★2008年12月31日で更新を終了しました。
★最終巻『MORI LOG ACADEMY 13』はメディアファクトリーより3月発行予定。
★その他の発行物については、「浮遊工作室内の予定表」をご覧下さい。
2008年12月31日(水曜日)
【HR】 たぶん優しさだろう
8時起床。暖かい大晦日。
朝は、スバル氏が庭で水やりをして、パスカルがびしょ濡れになって走り回っていた。午前中にシャンプーの予定だったので、びたびたになっても良い、という(パスカルではなくスバル氏の)判断だったようだ。
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メールがこの24時間に600通ほど届いた。とても読む時間がない。書店で「博士、質問があります!」や「MLA」が売り切れているらしい。そういえば、このまえ駐車場でゲラを読んでいたら、隣の車で、奥さんが「ねえ、ここにあった○○って、どうしたんだっけ?」と旦那さんに10回くらい連続で尋ねていた。最後にようやく、旦那さんが「知らんがな」と一言。奥さんはこれで黙った。まあ、そのときの旦那さんの気持ちを彷彿させる。
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どうも、何割かの人が、「引退」という言葉を使っているのが気になる。2008年8/3の【HR】の最後に書いたことをもう一度読んでほしい。まだまだ締切に追われることに変わりはない。「隠匿」というのも、全然違うと思う。読者に顔を見せないごく普通の作家(たとえば、西尾維新氏とか)になるだけである。そんな大層なことではないだろう。たとえるならば、これまでがバブルだった、ということ(たとえが悪い)。
HP「浮遊工作室」の「近況報告」のページを更新した。これが最後で、内容は近況というよりは、最後のご挨拶になっている。この「MLA」を読んできた方には、新しい情報はない。
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昨夜は、4つほど模型関係の荷物が届いた。いずれもエンジンである。1つはジャンクだったけれど、すぐに分解してみた。水平対向4気筒である。まえの持ち主が取り替えたらしいボルトが長すぎてカムと擦れ合っていたので、これを修正。それから、バルブのシリンダが変形していたので、ヤスリで内側を慎重に削ってピストンが軽く動くように直した。なんとか動いたけれど、パワーは期待できない。でも、音は良かった。
数日まえから始めている機関車の工作は、いよいよ一番難しい工程になった。穴を1つあけるのに1時間くらいかけるほど慎重に進めなければならない。実際に、最初の1つの穴に1時間かけた。位置の誤差を0.1mm以下にしたいからだ。とにかく慌てず、ゆっくり進めよう。頭で何度もシミュレーションをしているのだが、どうも上手くできそうにない。絶対に失敗しそうなのだ。上手くできたら良いなあ……。
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たいてい、これは材料がもうない、という工作で失敗をする。いくらでもやり直しができるときには、上手くいくのである。ようするに、背水の陣では勝てない、という法則になる。練習ではうまくいったのに、本番で失敗、というようなものだろうか。だからこそ、常に材料を補充し、豊富に在庫しているのに、たいていその材料だけが探しても出てこないのだ。
こういう失敗は子供のときから繰り返してきたのだが、学んだことというか、成長した部分もある。失敗をしないようになったのではなく、失敗しても笑っていられるようになった。まあまあ、いいじゃないの、これくらい、いつものことだし、微笑ましいかぎりだよ、と本心で思えるようになった。だから、上達しないのか……。
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今日は、朝はスバル氏が買ってきたドーナツを食べた。お昼は、スバル氏が作ったスパゲッティ2種類を少しずつ食べた。夜は、料亭から届いたおせち料理を食べた。「え、もう食べるの?」と尋ねたら、「早く食べた方が美味しい」との返答で、彼女らしい。
コーヒーを淹れて、工作室で飲みながら、次のステップをいかに失敗なく加工するか、を考えた。結局は、頭で考えているとおりにはいかないことが失敗の主原因なのだから、考えてもしかたがないのではないか、と思う。しかし、だからといって、考えないでやって失敗してきた過去の歴史がある。難しい局面だ(加工する部分は曲面ではない)。
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今日の写真のパスカルは全部びたびただけれど、このあとシャンプーして、乾いたらふわふわで良い匂いになった。ふわふわと良い匂いは、写真では伝えられない。また、文章に書いても、残念ながら充分には伝わらない。写真を撮るときも、文章を書くときも、伝わらないことを念頭に置かなければならない。それを承知の上で発信するのが、たぶん優しさだろうし、また、受信した側も、伝わってこなかった分を自分の優しさで補う以外にないだろう。多くの方の優しさに、感謝。
【図工】 これから何を作るのか
もともとの傾向として、1作だけ大作を完成させる、というような志向が僕にはない。これは、小説でも表れているだろう。常に、全部で1作だと考えているのだ。工作でも、いつか納得のいく完璧な作品を1つ作ってやろう、というふうにはまったく考えない。今まで作ってきたものすべてで1作であり、既にもう作り始めているし、いつまでも作っている途中なのである。
そういうわけだから、これからも、ちょっとした小さなものを沢山作るだろう。細かいプロジェクトを思いつくまま作るだろう。とりあえず、ここ2年くらいの予定は立ててあるし、その準備は既にしてあるけれど、半分は、そのときどきに思いついた発想を優先するから、順番を待っているプロジェクトは後回しになって、なかなか実現しない。
後世に残そうとか、そういった志向も微塵もないので、作った端からどんどん壊れて消えていく。したがって、誰も全体を一度に見ることはできない。それが思い描けるのは僕だけだ。
こうしてみると、人生と同じである。人生も、明日からやり直すということはできない。ある年だけを最高で完璧にしよう、というものでもない。生まれたときから自然に始まっていて、毎日少しずつ作り続けている。全部で1つなのである。
短期的な見栄とか、他人に対する意地とかで、一部分だけを飾っても、アンバランスな作品になるだけだ。そのアンバランスさが一番よく見えるのも自分で、無理に飾ったところは、失敗して傷ついた部分よりも、許せない醜さとして残る。
2008年12月30日(火曜日)
【HR】 どんなふうに鳴るのか
7時過ぎに目が覚め、急いでゴミを出した。資源ゴミも燃えるゴミも間に合った。どうも、このMLAのテーマの1つがゴミ出しだったように思う。あと、落ち葉拾いとか。
朝から工作だ。ずっとヤスリをかけていた。今のところ、小さな失敗は沢山あったが、大きな失敗はない。しかし、小さな失敗が積もり積もって、どうにもならなくなるときもあるので、油断はできない。最終的に完成したものが動くかどうかである。昨日、測定精度の話を書いたが、では、天性の目がない場合はどうしたら良いのか。それは、何通りもの方法で、あちらこちらの方向から繰り返し繰り返し測る以外にない。そのうち少しずつ見えるようになるみたいだ。
「T&T」の4編の推敲をした。今日も、ファンメールのリプライに3時間ほどかかった。ここ3日間で1000通以上の「はじめまして」メールが来た。新しいファンがまだまだいるのだな。もったいないことである(笑)。感謝。いつもよりも簡単なリプライしかできないけれど……。
今年は、印税額も最高だったし、企業でいったら絶頂期だから、もっと投資をしてどんどんビジネスを広げるのが普通の経営なのかもしれないが、残念ながら、「普通」じゃないし……。
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夕方にスバル氏が帰ってきた。ライブで最前列だった、と自慢していた。森博嗣の講演会で、最前列に座っているのは、いつもだいたい知った顔である。そういう感じだろうか。違うな……。
ときどき絶食するのは躰に良いと思うが、ときどき人とのつき合いを断つ、というのも効果が期待できる。2カ月くらい誰にも会わない、電話もしない、ネットもしない、という生活をしてみる。そうすると、たとえば買いものをするときも、人に見せられるものではなく、本当に自分が欲しいものを選ぶだろう。人と話せるものを見たり読んだり探したりすることもない。自分が何をしたいのかわかる。でも、そんな贅沢なことができる人は限られているか。
