体重の1割が減るので、かなり実感できる。これはたぶん、汗をかくような気候になると減る、ということだと思う。ということは、水分の差かな?
もう30年くらい、ほぼ同じサイクルだ。現在の体重は30年まえと同じだし。
冬は活動的でなくなり、あまり出歩いたりしないが、たまに出かけると、躰が重いなとわかる。夏は暑いけれど、活動的になり、汗をかくから軽くなる。特に夏だからといって、沢山食べることもないし、お腹が減るということもない。
食べる量は、夏も冬も一定だ。これがまずいのだろうか。野性の動物は、夏の方が沢山食べるものがあるわけで、冬はカロリィの摂取も減るはずである。それを見習って、冬はカロリィを控えめにすれば、だいたい同じ体重が維持できるかもしれない。まあ、同じである必要も特にないのだが……。
そうそう、ズボンはジーンズしか穿かないから、夏も冬も同じものである。夏はぶかぶかで、冬はぎりぎり、というものばかりだ。
2008年05月07日(水曜日)
【HR】 ジャンルと自信家
今日も6時に起きて、パスカルを散歩に連れていった。爽やかで朝から気持ちが良い。パスカルも絶好調。
「目薬αで殺菌して」を4000文字書いて、113%で完成。この手直しはたぶん来月。「MLA10」のゲラは80%まで見た。明日には終わりそう。いろいろ片づけて、次は「ジャーロ」の連載「ZOKURANGER」の第3話を書く予定。できれば1週間くらいで片づけたい。
午前中に、ネット購入で昨日届いた苗40鉢を庭に植えた。それから車で出かけ、スバル氏と駅で待ち合わせる約束をメールでしつつ、僕はハンズへ材料の買い出しに。目当てのものはすぐに見つかって、あとは道具をまた幾つか購入。スバル氏と会ってから地下街で食料品を買い、車の中でサンドイッチを食べながら帰った。パスカルは大喜びだったが、嬉しくて僕にも飛びついたので、スバル氏としてはちょっと不満。
ハンズで買った材料で工作をしてから、デッキでまた吹き付け塗装をした。アクティブな日だ。夕方も庭掃除をしたり、雑草を抜いたり。日が長くなったので、活動時間が取れる。
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小説を読む人というのは、「ジャンル」に拘るのだろうか。作者はたぶん、どちらかというと、「ジャンルを越えよう」「今までになかったものを書こう」としているものと勝手に想像しているが、しかし編集者は、カバーやオビに必ずジャンルを書きたがる。たとえば、恋愛小説だとか、コメディだとか、ファンタジィだとか、ミステリィだとか。そして読む方も、最後まで読んで、「こんなの○○じゃない!」と怒ったりする人がいる。この場合、そのキャッチを書いた編集者に怒っているのかな? だって、作者は「さあ、○○を書こう」とジャンルを目指して書いてはいないかもしれない。さあ、どちらだろう?