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自分の考えを持つ、自分を確立する、ということが僕のブログから読み取れるそうだが(そういうメールが多かった)、僕は自分の考えがとても曖昧で、常にふらついていて、矛盾だらけだと自覚している。なんとか確固たる思想を持ちたいとは思うけれど、そのつど考えてしまい、そのつど考えが変わる。それから、自分を確立するって、どういうことだろうか? それがもう僕には概念としてわからない。どんなふうになれば確立できたといえるのだろう。
考えれば考えるほど、不安定になるものだ。安定したいから考えないようになる、というのが普通である。なにも考えないで、酒を飲んで、TVをぼんやり見て、日々流されていく、という生活が一番安定しているだろうし、自分が確立している状態かもしれない。なんとか自由になろうと考え、自分の好きに変えてみようと思うほど、不安定になって、自分がわからなくなるはずだ。
ただ、それでも良いと思う。良いと思うしかない、ということ。良いと思うのも自分だけだし。
このまえ、スバル氏と相談して、グラマシーニューヨークの5000円のお菓子セットを買った。普通は誰かにあげたり、あるいはもらったりするものだけれど、自分たちで食べよう、という目的だ。ちょっと贅沢な気がする。こんなことができるのは、自分が確立しているからだろうか。違うな……。
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今日も、アンプの聴き比べをした。このまえ作った最新のアンプが良い音だと思っていたけれど、やっぱり最高ではない、という結論に達した。これまでにない音だったので、ちょっと迷ったけれど……。艶やかすぎたかな……。飾り気がない素直な音の方がやはり上だとわかった。紆余曲折があるな、この世界も。まったく不惑とはいかない。
音楽が聴くアンプやスピーカによって印象が変わるよりも、小説が読者に受け止められるイメージの幅の方がはるかに大きい。小説は記号でありデジタルだから、これを読み手はそれぞれD/A変換し、各自のアンプで増幅し、音を鳴らしているわけである。酷い場合は、音が出ないとか、とんでもない雑音ばかりが再生されることもあるだろう。その鳴り方は元の作品には無関係ではあるけれど、どんな音で鳴るかをある程度は想像して作ることが作者の使命だ。フィルタで除去されるだろうな、というような微かな音も、あるいは普通の耳には聞こえないような周波数の音も、作者は意図的に入れておく。良いシステムで聴く人がいるかもしれないし、可聴域以外のものを感じる人がいるかもしれないから、手抜きはできない。確かなのは、最初の音以上では鳴らない、ということだけだ。
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僕が作った工作物は失敗作が多い。一所懸命作らなかったからだろうか。そんなつもりはなく、いつも最善を尽くしたつもりだ。僕は命懸けで小説を書いたことはないけれど、少なくとも、手抜きをしたことはない。当たり前か……。
【図工】 僕は何を作ったか10
大きなものでは、自宅を作ったことがある。僕が工作をしたわけではなく、設計をしたという意味だ。面倒なことだった。いちおう、建築学科なので、図面くらいは描ける。結果はどうだったかというと、まあ、思ったとおりにできるものだな、ということがわかっただけだ。あまり面白くなかった。もう一度やりたいとは思わない。
実物の自動車も、実験室で学生と一緒に組み立てたけれど、これも想像の範囲内で、めちゃくちゃ面白かったわけではなかった。大きなプラモデルを作っている感覚だった。なにしろ、エンジンとかモータとか電子部品とか、主要なパーツが既にあるわけで、作るというよりは、それらを使って組み立てている感覚だ。これは家を建てるときと同じである。
それよりは、ボール紙を切って、紙飛行機を作る方が、すべてを作り上げた気分になれる。実際に、家を設計するよりも難しいかもしれない。
本当は、住みながら、自分で少しずつ作っていく家が良かったのだけれど、どうしても住みにくくなるし、家族の理解が得られない。同じ家に家族が住んでいることが問題だ。そこが良くない。機関車や飛行機は、家族には関係がないから、自由にできる。同様に、人と関係しないで作れるものが、僕は好きだ。共同で作るものには、最初からあまり興味がない。だから、大きなものではなく、自分の力でなんとかなるような、比較的小さなものが対象になってきたわけだ。
しかし、こうしてまとめてみても、本当に何を作ったのか、と首を傾げてしまう。
何を作ろうか、と来る日も来る日も考えている、ということだけは胸を張って断言できるのだが……。
2008年12月29日(月曜日)
【HR】 「上手い」とは何か
昨夜は2時まで本を読んでいたが、今朝は7時に目が覚めた。パスカルを散歩に連れていかなくてはいけないからだ。べつに目覚まし時計をセットしていたわけではない。ゴミでは起きられないのに、パスカルのためならできる。人から押しつけられたルールと、自分で決めたルールの違いか。
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穏やかな日で暖かかった。それに静かだった。車の音とか、飛行機の音とか、工事の音がまったく聞こえてこない。庭掃除も少し。ダンボール箱の解体も少し。明日がゴミの日だから、スバル氏がいないのに資源ゴミを出すことができたら、褒めてもらえるかもしれない。しかし、自信はない。褒められるという報酬では、目が覚めないのだ。でも、パスカルの散歩のために起きて、そのときにゴミのことを忘れていなかったら、という期待である。
パスカルと遊ぶ以外はずっと工作ができる日だ。朝から始めたが、しかし手が疲れる。握力不足になる。指がどこか痛くなるし。それで休憩をして、エッセィ4編を書いた。推敲は明日。
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絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。
ラジコン飛行機の操縦が上手いか下手かは、飛行機の姿勢をいかに精確に捉えられるか、という目で決まる。咄嗟に舵が打てるか、適切な舵が打てるか、といった問題は大したことではない。工作が上手いかどうかも、常に材料を精確に測定できるか、にかかっている。狂いのない飛行機を作れる人は、小さな狂いを見ることができる人である。精確な位置に穴があけられる人は、精確な位置に罫書きができる人だ。
もう少しわかりやすく説明すると、「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。現在の位置や状態を的確に把握できれば、もう「上手い」も同然なのである。
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小説が上手く書ける、とはいうのは? これも、自分が書いた文章を的確に測れるかどうかだと考えられる。測るというのは、この場合、いろいろなファクタがあるけれど、たとえば、どれくらい理解されるか、どれくらい新しいか、どれくらい珍しいか、どれくらい洒落ているか、といった測定だ。どれくらい好きか、という物差しだけでも、しっかりと持っていれば、少なくとも自分の好きなものは書ける。ただ、この1本の物差しだけでは、プロにはなれない。
僕は遠視だったので、ラジコン飛行機の操縦はすぐに上達した。姿勢や挙動がよく見えたからだ。一方、工作が苦手なのは、やはりものが近いためによく見えていないのだと最近気づいた。工作のときはメガネをかけた方が良い。せめてポンチを打つときだけでも。
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今日も沢山のメールが届いたけれど、名前が書かれていないものには返事をしていない。悪しからず。
大勢が書いている共通のフレーズに、「森博嗣を見ていると、真剣に願えば夢が実現する気分になれる」といった内容が散見された。どうかな、僕はいくら願っても無駄だと思う。たとえば、これも最後だから明かすけれど、欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線に招待されるには、どうすれば良いだろうか? 「どうすれば良いですか?」というメールは沢山もらった。こういったメールには僕は答えていない。しかし、唯一の方法とは、「是非乗らせて下さい」という一言である。
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願っているだけではなにも実現しない。方法を人に聞くだけでも実現はしない。自分で方法を考え、自分で手を打って、失敗やリスクを覚悟で行動する、ここで初めて少しだけ可能性が高くなるのだ。今日届いたメールで、それを書いてきた方がお一人いた。過去、JAMのコンベンションで大阪にも東京にも見にきてくれた(僕は顔を覚える)。そういった行動こそが大事なのだと、少なくとも僕は考えているので、この方は次回のオープンディにご招待したい。もうシステムを明かしてしまったので、この手法でご招待するのは最後である。
【図工】 僕は何を作ったか9
工作は、自分が楽しむものだから、フル・スクラッチ(完全自作)であれ、キットの組立てであれ、レストアであれ、また、難しいもの、簡単なもの、時間がかかるもの、短時間で完成するもの、いずれも優劣はない。けれどだいたいは、自分のオリジナルで、難しくて、時間がかかるものの方が楽しみは大きい。ただし、苦しみもそれなりに伴うので、差し引きをすると、あまり変わらないかもしれない。他者の評価を受ける場合には、オリジナルで苦しさが大きいものが有利だが。
最も長い時間をかけた工作物はなにかと、と考えると、庭に敷かれている弁天ヶ丘線のレイアウトだろうか。車両では、ポピンジャイという機関車が半年くらいかかっているオリジナルのフル・スクラッチである。でも、特に思い入れがあるわけではない。作っている間が一番楽しいので、完成してしまったら、それを眺めることで、作っていた時間を思い出して、懐かしむだけである。
もしかしたら、一番時間をかけたのは、プログラムだったかもしれない。若いときに沢山のプログラムを書いた。研究に使う数値計算のプログラムよりも、ゲームのプログラムの方がずっと難しいし、コードも長くなる。グラフィックスを使いたければ、それを描くためのソフトまで作らなければならなかったから、ようするにツールからすべて自作するのと同じだ。今はもうできないだろう。頭脳の体力がない。
この10年ほどは、金属工作を練習している。多少は上手くなったかもしれないが、まだ初心者のレベルだ。作品は幾つかあるけれど、人に見せられる(たとえば雑誌に投稿できる)ようなものは皆無。生きているうちに、一度くらい投稿記事が書けるような作品が作りたいが、見込みはあまりない。
2008年12月28日(日曜日)
【HR】 よくもよくもまあ
今朝は起きたら9時に近かった。昨夜遅くまでベッドで数学の本を読んでいたせいか、あるいは暖かい寝間着のせいか。
スバル氏が出かけていくので、駅まですぐ送った。パスカルがしょんぼり。風が冷たいが、それほど寒くはない。庭の落ち葉掃除を少しだけした。
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小説の仕事は、「T&T」のエッセィ4編をそれぞれ半分ずつ書いたことくらい。来年3月発行の「D&D」に収録される対談(ゆうきまさみ氏、西尾維新氏、山本直樹氏)の原稿が上がってきた。読み応えがありそう。あとは、膨大な量のファンメールのリプライに時間がかかった。今日は少し減ったので、ほっとしている。落ち葉と同じで、無限に降ってくるわけではないか。
暖かい工作室で真鍮を切ったり削ったり。失敗しないように慎重に進めている。井上氏が33年もまえに模型雑誌に書いた記事に従って機関車を作っているのだ。33年まえの僕には作れなかったので、リベンジである。毎日数時間やっても1カ月以上はかかるだろう。こんなものが作れる少年が日本にいたのか、というと……、いたのだ、当時はけっこう。
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子供の頃には、日記なんか続いたためしがないし、作文は大嫌いだったし、そもそも本を滅多に読まない子供だったし、国語はいつも最低の成績だった。そういう僕なので、ネットの日記について「よく毎日こんなに続けられますね」と言われると、「ホント、そう思う」と素直に肯定してしまう。自分でも信じられない。よくもよくもまあ毎日休まずに、といったところである。
たぶん、森博嗣の日記の特徴というのは、日々の日常を書いているようで書いていないこと、これといって特に珍しいイベントが起きないこと、などだろう。珍しい人物に会ったり、珍しい場所へ行っても、ほとんど詳しい説明がない。ようするに、具体的な情報がなにも書かれていない。固有名詞を覚えないことも一因だが、もともとの認識が抽象的といえば抽象的だろうか。
「どこへ行ってきたの?」「バリへ」「へえ、凄いね」「バリってどこか知っているの?」「いや、知らない」というような会話をしたくないので、固有名詞を避けている。
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それから、自分の思ったことを心の底から引っ張り出して赤裸々に語らないことも傾向としてあるかも。感情を表に出さないことにしている。いろいろ悪口を書いているようで、実は一度として個人を非難したことはない。嫌いな奴はいるけれど、書いたってしかたがないではないか。その点、システムや仕組みの問題点を指摘することは、改善の期待もあるし、同じ被害の防止にもなるから、他人が読んで価値があるだろう、と考えて書いている。
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書きたいことがある日、というのは稀であって、たいていは、なにも書きたくない日である。それでも、その日に必ず書く。これは大事なことで、たとえば、仕事でその人が使えるかどうか、というときには、その人のコンディションが最悪で、やる気のないときに、どれくらい仕事ができるか、という点で見るべきだ。最高のコンディションで、やる気満々のときで評価してはいけない。できるリーダが見るのはここである。
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素晴らしい作品、天才的な作品というのは、素晴らしい才能、天才的な技量によって産み出される。その人の根性とか、やる気とか、気合いとか、命をかけた意気込みとか、ハングリィ精神とか、そんなコンディションによって後押しされるものではない(コンディションがマイナスに作用することがあるだけだ)。また、家族のバックアップとか、ファンの熱心な声援とか、病気の少年が書いた手紙とか、そういうものにも無関係だ。もし、その種のもので作品の出来に影響が出ると思う場合は、創作者が未熟であるか、あるいは創作というものをなめているかのいずれかである。
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ただ、素晴らしい作品をつぎつぎ世に送る天才的な才能の持ち主は、森博嗣よりは少し賢いはずだから、こんな本音はけっしてもらさないだろう。
【図工】 僕は何を作ったか8
庭園鉄道を作ろうと思いついたのは小学生のときで、アメリカの公園で大人が機関車に跨って乗っている写真を雑誌で見たからだ。子供じゃなくて大人がやっていることが衝撃だった。大人になってもこうやって遊んで良いのだ、と思った。鉄道模型の本を読むと、大人しか出てこない。大人がたいそう真面目に作っているのである。どうして、僕の周りにそういう大人がいないのか、と不思議に感じた。
500円玉を貯金して、最初の機関車のキットを購入した話は既に書いたが、そのときは、子供がまだ小学生だったから生活が大変だった。庭には線路を敷くスペースなどない。資金もない。仕事は忙しくて時間はない。しかし、老後まで待っていたら結局できないのではないか、と思い、なんとかしようと考えた。そういうわけで、資金を稼ぐためのバイトを思いついたのである。このあたりは何度も書いているから有名な話だ。
小説を書くために時間を取られ、飛行機を作る時間が削られた。楽しみを犠牲にして、資金を稼いだわけである。それで土地を買って、庭園鉄道の建設を始めた。だから、もともとあった環境では全然ない。恵まれていたわけではなく、自分で自分に恵んだのだ。
うまくいったな、とは全然考えていない。うまくいかなかったな、とも思っていない。うまくいかなかったら、もっと違う楽しみ方を見出していただろうし、別の方法だったら、もっともっとうまくいったかもしれない。そういうふうには、そもそも考えないのである。自分の選択した道しか経験していないのだから、歩まなかった道と比較しようがない。