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僕は、人から自信家だと認識されることがたまにあるけれど、それはまったくの誤解で、全然自信家ではない。そもそも、締切ぎりぎりになっても仕事に手をつけない奴の方が、ずっと自信家だし、少しくらい約束を破っても、そんなに悪くは思われないだろう、と高を括っている奴の方が自信家である。
自信が持てないから、綿密に計算し、できるだけ手順を考え、着実に進めることにしている。将来について予測ができるのは、自信があるからではなく、無理のない計画を立てているだけのことだ。
自信を持っておすすめできるようなものもないし、10年さきまでだいたい計画は立てているけれど、はたして生きていられるかどうか自信はない。歳をとったからではなく、これは20代のときでも、30歳まで生きている自信はなかった。
また、「強がり」も言ったことはない。強がるよりは、強くなるように綿密に計算をして、態勢を整え、攻撃や防御のシステムを築く方が、僕には不安が少ない。だって、「強がり」っていうのは、わりと弱いでしょう? これもやはり、強がるだけの自信がないからだと分析できる。
【社会】 ホームセンタ
ホームセンタというものは、僕が子供の頃はなかったと思う。あったかもしれないが、近所にはなかったし、話を聞いたこともない。当時、既に食料品を扱うスーパはあった。商品が並んでいて、それを自分で籠に入れてレジへ持っていく、という店はスーパ以外にはなかった。
商店街には、雑貨屋や金物屋などがあって、これが、現在のホームセンタが扱う商品(の一部)を売っていたように思う。僕は工作が好きだったので、金物屋さんへはよく行った。ネジなどを買ったりしていた。1本2円、みたいな売り方だった。
就職して三重県へ行ったのは1982年であるが、このとき、初めてホームセンタなるものに出会った。農作業に関係するものが多かったように思う。お百姓さんが多いから、田舎にはこういう店があるのだな、と思ったのだが、あっという間に都会や、その近郊にも沢山出店し始めた。最初の頃は、まだけっこう小さい店があったけれど、これはスーパも同じで、とにかく大きなところが勝つようだ。どんどん大型化していった。
ホームセンタが扱うDIY関連の商品で、道具類は金物屋にあったけれど、材料の方は、たとえば、木材なら昔は材木屋へ行かなければ買えなかった。つまり、素人が買うようなものではなかったのだ。知り合いの建設業者か大工さんにお願いして分けてもらう、といった入手方法しかなかった(僕は実家が建設業だったので、木材に関しては恵まれていた)。
ホームセンタは、電気店、家具店、薬局、文房具店、園芸店などが扱っていた商品を売っている。ないものは、食料品くらいではないか、と思われるほどだ。ただ、自動車がない人は多少利用しにくい。歩いていけるところにあっても、荷物が大きくて重い。
この10年くらいは、本当にお世話になっている。ただ、だんだんネットで購入する割合が増していることも事実だ。眺めて回り、そこにあるものの中から選ぶより、一番欲しいもの、最適のものを求めることができるからだ。10年後にはどうなっているだろう?
2008年05月06日(火曜日)
【HR】 塗装と試運転&試運転
朝日が眩しくて6時に目が覚めた。スバル氏がいないので、パスカルが寝室の前で姿勢良く座って待っていた。まず朝ご飯をやって、それから散歩に連れていった。爽やかな朝だ。
機関車で早く遊びたいので、仕事を一気に片づけた。「α」は8000文字書いて、完成度109%。ようやくエピローグになったので明日で終わりそう。「MLA10」のゲラは50%まで見た。3カ月に1度、こうしてゲラを読むことで、自分の日記を再読するわけである。本にならないのなら、絶対に読み返したりしない。それどころか、そもそも絶対に書かない。子供のときから、日記なんて続いたためしがないのだ。
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仕事が終わったのが9時半。まずは、デッキで塗装。コンプレッサを使って、ウレタンを吹いた。再塗装をしている機関車だが、最初はボイラだけ塗り直す予定だったのに、結局すべてを塗り直すことにした。色や艶が微妙に違うのが気になったため。