庭園鉄道を始めたおかげで、機関車の仲間というか、ベテランモデラの方々と知り合った。今まで、どうやって入手すれば良いのかわからなかった数々の品が、だんだん手に入るようになったのも、一部はこういった交流のおかげだ。なるほど、ある程度は社会性がないとできないものがあるのだな、とわかったしだいである。
2008年12月27日(土曜日)
【HR】 失敗の記念碑
朝は冷え込んだ。昨夜は風が強かったようだ。庭で幾つかものが移動していた。
今日は、仕事はオフにする予定だったが、「D&D」に引き続きFM東京の携帯サイトで1月からスタートする「TRUCK & TROLL」の最初の4編のテーマを考えた。明日から書こう。「スカイ・イクリプス」文庫版のゲラも最後まで見た。2月に発行するこの文庫版は単色のカバーデザインに戻るけれど、アニメ版カバー(西尾鉄也氏画)が、同じ頃に発売されるDVDにオマケとして入っているらしい。
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パスカルを乗せて、スバル氏と書店とスーパへ。1月は少し時間が取れそうなので、読みたい本を数冊買ってきた。スーパでは、明日から数日一人暮らしなので、保存食&自炊食を購入。帰りにガソリンを入れたら、めちゃくちゃ安かった。こんなに安くなっているのだから、あの頃マスコミが報道していた人たち、みんなどれだけ儲けているのだろう。値上がりすると政府に対策を求めるのに、値下がりしたときは黙っているのだな、庶民というのは。こんなに値下がりしているのだから、ガソリン1リットル当たり10円くらい余分に徴収して、福祉に充てるとか、助け合い運動に使うとか、考えても良さそうなものだが。
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午後は工作をした。金属の加工で、何が一番大変かというと、測定と罫書き(切ったり、穴をあけたりする位置を材料に記すこと)だ。神経を使うし時間もかかる。罫書きさえ済めば、あとは楽しい加工の時間だ。言われたとおりにするだけの労働というのは、安気で楽しい。失敗したら、「あ、やっちゃったぁ」で済む立場だし、疲れたり具合が悪かったら、「ちょっと休みます」で済む立場である。まあ、こういう人はやっぱりリストラされるかもしれない、不況になったらね。自分の中にいる労働者の話である。誤解のないように。
リストラというのは、悪い言葉ではない。整理をすることだ。苦痛が多すぎたり、こんな無駄な作業はしたくない、と思ったらリストラすれば良い。僕は、たとえばギャンブルと酒と煙草はリストラしてきた。テレビを見たり、新聞を読んだりすることもリストラした。友達と騒いだり、忘年会や同窓会や町内会に参加したりすることもリストラした。知らないうちに纏いつく余計なものって実に多い。本当にしたいものができなくなるから、できるだけ早めに処理をする。もちろん、ただ切るというだけでは角が立つので、いろいろ根回しや理屈が必要である。そこは戦略を練るしかない。
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ところで、続けてきたものをやめると、たいてい人から言われるのである、「では、いよいよ、○○に専念されるのですね」と。それは違うな。専念したくて整理をするわけではない。新しいことをしたいからやめるのである。既にやっていることは、べつに不自由なくしているわけで、それの時間を増やそう、という気持ちはない。そういう気持ちがあったら、とうに時間をやりくりして増やしているだろう。なにかをやめないと、なにかができない、ということは、たぶんこの世にはほとんどない。ただ、なにかをやめると、余裕が生まれて、新しいことに挑戦したくなる。それが面白いのだ。
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昨日は「失敗がなかった」と書いたが、夜遅く作った工作物は、出来上がったら形が歪んでいた。不思議だ。ちゃんと測って慎重に作ったのに……。だから、布団に入っても、いったいどこで間違いが起こるのか、と考えていた。こういったときも、僕は自分を許して、出来上がったものを受け入れる。「この失敗を次はしないように」という記念碑にするのである。「ほら、こんなに歪んでいる」という自慢を人にするのにも使えるし、ずっと将来、「ああ、以前はこの程度の力量だったか」と微笑ましく手に取ることができるし、むしろ成功した作品よりも使い道がある。
【図工】 僕は何を作ったか7
小学生のときに一番沢山プラモデルを作った。そのほとんどは「動く」プラモデルだ。飾っておくだけのものは価値がわからなかったからだ。大学生になって、ディスプレィする目的のプラモデルに目覚め、飛行機を沢山作った。それまで、飛行機のプラモデルにはまったく興味がなかった。飛ばないからである。
せっかちだから色を塗っても乾くのが待てない。塗装は下手だった。大学になると、学業が忙しいから、毎晩少しだけ作業を進める、ということができる。これが幸いしたようだ。
あるとき、僕の親友が下宿に尋ねてきて、僕が作ったプラモデルを見た。「いいなあ、優雅で」と彼は言ったのだ。そういうものが優雅だというのは、つまり、忙しいときに子供の遊びをしていられる余裕のことだったのだろう。皮肉だったかもしれない。人はそんなふうに感じるのか、と初めて知った。小学生のときには、クラスの友達はみんなプラモデルを作っていた。そういう世代だったのだ。でも、大学生になっても作っている、という奴はあまりいなかった。いても、そんなこと、人に話さないから、話題にならないのである。
いずれにしても、このディスプレィモデル、というのは、僕には新しいジャンルだった。リアルに作ったり、綺麗に作ったり、そういった仕上げの性能というものが、ある程度は大事なのだな、と理解したわけである。
ちなみに、飛行機のプラモデルは100機以上作ったと思うけれど、ほとんど残っていない。引越のときなどにごっそり捨ててしまった。
2008年12月26日(金曜日)
【HR】 常識と失敗とファンメール
最近、よく眠れる。今朝は起きたら、もうゴミ出しが終わっていた。寒い感じの日。
小説を午前中に書いた。予定よりも1日早いが最後まで書き上げた。11万3000文字くらいだった。2月に手直しをする予定で、最終的には2割くらいは増えるだろう。とりあえず、終わったのでほっとした。
スバル氏を誘ってフィアットで出かけた。僕は工作の材料が買いたかった。真鍮材ばかり1万円ほど購入。リブサンドも食べた。パスカルは留守番だった。
埼玉の井上氏から葉書が来ていて、「博士、質問があります!」を僕が送ったので、それに対するお礼の文面だったが、スバル氏が読んで、「びっくりした。大人の常識が丁寧に説明されている、って書いてあったから」とおっしゃった。あの本に書いてあることが「大人の常識」だとは彼女にはどうしても思えない、という理由らしい。大阪の佐藤氏からは、「身近にある、ちょっとした疑問とか、ためになる話、っていうメールが来たよ」と僕が話したら、「身近かぁ?」と唸っていた。そういえば、ライブスチーマの平岡氏からは「私は一輪車が前後に何故倒れないかという疑問を持った、というメールが来たよ」とさらに話すと、「皆さんからお題をもらって、続編を出したら?」とおっしゃった。
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午後は工作室で、真鍮を削ったり、糸鋸で切ったりしていた。今日は特に失敗はなかったが、だいたい僕の工作というのは失敗の連続で、いかにそれをリカバするかということをいつも考えて、これまでやってきた。そういうわけだから、研究や実験などで学生が失敗したときに、そのリカバをすぐに思いつく。失敗の対処には自信がある。失敗しないように最初から精確を期せという考えはあまりないようだ。
人によっては、ちょっとでも失敗をすると、作ってきたものをすべて捨てて最初からやり直す、という完璧主義者がいる。職人気質というか、芸術家気質というのか、それはそれで凄いと感心する。ただ、僕の場合はその反対で、なんとか失敗した工作物を活かすことを考える。寸法が少々間違っていても、どこかで折り合いをつけて収めてしまう方法を考える。これは、自分のものを作っているのだし、自分しか評価しないものだからできることだとは思う。このあとの工程を他者が引き継いだり、僕が作った部品を誰かが使う、という場合にはありえないことだ。他者が関与する場合は、どこがどう違っているかを説明するよりは作り直した方が早い。