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さて、次はレディ・マドキャップの試運転。スチームアップして、2度めの挑戦だ。今回は、蒸気漏れを直したので、それは問題なかったものの、やはり予想どおり給油機が作動しない。パイプが詰まっている疑いが濃厚になった。ポンプの調子も悪いので、ひとまず火を落とす。
ここで休憩して、ゲラを読んだ。
午後からまた奮起して、石炭を燃やす。3度目のスチームアップ。上手くいかないことはわかっているけれど、条件を変えて、原因を特定するためには実験するしかない。デッキへ上がる高架線路まで機関車を持っていき、線路の下から、機関車の中へ手を入れて、配管のナットを外した。どこまで圧力が来ているか試すためだ。結局、最後はあるパイプが原因だと特定できた。ここを直せば解決するだろう。
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プログラムをしていたときと似ている。上手くいかないからといって、考え込んでいるよりは、上手くいかない様子を、何度も条件を変えて観察することが大事だ。これをやっても上手くいかない、これを変えても同じか、では、これを変えたらどうだ? という具合に。バグを探す作業というのは、プログラミングの一番の醍醐味だと思う。追い詰めていく過程はとてもエキサイティングだ。
夕方もパスカルの散歩。今夜もスバル氏がいない。昨夜はカレーを作って食べた。今夜は焼きそばを食べよう。こういう食生活が僕は全然苦にならない、なんて書いたら、ありがたみがわからない人だ、とまた叱られそうだ。この「ありがたみがわからない人」というのは、親父がそうである。その血ということか。人の親切は嬉しいけれど、べつにないならないで、まったく気にならない、寂しいとは全然感じない、というふう。言葉にすると刺があるなあ。もっと、さっぱりしているのだけれど。小説くらいの文字数を使って書かないと、説明できないかも。
【理科】 バッテリィ
バッテリィというのは電池のこと。2006年2/26の【HR】で少し書いた。
電池には種類が沢山ある。単1、単2〜という大きさの違いもあるし、またマンガン電池、アルカリ電池など、材料が違うものもある。値段もいろいろで、もの凄く安いものもあれば、同じ大きさで同じボルトで同じように使えるものなのに、ずっと高いものもある。だいたい、高いものほど長持ちするのだが、しかし中身が見えるわけでもないし、テスタで確かめるのも面倒だし、選ぶのは難しいところだ。
一番安いのは、マンガン電池で1.5V。それより少し長持ちするのはアルカリ電池で、ボルトは同じだけれど、値段がやや高い。それから、ボタン電池と呼ばれているものもあって、これはまた違う種類だ。これらに共通するのは、なくなればそれでお終い、使えるのは1度きり、という点。
一方では、充電できる電池がある。たとえば、自動車に搭載されている鉛蓄電池などは、充電しながら使えば、何年も持つ。たいてい12Vだ。重いし、小さいものは作りにくい。逆さまにすると液漏れする(しないものは高い)。乾電池がどうして「乾」なのかというと、この液体が入った電池と比較してつけられた名前なのだ。
僕が子供の頃に、乾電池でも充電できるものが開発された。現在一番多いのはニッカド電池だろう。これは1.2Vで、電圧はやや低いけれど、内部抵抗が少なくて沢山の電流を流せる。つまりパンチ力があるので、パワーを必要とするものによく使われる。その後、ニッケル水素電池とか、リチウム電池なども登場して、パソコンや携帯電話などに広く使われるようになった。小型軽量なわりに、容量が大きいのが特徴。
ラジコン飛行機やヘリコプタをモータで飛ばす場合、電池の性能がキーになる。僕が見てきた40年ほどで、電池はもの凄く性能アップした。ざっと感覚的に表現して、10倍くらいはパワフルになっているだろうか。
2008年05月05日(月曜日)
【HR】 眠くなるとき
GWは雨は降らないという予報だったが今日は一日中雨だった。理由は、スバル氏が出かけたからだ。
朝からパスカルが察知して、もう心配そうな顔をしている。呼んでも来ない。気もそぞろである。9時頃に、スバル氏を駅まで送っていった(パスカルではなく僕が)。やはり、そのあと大雨になった。
小説の仕事を片づける。「α」は6000文字書いて、完成度101%。どうかな、もう終わると思うけれど……。「スカイ・イクリプス」2校を最後まで読み、「MLA10」のゲラは30%まで読んだ。そういえば、またページ数を少し減らせたようだ。「節制するブログ」と呼んでほしい。
工作は、ガレージで細かい作業。本当は今日は、レディ・マドキャップの試運転をする予定だったけれど、雨で延期。
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午後、少し小降りのときに、パスカルの散歩にいった。パスカルは歩かず。帰ろう帰ろうとする。でも、途中で柴犬に出会って気合いが入ったらしく、なむなむ言いながら歩いていた。
今日は少し寒いくらいだった。一日中なんだか眠かった。寝不足ということはなくて、きちんと睡眠時間はとっているが、眠いか眠くないかは、睡眠時間には無関係だ。ただ、眠いときに眠ることができるのは、健康に良いと思う。躰に逆らわないことが健康法なのでは、と思う。でも、眠くなっては困るときももちろんある。
模型を作っているときに眠くなることはまずない。でも、模型の本を読んでいると眠くなる。小説を書いていて眠くなることはないが、小説を読んでいるとときどき眠くなる。講義をしていて眠くなることはないが、講義を聴いていると必ず眠くなる。ようするに、インプットすると眠くなるようだ。ものを食べた場合にも当てはまる。
商品を売る人は眠くならないだろう。即売会などで売り場に座ったり、バイトをしたことがある人はわかるはず。でも、商品を見て回り、買おうとしているときは眠くなる。オークションの画面を見ていると、僕はすぐに眠くなってしまう。これも、インプットをしようとしているからだろうか。
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乗り心地の良い高級車は、ドライブしていると眠くなる。ミニクーパとかポルシェは眠くならない。足が硬いからだ。モビリオは、最初からオプションでスポーツサスペンションにしてもらった。まえのモビリオを運転していると頭が痛くなったからだ。硬いサスのおかげで今は頭痛はしないし、眠くもならない。
【算数】 ロート
ロートは、漏斗という日本語だから「ろうと」と平仮名で書くのが正しい。でも、レンガやメガネみたいに、カタカナ表記が多い(ここまで【国語】)。円錐を逆さまにした形で、下に穴があって管が続いている。小さい口の容器に液体を入れるときに使う道具だ。
お風呂の底の栓を抜くと、お風呂の水が流れ落ちる。このとき、どんなスピードで水は流れるだろう。たとえば、水が半分の深さになるまでの時間と、残り半分がなくなる時間は同じではない。それは、お風呂が深いときの方が、水が流れるスピードが速いからだ。だから、急いで水を抜きたかったら、湯に人が浸かっている方が短い時間で落ちる。
つまり、容器の深さによって、出口にかかる水圧が決まり、この水圧が、出口から水が流れる速度を支配している。同じ水量のものでも、縦長で深い容器の方が水が早く落ちる。
水の深さは、流れ出る水量によって変化(減少)する。その流れ出る速度が、水の深さによって変化(減少)する、という相互関係である。数学的には、微分方程式が成立し、これを解くと水位変化曲線が得られる。
円柱のロートと円錐のロートを比べてみよう。体積が同じで、深さが同じ円柱形のロートと、逆さまになった円錐形のロートにいっぱいに水を入れる。最初は深さが同じだから、流れ出る水のスピードは同じだ。しかし、同量の水が出た場合、円柱の方が速く水位が低くなる。したがって、次の瞬間には、円錐形の方が水が早く流れ出る。水が早く落ちるため、いずれは水位が追いつき、両者は再び同じ深さになる。このときには、水の残量は円錐形の方が少ない。その後は、円錐形の方が水位が低くなり、流れ出る速度は逆転して、円柱の方が速くなる。さて、最終的にはどちらのロートがさきに水がなくなる?
2008年05月04日(日曜日)
【HR】 穴あきジーンズ
昨日より少し涼しい爽やかな晴天。GWに雨が降らないなんて珍しいのでは。
朝はまず庭で水やり。パスカルは毎日毎日同じことで飽きもせず遊ぶ。趣味の幅が狭いな。まあ、犬のことはいえない。
「α」は5000文字書いて、完成度95%に。「スカイ・イクリプス」2校は7/8まで見た。明日終わる。「MLA10」のゲラも10%ほど読んだ。4月に出た3冊の感想がメールで沢山届いている。感謝。
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昨日塗料を剥がしたものを、今日は再塗装。デッキでウレタンを吹いた。先週、ホームセンタでデジタルのキッチン秤を購入したので、それを使って重さを測りながら塗料を調合した。少量でも誤差がなく混ぜられるので、一気に沢山作らなくても良いから便利。3月に花粉のために購入したマスクが余っていたので、それをして作業。でも、風があったし、マスクも汚れなかったから、必要なかったかも。