完璧でなければならないときも、ときどきある。そのときは、思い切り完璧にすれば良いだけの話だ。完璧を避けているわけではない。
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ファンからのメールが尋常な数ではない。いつもの2倍くらいになっている。嬉しい悲鳴を上げたいところだが、いうほど嬉しいわけではないので上げられない。でも、迷惑ではない。このところ、小説の執筆時間の3倍ほどかけて、メールのリプライをしている。まえから書いていることだが、ファンの声援が作家の作品の質に与える影響は皆無である。素敵なキッチンと同じだ。通常、届いたメールは、2日くらいあとで読んでリプライする。だから、リプライできるのは、たぶん、12/29までに届いたものである(この文章がアップされたときには、もう遅い)。今年中に届いたものにリプライすると約束した訳ではない。今年中はリプライする、と書いただけだ。あしからず。
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デビューして最初の頃は、掲示板で読者の質問に逐一答えていたし、チャットもしていたし、ファン倶楽部の掲示板にも頻繁に顔を出していた。ネットを通じてファンと親しくやり取りをした作家は、僕よりもまえの世代にはいなかった(できなかった)。また、僕よりもあとの世代には、もう携帯が普及したし、ブログも当たり前になったし、ネットも巨大化してしまい、個々のやり取りが難しくなったと思う。ちょうど良い時期だったわけである。今は昔、という感じがする。
【図工】 僕は何を作ったか6
普通は「工作」には属さないとは思うけれど、僕としては同じジャンルだった。それは漫画である。もともと、イラストや絵を描くことが好きだったが、高校生のときに漫画を描く友達ができて、一緒に同人会を作った。大学生になってもこれが続いて、僕はけっこう沢山の漫画作品を描いた。工作と少し違うのは、作品を人に見せることが前提であることだ。それでも、プロになるつもりはまったくなく、マイナな作品ばかり描いていた。周囲の仲間がみんなプロになりたがっているのとは対照的だったと思う。作品でお金を得ようなんて考えもしなかった。
同人誌を出すために資金が必要で、僕は家にある鉄道模型を何台か売った。大学の鉄道研究部へ持っていったら、買ってくれたのだ。僕が自分の模型を売ったのは、このときただ一度だけである。遊んだあとのもの、作ったあとのものは残骸だと考えているのに、手放したことがないのは不思議であるが、残骸として全うしてほしいという願いかもしれない。
漫画を描くことは、25歳くらいでやめてしまった。最後の作品は、著作の1冊に収録されている「夢の街」であるが、これ以上のものは描けないな、という一種の満足を感じたからだった。
今だから告白するが、僕は「黒猫の三角」を書いたときに、本格ミステリィとしては、これ以上のものは自分には書けない、と感じた。ついでにサービスで書いておくけれど、自分で一番評価が高いトリックは、「φは壊れたね」のものだ。鋭い刃ほど、切られても気づかない。大衆に受けるのは、鈍器のような刃である。
残念ながら、模型の工作ではこういった満足の体験がまだない。たぶん、不器用で向いていないからだろう。だからこそ、続いているのだと思う。
2008年12月25日(木曜日)
【HR】 無関係な関係
どうも冬らしい。天気は良かった。もう落ち葉は増えない。パスカルはもこもこ。
小説の執筆は午前中に半分、夜に半分。佳境である。「MLA」がアマゾンでやけに売れている。というか、エッセィ類がランキングの上位に来ている。希少だって書いたからかな。もしそうなら、効果覿面である。書いてみるものだな、と思った。新聞広告よりはずいぶん効き目がある。だけど、作家本人のブログで宣伝しても普通は効果が期待できないものだ。そうか、作家によるのだな、なるほど……。
今年の出版物が出揃ったところで、著作が累計でちょうど200冊になった。「浮遊工作室」の「ミステリィ制作部」に「出版年表」というページがあるので、一度見ていただきたい。ちょっと綺麗だから。そんなに本が出たんだぁ、と思う。ゲラも多いし、見本も多いわけである。よくもこんなに作ったものだ。飛行機や機関車より多いではないか。
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それから、ここ数日、ファンメールが非常に多い。そういうクリスマスだったのだろうか。口が裂けても「多すぎる」なんて書けないが、口が裂けても良いと少し思った。駆け込み寺みたいだ。駆け込み寺というのも、廃業日の前日に沢山駆け込まれたりするのだろうか。電車もドアが閉まる直前に飛び乗る人がいる。なんか得した気分になるのだろう。明らかに錯覚である。電車だけはやめた方が良い。
スバル氏がどこかへ行こうと言いだして出かけていくと、たいてい渋滞に遭い、目的地も混んでいるのである。彼女は、素直に行きたいときに行くし、それが大衆の気持ちの平均と一致しているからだ。一方、僕が出かけるときには、まずなにをおいても、人が行きそうにない場所、行きそうにない時間を選ぶから、たいてい電車も道も目的地も空いている。素直じゃない証拠といえる。
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そういえば、蒲鉾が正月が近づくと高くなる、なんて話をスバル氏がしていた。信じられないことだ。蒲鉾なんか買わなきゃいいじゃないか。すると、「雑煮に入れなくちゃ」とおっしゃった。雑煮なんか食べなきゃいいじゃないか。大晦日には、たいてい彼女は蕎麦を作るのだ。30年近く一緒に生活しているのに、ここまでお互いに影響を受けないというのが凄いと思う。そうか、向こうもそう考えているかもしれない。強情だということでは一致しているだろう。
スバル氏が僕に新しい寝間着を買ってきてくれた。温かそうだ。昨夜、お風呂上がりにパスカルを捜していたら、彼女の部屋にいた。すると、スバル氏が、僕が新しい寝間着を着ていないので、顔をしかめて言った。「どうして、着なかったの?」 せっかく買ってあげたのに、みたいな顔である。
実は、僕は風呂上がりに着る服があるのだ。寝るときに着る寝間着とは別なのである。これを彼女は知らなかったようだ。その説明をしたら、「そんなに何度も着替えるなんて面倒くさい」とおっしゃった。特に、スバル氏は夜になると活動が鈍るので、すべてが面倒くさくなるのである。僕も面倒くさいとは思うけれど、年寄りなんかで、同じ服をずっと着ている人をよく見かけるから、これくらいの面倒くささは生活に意図的に取り入れた方が良いのではあるまいか、と考えて実行していたのである。工作をするときも着替えるし、外出するときも着替えるから、けっこう1日に10回くらい着替えている。先日、僕が風呂に入ったと彼女が勘違いしたのも、僕の服装に1つの理由があったのだな、と判明した(もう1つの理由は、夜間のために彼女の活動が鈍っていたためだが)。もう少し、お互いに関心を持って、お互いを観察した方が良いのではないかと提言しようと思ったが、我が身を振り返って自重した。
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もうそろそろここも最後だから告白しておくが、実はスバル氏と僕は夫婦である。
【図工】 僕は何を作ったか5
大学生になってラジコン飛行機で遊ぶようになったのは、自動車の免許を取ったからだった。自動車が運転できないと、ラジコン飛行機はできない。持ち運べないし、飛行場はもの凄く遠いところにしかないからだ。実は、ラジコンのレーシングカーでも同じだった。走らせる場所まで運ぶためには、自動車を運転しなければならない。子供には(誰かの協力がなければ)できない趣味なのだ。それでも、まだレーシングカーの方が走らせる場所がある。飛行機は本当に飛ばす場所がない。どんな田舎へ行っても、充分な広さがあって、家も道路も電信柱も線路もない場所なんて日本には皆無だ。
したがって、ラジコンのクラブに入会して、クラブで運営する飛行場を使わせてもらう以外に選択肢はない。僕もそうした。模型や工作の関係でクラブに所属するのは初めてだった。学校ではそういった経験がなかったのだ(高校生のときに、電波科学部に在籍したことが唯一の例外)。
その後、飛ばすことがある程度上手になって、2重の消音装置をつけた小型の機体を、大学の早朝のグラウンドで飛ばしたことはあるけれど、これは非常に特殊な例で、普通の飛行機ではまずできない。街中にある普通の大学のグラウンドではできない。400mトラックくらいの広さでは、低速で飛ぶ小型機がせいぜいなのである(熟練者に限られる)。