飛行機の塗装は、重くならないように、と気を遣うのだが、機関車は重量についてはまったく気にしなくて良くて、この点ではとても気楽。飛行機を作るときも、一番難しい工程は塗装だった。プラモデルもそうだし。
昨日、塗装剥がしをして疲れてしまい、夕方ぐったりしていたのだが、冷蔵庫にアイスクリームがあったから、それを食べたら、急に元気になって、またやる気が出てきた。暑かったこともあって血糖値が下がっていたのか、と気づいた。今日も、アイスクリームを食べようかな、と思ったけれど、そんなに疲れていないし、躰も軽いので、やめておく。こういうのは、冷凍温存。
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今日穿いているジーンズは膝に穴があいている。ファッションではなくて、長く穿いているから、自然にすり切れたのだ。スバル氏に話したら、「捨てたら?」と軽く言われた。でも、汚れる仕事をするときは適しているしな、と毎日穿いている。つまり、毎日汚れる仕事をしていたりするのだ。こういう穴があいたジーンズはほかにもあって、どういうわけか、必ず穴は左の膝である。どんな癖が自分にあるのだろう、と考えてみたが、不明。
模型には「ウェザリング」という技法がある。塗料が剥げていたり、錆びついていたり、煤や油で汚れている感じ、ようするに「使用感」や「風化」を再現することだ。新品の模型を汚して古く見せるのである。これがファッションとして普及するのでは、と昔僕は予想していた。ジーンズを色褪せさせたり、ほつれさせたり、穴があけたりものが、その後やはり流行った。自動車をぼこぼこに凹ませるとか、アクセサリィを錆だらけに見せるとか、もう少し幅があっても良いように思うけれど。
【国語】 文字の大きさ
ワープロで文字の大きさが自由に変えられるようになったのは、つい最近のことだ。ほんの10年ちょっとまえまで、まだ「倍角」なんてやっていた(Macは最初から文字サイズが可変だったけど)。
ネットの文章は、比較的簡単に文字サイズが変えられる。個人のブログなんかを見ても、強調のために大きな文字を使う人は多い。そういう僕も、HP「浮遊工作室」の「近況報告」のページを見てもらえばわかるが、文字サイズが不統一なこの「賑やかな文章」が好きな方だ。かつての日記は、ボールドを多用した。今は、その名残が「機関車製作部」のレポートにある。このMLAで、それをやめたのは、シンプルな方が読みやすいという人が多数だったからだ。
強調したいときは、かつてはアンダーラインや傍点などが使われた。カラーの時代になると、文字色を変えて強調することが増えた。文字サイズを変えることは、読み手の方に抵抗があったものと思う。でも、だんだん増えつつあることは確か。読みにくいという人がいる一方で、読みやすいという人も増えているみたいだ。
今後は、「動く文字」がどんどん増えてくるだろう。踊っていたり、揺れていたり、回っていたり、各種のパターンが考え出されて、さらに目まぐるしく賑やかになることだろう。「鬱陶しい!」と年寄りは感じるにちがいないが。
強調以外にも、たとえば人の会話などで、大声のときはサイズを大きく、囁くときは小さく、というテクニックも面白い。そんなこといちいちやっていられないかもしれないが、非常に直感的な気はする。既に常用している作家はいるだろうか。
2008年05月03日(土曜日)
【HR】 苦労なんて簡単
日射がクリアな晴天。29℃くらいあった。風が爽やか。世間はGWらしい。緑地公園にいるのか、右翼の宣伝カーが流しているらしい「燃えよドラゴンズ」が風に乗って微かに聞こえた。
朝はパスカルと水遊び。とにかく、散歩よりも水遊びがしたいみたいだ。でも、スプリンクラは嫌いだ。
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午前中に小説の仕事を片づける。「α」は5000文字書いて90%まで。「スカイ・イクリプス」2校は5/8まで。「MLA10」のゲラが届き、羽海野氏の表紙イラストも見せてもらった。ゲラ校正とあとがきは締切が7日と言われたが、少々無理なので、I子氏にお願いして14日にしてもらった。たぶん、9日くらいにはできるだろう。僕の場合は、9日にできる仕事は、14日の締切でちょうど良い。誰かが突然死んで葬式があるかもしれない。病気になるかもしれない。それくらいの余裕は必要だ。「庭園鉄道〜」のごく一部のゲラも届いた。調整が必要な部分だけ。全体は後日とのこと。この仕事にかかれるのは2週間後くらいか。
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スバル氏の買いもので、車を運転し、駐車場で待つ間にゲラを読んだ。風が気持ち良く、仕事に適した環境だった。
昨日、機関車の試運転が不調だったので、それを直して再挑戦、とも思ったけれど、デッキで塗装剥がしを始めてしまった。GWは天気が良さそうなので、また塗装をしよう、そのまえに剥がそう、というわけである。つまり、再塗装の準備。3時間くらい、ひたすらヘラで塗料を削ぎ落とした。長時間続けたので、手(握力の筋肉)が疲れた。
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こういった単純作業は大好きだ。先日も書いたが、僕は24歳で国立大学の助手になった。技官や事務官ならば残業手当があるが、助手から上は教育職なのでこれがない。教授から依頼された仕事をする場合もあるけれど、基本的に自由で、出勤簿もなければ、勤務時間という意識もない。
なにもしなければ、なにもしないで過ぎていく。だから、教授から仕事が来ると、それが嬉しい。「やることがある」という状況は、考えなくて良いし、ただこなせば成果が出る。精神的にとても楽な状況だ。
毎日毎日、今日は何をするか、自分で考える。明日は何を、明後日は何を、来年は何を、10年後は何をするのか、全部自分で決めて、そしてそのとおりに実行する。実行できたかどうかを見ているのも自分以外にいない。誰も怒らないし、誰も褒めてくれない。こういう仕事を「苦労がない」と言う人もいるだろう。たしかにそうかもしれない。しかし、それだったら、苦労があった方がずっと精神的に楽だ、と僕は思う。
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苦労なんて簡単だ。苦労するものがあれば、それをやっていれば、ノルマを達成したり、時間が過ぎたりして、ちゃんと「終わる」し、終わったら、評価もされる。苦労を与えられることは、幸せな状況だ。まるでゲームのように。
僕は、土日も祭日も、お盆もお正月も休まなかった。仕事が終わることなんてない。苦労をした覚えもない。何に苦労をすれば良いのか、いつも考えていた。自分に問わなければならなかった。何をするべきか? どうやってするのか? 何故するのか? はたして価値はあるのか?
そういうわけで、塗装をひたすら剥がすような仕事、ヤスリで金属を削るような仕事って、ただ没頭していれば、ちゃんと「終わり」が来る。それだけでも癒される。奇跡的に楽しい仕事だと感じてしまうのだ。
【体育】 危険なスポーツ
スバル氏が、「ハンマ投げ」と「やり投げ」について、「あんな危ないものを、子供が学校でやるわけでしょう? なんか考えたらいいのに」と苦言を呈していた。たしかに、今どき「槍か?」「弓矢か?」みたいな気は少しする。
しかし、そういう見方をすれば、野球のバットだって危ない。ゴルフのクラブはもっと殺人的だ。スポーツで誤って人を殺してしまった、という事故はけっこうあるのではないか。闘牛を見て、「あんな危ないことしなくても」と思う人は多いだろうし、日本古来の祭りでも、「怪我人が出ない方がおかしい」なんてものは珍しくない。もちろん、やりたい人が覚悟のうえでやるのは良い。けれど、関係のない人まで巻き込まれるのは問題だし、それが普通の中学や高校で行われているとしたら、「大丈夫なのか?」という心配も一理ある。
どうして、もっと剣玉とかお手玉とか、怪我をしにくいものがスポーツにならないのか不思議だ。それはたぶん、スポーツの多くが「戦い」を模擬しているし、戦闘能力を鍛えるために生まれたことに関係しているだろう。「平和の祭典」なんていっているが、元を辿れば、そこはかとなく戦争ムードなのだ。
しかし、これはスポーツに限らない。多くのゲームが、戦略的なものを模擬している。それは、現代のゲームでも同じで、内容は全然平和的ではないものがほとんどだ。
もちろん、それが悪いわけでは全然ない。まったく問題ない。気をつけてやりましょう、というだけ。
普通の人がいきなり真似をしたとき、一番危ない(ように見える)のは、スキーのジャンプではないだろうか。あれって、着地のスロープをもっと低く伸ばしたら、いくらでも、何百メートルでも、飛び続けることができると思う。2分くらい滞空していたら、凄いだろうなあ、と思いながら観ているのだが、あまりにも危険すぎるか。