飛行機の製作はとても面白い。形の正確さのほかに、強さ、硬さ、重量のバランスが同時に要求される。そして、それが完成時の性能に直接響く。さらに、完成するまで試運転が一切できない。試運転で失敗したら、それでお終いである。スリリングだ。でも、スリルを求めて工作をしているわけでもないので、これは1つの長所というだけである。
ラジコン飛行機は、もう100機近く製作したと思う。残っているのは、30〜40機くらいで、飾ってもいるけれど、でも、飾りたいから作ったわけでもない。残っているものも、落ちて壊れたものも同じ、すべて単なる残骸である。
2008年12月24日(水曜日)
【HR】 自分の仕事の価値を知る
よしもとさんからもらったクッキィは1日に2つにしている。美味しすぎる。今朝は冷え込んだ。屋根が凍っていた。
小説の執筆はまったく予定どおりの進行で、文字数だと10万文字を越えている。たぶんあと3日で終わるだろう。そんな気がする。これが終わったら、きっと僕はほっとするだろう。
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今日は機関車製作部の今月のレポートをアップした。楽しみにしている皆さんには申し訳ないが、次回の1月号のあとは、しばらくレポートをお休みする予定である。また、欠伸軽便掲示板にもほとんど書き込みができなくなると思う。悪しからず。
今日は、ドクタ・イエローの3両めを完成させて、3両編成で走らせたが、無動力車が2両になって負荷が増えた分、速度が遅くなった。少し苦しそうだ。モータを大きくして、ギア比を換えてやりたい。こういうふうだから、ちっとも完成しない。もう年越し工作のプロジェクトを始めなければ。
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「森博嗣の半熟セミナ 博士、質問があります!」の重版が決まったという連絡を受けた。発行してまだ1週間だ。でも、僕はこれを予想していた。初版部数を聞いたときに、それは少ないだろう、と思ったからだ。出版社の特に文章系の人たちには、きっとこの本の価値がわからないだろう、とも感じた。しかし、そういう体験というのは、僕の場合は日常茶飯事であって、全然気にしていないし、どちらかというと、わかってもらえないのが普通であり、ときどき理解をされたりするとびっくりする。
たとえば、処女作の「冷たい密室と博士たち」を書いたときも、だんだん面白くなっていくシリーズを想定していたから、最初の1作で編集部から連絡が来るとは思っていなかった。このシリーズが世に出たときも、僕の予想どおり酷評ばかりが目についた。まあ、5年くらいしたら受け入れてもらえるかもしれない、とは思った。
最近のメールでは、Vシリーズが一番面白い、という感想がとても多い。今、みんなはそこなんだ、と思う。日記やエッセィが面白いといわれるようになったのも、つい最近のことである。「小説家は、小説を書いていればいい」というのが、この世界の認識のようである。
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人間というのは、いくら素晴らしくても、新しいものをなかなか認められないものだ。これは自分には合わない。期待していたものではない。今まで好きだったものと違う。そういう処理をしてしまう。自分が好きなものはこんなものだ、と決め込んでいるから、新しいものを排除してしまうのだ。でも、パンチがあとから効いてくるように、インパクトを受けると、あとから気づく。どうしたら新しい価値をすぐに見出せるだろうか。それには、常に自分の感覚を研ぎ澄ませている必要がある。自分の価値観を疑うことも大事だと思う。もし新しいものを作りたいなら、もし新しいものに触れたいのなら、そうした方が良い。
「博士、質問があります!」に話を戻すが、この本の価値の半分はイラストにある。イラストは、僕が下描きをしたものだけれど、キャラクタの絵は、丸を書いて「ここに博士が立っている」というくらいの指定しかしていない。つまり、あとはイラストレータの仕事だ。絵を見るだけで、思わず微笑ましくなるのは、キャラの仕草、表情が面白いからだ。ここに絵の価値がある。文章系の人にはこれが見えないのだ。今回、この本の印税の4割はスバル氏に譲った。僕はその価値を知っているからだ。
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自分の仕事の価値を見定めることは非常に重要だ。原稿料がいくらか、印税がいくらか、そういうことをきちんと認識し、仕事の依頼があったら、最初に金額を話し合ってから仕事を受けるべきである。「お金の話をするのはいやらしい」というのは逆だ。そういうことを言う方がむしろいやらしい。原稿料が5万円なら5万円の価値があるものを作る、10万円なら10万円のものを出す。それがプロではないか。
【図工】 僕は何を作ったか4
最初に作ったラジオは、1石レフレックスだった。小学生のときに、トランシーバや各種のセンサを作った。アマチュア無線の免許を取ったのは中学1年生だが、当時は、送信機や受信機はまだ真空管が多かった。学校の帰りにジャンク屋さんによく寄って、ガラクタを漁っていた。屋根の上10mの高さに、横幅6mもある大きな八木アンテナを上げて、手動で回転させていた。中学と高校は無線に夢中だったように思う。オーディオにはまったく興味がなかった。部品が高すぎたからかもしれない。
模型も部品にお金がかかるので、たいていは紙を使って工作をしていた。鉄道模型はほとんど紙でボディを作ったし、ジオラマは時間がかかるわりに材料費がかからないので、幾つか手がけた。ただ、完全に完成したものはない。途中で厭きてしまうからだ。
中学のときには、親父がドラフタを買ったため、製図板とT定規がもらえたので、図面を描くようになった。これで、ラジコンの飛行機の設計図を幾つか描いた。しかし、エンジンは買えないし、もちろん無線機も高いのでまったく手が出ない。実際に作ったのはフリーフライトのグライダだけだった。
ラジコンを始めたのは、バイトができるようになった大学生のときである。これで、しばらくは鉄道模型もお休みになる。ラジコンは最初はレーシングカー、その次がグライダ、そして飛行機、ヘリコプタ、ヨット、ボートと、ほとんどすべてをやった。一番のめり込んだのは飛行機だけれど、その中でも好きなのはエンジンで、エンジンを回したり調整したりするのが楽しい(もちろん、一番好きなのは作ることだが)。ただ、エンジンは自作が難しい。旋盤はフライス盤が欲しい、と夢見ていた。この当時、旋盤といえば、やはり100万円はした。自動車より高かったのである。
2008年12月23日(火曜日)
【HR】 言葉によって失われるもの
今日も休日らしい。晴れていたけれど気温が低く、風も冷たかった。
午前中に小説を半分書いた。残りは夜。今日は、機関車製作部のA&Bレポート作りに時間をかけた。ほぼ完成。秘書氏に見てもらってから明日アップの予定。
よしもとばななさんからクッキィが届いて、それを食べていたら、ちょうどよしもとさんからメールが来て、「博士、質問があります!」の感想だった。走るヘンリィのことも書いてあったので、動画を見てもらいたくなり、未完成のA&Bレポートを送った。
午前中に、OSのF坂氏が突然来訪。OSというのは、大阪にあるメーカで、エンジンや機関車を販売しているところ。先日組み立てた黄色い機関車がそこの製品だ。ガレージの散らかり様を見てもらった。お土産もいただいた。
スバル氏が午後からコンサートに出かけていくので、駅まで送った。夕食のカレーを作っていってくれたので、チンして食べた。こういう日は安気だ。外出は、パスカルの散歩に夕方出かけたくらい。
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それ以外は、半導体の本を読んでいた。まだまだ知らないことが沢山あるし、試してみたいことが多い。まあでも、50歳を過ぎたら、どんな地位、どんな立場にいても、後進に譲った方が良いのではないか、というのが僕の考えで、本当は50歳じゃなくて40歳だと思っているけれど、なかなかそれは難しい(何がって、普通、仕事を譲ったら食べていけなくなるからだ)。
あと、書店にいくと、ビジネス書がいろいろ並んでいるし、いわゆる啓蒙書の類が多い昨今だけれど、人に向けてアウトプットできるのは、つまり第一線を退いた人である。第一線にいる人間は、そんなものを書いたり話したりしている暇はない。だから、どうもちぐはぐしている気がする。これは、野球のコーチを、既に一流プレイヤではない人が担当するのと同じだ。人にどうこう言う立場というのは、そもそも格好が悪い。作家も、森博嗣も、もちろん例外ではない。
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言い訳をするならば、僕は人になにかこうしなさい、ああしなさい、と書いたつもりはない。そんなこと、わからないからだ。生き方の本とか、思想の本とか、ビジネスの心構えの本とか、絶対に書けないだろう。とても書く自信はない。せいぜい言えるのは、「拘るな」ということだけで、ようするに本にすること、言葉にすること自体が、拘ってしまうのに近いから矛盾している。
言葉の持っている作用というのは、そういうものだ。言葉にしたことで、意味の大半が失われる場合が多い。名前をつけることで、理解が遠退くのと類似している。割り算の難しさは、「等分除」とか、そんな名前をつけることで解決するわけではないし、それで子供の理解や教育が深まるわけでもない。むしろその逆なのだ。言葉にすることで、みんながわかった気になって、すっかり安心して大事なことを忘れてしまうのである。僕も、沢山のことを言葉にして、沢山のことを失った。
「ラジオ」という名前があるから、それが何をする機械なのか、多くの人が理解しようとしない。名前がなければ、「電波を受信する装置」というふうに伝えるしかないから、理解は多少広まるだろう。では、電波とは何か? 受信とは何か? 装置とは何か? ほら、言葉を知っているだけで、理解していないのだ、大人たちは……。子供にものを教える人は、言葉を知らない方が良いとさえ思う。言葉がどれだけ薄っぺらいものか、早く気づいた方が良い。
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こういうことを書いているから、ときどき、教育関係の団体などから講演を依頼されるのだけれど、全部断ってきた。伝える手段は言葉しかないのだろうか? 絵や映像もあるけれど、程度の差があっても同じだ。結局は、実演しかないんだよね、つまり……、生きてみせるしか。
【図工】 僕は何を作ったか3
言い訳的あるいは後付け的方針はこのくらいにして、具体的に、作ったものを思い出して振り返ってみよう。そもそも、僕は自分が作り上げたものに、まったくといって良いほど未練がない。だから作品はほとんど残っていない。すぐに壊して、パーツを取り出し、次の工作に使ってしまうからだ。
小学校のときには、まえにも書いたが、庭にバンガローを造った。床面積は1畳である。そこで寝泊まりをした。あと、自転車2台で人力自動車を作ったこともある。動かすのが大変だった。1m50cmくらいのグライダも作ったし、80cmくらいのヘリコプタ(ゴム動力)も作った。それから、ロケットの実験もしたけれど、最後は火薬を作る材料を売ってもらえなくて頓挫した。ロボットも幾つか作った。全部リモコンだ。大したことはできなかった。まったくのオリジナルというものもあるが、多くは「子供の科学」や「模型とラジオ」などの雑誌で見たものが基本になっている。特に、電子工作については、回路が自分で設計できるようになったのは中学生になってからだった。
家にあったおもちゃや機械は片っ端から壊した。たとえば、ステレオを壊してしまった。中の部品を取るためだった。電化製品はすべて分解したと思う。モータの中まで分解した。真空管も、最初はガラスを割って中を見た。それくらい、知りたかった。今思うと、そういうことをさせてくれた環境があったわけで、この点は恵まれていた。
鉄道模型は、小学校4年生のときに一番安い機関車を買ってもらったけれど、これもすぐに壊して、自作の機関車に作り替えた。同じモータとギアで10台は作ったと思う。消しゴムは切り刻んでパーツにしてしまうから、すぐになくなった。身の回りにあるものは、すべて工作の材料だったのだ。
こんな工作少年は、当時は珍しくなかった。学校や近所の子供で、僕よりも凄い奴はいた。けっして自慢ができるレベルではない。ごく普通だったと思われる。少し違いがあるとしたら、大人になってもそのままだったところだろう。
2008年12月22日(月曜日)
【HR】 良い道具とブランド
午前中は雨。午後は上がったが、ずっと曇っていたようだ。庭掃除はしていない。
小説の執筆は午前中に半分、夜に半分。順調。もう300枚は越えたと思う。今日は、スーパと銀行の駐車場で、「スカイ〜」のゲラを7/8まで読めた。もう少しだ。
お昼頃にパスカルも一緒に車で出かけたが、すぐに戻った。そのあとは、工作をせず、機関車製作部のレポートを書いた。日本語の方はだいたいできた。メールのリプライもこのところ多い(もう1週間ほどの辛抱だが)。違うジャンルの作業なのに、ずっとキーボードを打ち続けているから、行動としては同じ。躰の同じ部分を使っているので疲れる。
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スバル氏が部屋の片づけをだいたい終えたようだ。ゴミも沢山出たけれど、部屋がまったく違って見える。広くなった。彼女に言わせると、「ダイソンがあったからやる気になった」そうだ。ダイソンのハンディ掃除機のことで、彼女はこれがお気に入りだ。珍しく褒め讃えている。ときどきこのように、道具が人間をやる気にさせることがある。その逆もあるけれど……。
著書の中でも書いたことだが、良い道具を持つことで、良い作品が生まれるわけではない。ただ、人間のやる気を鼓舞するだけだ。どんな素敵なキッチンに立っても、料理が上手くなるわけではない。料理をしたくなるだけだ。これは、コンピュータでもそうだし、ファッションでも同じである。僕が旋盤を買ったときもそうだ。
また、人間関係も一種の道具である。人間関係の成立によって、個人の能力が高まることはないが、やる気が出ることはある。もちろん、その逆もあるが。
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もう一つもスバル氏が話していたことから。「最近はブランドのバッグなんかレンタルがあるんだよ」という。人に見せびらかして、あとは返してお終い、という使い方らしい。スバル氏は、自分はそれでは満足できない、と言いたそうだった。
しかし、そもそも「ブランド品」というのは、その大部分が人に見せる価値なのではないか、と僕は思う。見せないものだったら、その品物の性能、意匠そのものの価値だけになるが、それにしてはあの値段は高すぎる。本来、職人さんが一人で一品だけ作ったものの方が量産品よりは価値がある。同じものが何個もある商品の方が高いのはおかしい。値段がみんなにわかっているから自慢ができる、その価値を金額と交換をしたという満足感なのだろう。
思うに、バッグの善し悪しを見る目がみんなにあれば、あんな値段では商売はできない。つまり、みんなが素人なのだ。こういったことは、たとえば模型の世界ではない。品の出来で値段はだいたい決まる。ブランドというものは存在しない。誰が作ろうが、どこが発売しようが、製品を観察すれば、価値はほぼ決まる。ブランドだけで、3倍も4倍もになることはないのである。これは、コンピュータでもそうだし、あらゆる道具で同じだと思われる。それにしては、ポルシェもフェラーリも高すぎるって? 僕はあれは、性能に見合った妥当な値段だと思うけれど……。もちろん例外はある。たとえば、芸術品だ。これだけはブランドかもしれない。バッグもそうなんだろうな、きっと。
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書店で雑誌を10冊ほど買ってきた。全部で1万円を超えた。半分は趣味のものだが、半分は初めて購入するもので、年末年始に読んで面白そうなことを探そうと思う。
それから、萩尾望都先生との対談の日程も決まった。天気が良ければ、弁天ヶ丘線にも乗ってもらえるかもしれない。この対談は3月に発行される「MLA13」に掲載される予定。お会いするのは3回めになるのかな(どきどき)。
【図工】 僕は何を作ったか2
子供の頃に作ったものはすべて、将来大人になったらこんなことをしよう、という大計画の第一歩だった。試作品といったのは、そういう意味だ。今は完全なものができなくても良い。いつかきっと完璧に作れる、そのための練習なのだ、という気持ちだった。実に40歳を過ぎても、その意識のままだった。最近になってようやく、果たしてその「将来」とはいつか、と考えるようになったのである。遅いだろうか?