2008年05月02日(金曜日)
【HR】 試運転は不調
昨夜、ほんの少し雨が降ったようだ。朝から曇り空。パスカルがとても元気で、庭で鳥を追いかけて走る走る。しかし、スプリンクラを回すと、元気がなくなってしまう。
今日は機関車の試運転をする予定なので、早めに小説の仕事を片づけた。「α」は5000文字書いて85%まで。「スカイ・イクリプス」2校は3/8まで読んだ。映画の関係で取材の申し込みが2つ来た。ぎりぎりになって来るのだ。普通なら断るところだけれど、しかたがないか。
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レディ・マドキャップをスチームアップするためガレージから出す。まず、灰受けを取り外して、前回の灰を落とした。これをするときは、機関車を持ち上げないといけないが、片方ずつ上げて、レンガを差し入れ、浮かせるのである。
蒸気圧はすぐに上がって、運転が可能になった。今回は新しく取り付けた給油機のテストである。しかし、配管の一部から軽微な蒸気漏れがあった。そのまま試験を続行したが、どうも油が上手く送れない。蒸気漏れのせいかどうかはわからない。圧力を変えたり、方々のジョイントを外してチェックをした。エラーがあるときは、できるだけ多い条件でデータを集め、原因を推理する必要がある。
走るのに支障はなかったので、5周ほど庭園を回った。ほかには不具合はない。しかし、ガレージに戻ったあと、ポンプも不調になった。こちらも分解して確かめる必要があるか。
というわけで、課題を残した結果だった。仕事が増えてしまったが、ちっとも上手くいかないから、こんなにのめり込んでいるともいえる。
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そのあと、電気機関車に殺虫剤を載せて走り、庭を見回った。昨日いなくなった毛虫がまた出てきたので、退治できた。やはり昼間は出てくるのだ。殺気を感知して逃げたわけではなかった。
疲れたので、昼寝も30分くらい。体調は悪くない。
夕方も庭で高い犬の声がする。子犬でもそんな鳴き方はしない、という声だ。これは、パスカルが水で遊んでいるときの声である。スプリンクラは駄目だが、ホースで水を出すと、ハッスルのスイッチが入る。
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そういえば、国会で議長を部屋へ入れないという実力行使をした党がある。何だろう、長年の負け組に染みついた下品さだろうか。いくら正しいことを言っていても、行動がこれでは馬鹿馬鹿しく見えてしまう。税金を道路ばかりに使うのと同じくらい、エネルギィの使い方を間違えている。そんなことをさせるために、国民は投票をしたのではないだろう、と僕は思うがいかがか。
【社会】 長続きしなければエコではない
エコバッグをスバル氏も使っている。しかしそのバッグ、いつまで使えるのだろう? 1つのバッグで何年も持ち堪えられるだろうか。重量物を運ぶので、すぐに壊れそうだ。壊れなくても、新しいデザインのものが欲しくならないだろうか。短期間で取り替えてしまったら、それはもうエコバッグではない。少なくとも1年くらいでは元が取れないように思われる。
そもそも、マイバックなんか買わないで、あのポリ袋を何度も繰り返し使えば良かったのではないか。どうして新しいバッグが必要なのか? 何故そんなものをわざわざ作ったのか? それを作って売る姿勢が、全然エコではない。
割り箸は自然破壊だから自分の箸を持ち歩く、という運動がかつて流行った。そのために新しい箸が売れた。その箸を今でも持ち歩いている人がどれだけいるだろう?
環境に優しいハイブリッドカーも、最低でも購入したら10年以上は乗り続けなければ意味がない。新しい車を買うよりは、古い車にずっと乗り続けることの方がエコだ。住宅だって、新しく省エネハウスを建てるよりも、古くなっても住み続けることがエコである。
省エネやエコを売りものにしている商品に飛びつくことは、結局は地球に優しくない。とにかく、新しいものを買わない。そして新しいものを作らない。必然的に、経済はどんどん低迷する。この不況こそが、エコだし、地球に優しい。
環境を考えるうえで、最も重要なことは「維持」や「持続」であって、「導入」や「刷新」ではない。「ビジネスチャンスになる」という発想自体が、既にエコではない。