子供のときに好きだったものから、多くの人は「卒業」していく。それはあらゆるジャンルで観察されることだ。たとえば、音楽でも文芸でも漫画でもゲームでも、子供の頃、若い頃に夢中になったものにいつしか厭きてしまい、もう見向きもしなくなる。それはそれで良いと僕は思う。ただ、他人の好みに対して「それは子供のすることだ」「若いときはみんなやったけどね」というものの言い方をする人がいる。あれはいかがと思うのだ。何故なら、厭きてしまった理由は、その人の問題であって、その対象の特性ではないからだ。
禅僧の座禅の話を以前に書いたが、本当に優れた感性というのは、いつも初心の輝きを持っている。いつまでも自分を新しく保てる。つまり、錆びつかない。若いままなのだ。人は、知ることで、それを得たと思い込む。でも多くの場合、それは「言葉」を知っただけだ。他者に「私はもうそれを経験した」と言えるだけのなのだ。
最初はニュース性があるから、みんなが振り返ってくれる。2回め以降になると、「まだやっているの?」という目で見られる。そういう目を気にして大人になっていくから「卒業」するのではないだろうか。
その意味では、僕はずっと子供だった。人の評価を気にせず、自分のやりたいことを続けてきたからだ。なににでも手を出して、なにもかも自分で作りたかった。不完全でも良いから、手がけたかった。
このままかもしれないけれど、ほんの少しずつでも、うまく作れるようになれたら良いな、と今でも思い続けている。
2008年12月21日(日曜日)
【HR】 常に楽しさを探して
晴れから曇り、夕方から小雨になった。少し寒々しい日曜日。
午前中に小説を執筆。まったく狂いなく予定どおりに進んでいる。今のところ、27日で書き上がる見込みだけれど、少々前後するかもしれない。一番新しいアンプをずっと鳴らしっぱなしにしているが、どんどん音が艶めかしくなってきた。これを聴きながら仕事をしているから調子が良いのかも。「スカイ〜」のゲラは、今日もスーパの駐車場で読んだ。5/8まで。ファン倶楽部から頼まれていた写真も3枚処理をして送った。仕事はどんどん片づく。
先月に翻訳の作業をしていたけれど、これはJane Fulton Suri著の「thoughtless acts?」という本だ。もう翻訳は終わって、来月に文章を推敲したら脱稿の予定(なるべく忘れるように時間をおいている)。ほとんど写真集のような本だ(ただし芸術作品ではない)。来年の6月発行のスケジュールで進めている。出版社は太田出版。
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一昨日スバル氏に買ってもらったドクタ・イエローの改造をした。最も大変なのは、プラスティックに四角い穴を開ける作業。これは昨夜遅くにやっておいた。今日は車輪を取り付ける金具を作った。連結器も作って、夕方に2両編成で走らせることができた。面白い。もう1両あるから3両編成にする予定だが、中間車両はちょっとした工作が必要なので、しばらく時間がかかるだろう。車輪も手持ちのものがなくなったので、なんとかしなければならない。
昨日の夜は、パスカルが珍しい場所で寝ていた。スバル氏が片づけて配置替えをしてできたスペースだ。家中どこへでも行けるパスカルは、自分の場所というものがない。いろいろなところで寝ている。1階にいるときもあるし、2階にいるときもある。ソファにも跳びのるし、ベッドにものる。でも、寝るのは床だ。自分からすすんで入ってこないのは、バスルームとガレージくらいである。
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楽しみを求めて生きていくのが人生だと思うけれど、その楽しみにもいろいろあるし、特に、時間をかけないと楽しめないものと、短い時間でぱっと楽しめるものに大別できる。だいたい、前者の方が楽しみは大きい。手っ取り早くその日で楽しめるものばかりしていると、(普通の感覚の人ならば)ときどき虚しくなる。もっと長いスパンの大きな楽しみを求めたくなるだろう。でも、途中で厭きてしまったり、最後まで行き着かないことが予想できる。ここが難しいところだ。
僕はどうしているかというと、だいたい気が短くて長続きしない飽き性だと自分を把握しているので、長く持続させるためには、適度に短い楽しみを挿入していく以外にない、と考えている。長いものをやりつつ、短いものも幾つか手を出す、という手法だ。どちらにしても、1つだけのことをする、というのは僕には合わない。
気がついてみると、小説もこの手法を使っていたようだ。長いものは書けない。でも、長い物語もやりたい。だから、短いものを書きつつ、それが繋がるようにした。鉄道模型がこんなに長続きしているのも、この遊びにはいろいろな要素があって、車両だけでなく、線路や施設や風景までも取り込むことができるからだ。機関車だけをひたすら作るモデラが、どちらかというとこの世界には多いと思うけれど、そういった一点集中の性能が僕にはない。
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毎日、今日の楽しみを探すし、この1週間の楽しみを考える。今月の楽しみ、今年の楽しみを常に持とうと努力している。仕事は、お金を稼ぐためにする行為ではあるけれど、お金がもらえるという楽しみだけでできるものではない。やはり、なんらかの(少しでも良いから)楽しみが見つかると楽になると思う。「探す」と書いたけれど、どちらかというと「作る」の方が近いだろうか。
【図工】 僕は何を作ったか1
こんなに工作が好きなのに、身の回りに作品がほとんど残っていない。いったい自分は何を作ったのだろう、と振り返ってみることにする。今日から連載だ。
思い出してみるに、どうも、常に僕は試作品しか作らない子供だった。とりあえず試してみる。うまくいく見込みがあるかどうか、それを知るのが第一目的で工作をしている。自分が想像した機能や性能が発揮されれば、それでお終い。その工作物の使命も終わるのだ。だから、そのあと長く使える(遊べる)ようなものを作ったことがない。人に見せられるような外見の整ったものを作ることが苦手である。そういう傾向がそもそもあったな、と回顧。
それでも、ときどき、他人の評価を得ようと少々背伸びをして製作したものもある。たとえば、夏休みの課題で学校へ持っていくようなものは、先生に見てもらうことがわかっているので、そういった意識が混在する。親に見てもらおう、褒めてもらおう、と考えて作ったものもあった。
ただ結局、他者の評価というのは、言葉だけのことで、理解ではない、ということに気づいてしまった。見てもらっても、彼らには作品に対する興味がないから、僕がした工夫がわからない。理解しようとしない。説明するのも面倒だ、と考えてしまう。理解してもらっても、特に嬉しいわけでもなく、技術が向上するわけでもない。だから、だんだん人に見せなくなっていったのだと思う。そのかわり、自分の評価はどんどん厳しくなっていくから、ちっとも自分で満足のいく作品ができない。そういう工作人生だった。

