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2005年03月04日

『さがしもの』-2

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撮影/角田光代

 クリスマスを待たずして、おばあちゃんは個室に移された。点滴の数が増え、酸素マスクをはめられた。それでも私はまだ、おばあちゃんが死んでしまうなんて信じられないでいた。病室では笑っている母は、家に帰ると毎日のように泣いた。おばあちゃんが個室に移されたのは、私が鉢植えを持っていったからだと言って泣いた。
 その年のクリスマスは冷え冷えとしていた。私が夏から楽しみにしている母のローストチキンは黒こげで食べられたものではなかったし、ケーキに至っては砂糖の量を間違えたのかまったく甘くなかった。クリスマスプレゼントのことはみんな忘れているようで、私は何ももらえなかった。
 そうして例の本も、私は見つけられずにいた。
 クリスマスプレゼントにできたらいいと思って、私はさらに遠出をして本屋めぐりをしていたのだが、そのなかの一軒で、年老いた店主が、たぶん絶版になっていると教えてくれた。昭和のはじめに活躍した画家の書いた、エッセイだということも教えてくれた。それで、それまで入ったこともなかった古本屋にも、足を踏み入れていたというのに。
 黒こげチキンの次の日、冬休みに入っていた私は朝早くから病院にいった。見つけられなかった本のかわりに、黒いくまのぬいぐるみを持っていった。
「おばあちゃん、ごめん、今古本屋さがしてる。かわりに、これ」
 おばあちゃんはずいぶん痩せてしまった腕でプレゼントの包装をとき、酸素マスクを片手ではずしてずけずけと言う。
「まったくあんたは子どもだね。ぬいぐるみなんかもらったってしょうがないよ」
 これにはさすがにかちんときて、個室なのをいいことに、私は怒鳴り散らした。
「おばあちゃん、わがまますぎるっ。ありがとうくらい言えないのっ。私だって毎日毎日本屋歩いてるんだから。古本屋だって、入りづらいのにがんばって入ってるんだから。古本屋に私みたいな若い子なんかいないのに、それでも入ってって、愛想の悪いおやじにメモ見せて、がんばってさがしてるんだからっ。それにっ、おかあさんにポインセチアのお礼だって言いなよっ」
 おばあちゃんは目玉をぱちくりさせて私を見ていたが、突然笑い出した。私の覚えているよりは数倍弱々しい笑いではあったけれど、それでもすごくおかしそうに笑った。
「あんたも言うときは言うんだねえ。なんだかみんな、やけにやさしいんだもん、調子くるってたの。美穂子なんかあたしが何か言うと目くじらたてて言い返してきたくせに、やけに素直になっちゃって」
 美穂子というのは私の母である。外した酸素マスクをあごにあてて、おばあちゃんは窓の外を見て、ちいさな声で言った。
「あたし、もうそろそろいくんだよ。それはそれでいいんだ。これだけ生きられればもう充分。けど気にくわないのは、みんな、美穂子も菜穂子も沙知穂も、人がかわったようにあたしにやさしくするってこと。ねえ、いがみあってたら最後の日まで人はいがみあってたほうがいいんだ、許せないところがあったら最後まで許すべきじゃないんだ、だってそれがその人とその人の関係だろう。相手が死のうが何しようが、むかつくことはむかつくって言ったほうがいいんだ」
 おばあちゃんはそう言って、酸素マスクを口にあてた。くまのぬいぐるみを、自分の隣に寝かせて、目を閉じた。くまと並んで眠るおばあちゃんは、おさない子どもみたいに見えた。

 おばあちゃんは、翌年になってから死んだ。眠るように死んだ。クリスマスからずっと隣に寝かせていたぬいぐるみは、おばあちゃんの棺のなかに入れられた。おばあちゃんといっしょに煙になって空にのぼっていった。
 そうして私は、ついに本を見つけることができなかったのだ。
 お通夜の夜も、告別式の日も、私は泣かなかった。おばあちゃんが死んでしまってさえ、死んだなんて信じられなかったのだ。親戚のだれかが、泣かない私を見て何か言っていたのは知っている。あんなに毎日病院にいっていたのに、涙ひとつこぼさないなんて、強い子だとかなんとか。
 私は強くなんかない。ただおばあちゃんが死んだことを信じていないだけだ。だって、私はまだあの本を見つけていないんだから。私が見つけなきゃ、死ぬに死にきれないっておばあちゃんは言っていたんだから。

 それで、その後も私はあの本をさがし続けた。学校が終わると、電車に乗って知らない町を目指して、降りたことのない駅で降りて本屋か古本屋をさがす。おかげでめっきり友達が少なくなってしまった。部活も入っていないし、放課後のおしゃべりにも加わらないから。けれど、さがすのをやめるわけにはいかなかった。
 本は見つからないまま、私は中学三年生に進学した。
 春の夜だった。私の部屋の窓からは、通りに植えられた桜がほんの少しだけ見える。街灯に照らされて、花びらは白くしんと動かない。受験勉強に飽きて夜の桜を見るともなく眺めていると、肩を叩かれた。びっくりしてふりむくと、おばあちゃんが立っているのでもっと驚いた。ぎょえ、と声を出してしまったくらいだ。
「ぎょえ、じゃないよまったく。本はどうなったのさ」
 おばあちゃんはあいかわらずの口調で言った。棺のなかで着ていた白い着物ではなくて、私がちいさいころによく着ていた、深緑の着物を着ていた。驚きのあまりなんにも言えない私をのぞきこんで、おばあちゃんはにやにやと笑う。
「言っただろ、見つけなければ化けて出るって。見つかったのかい」
 私は首を横にふった。おばあちゃんはため息をつき、私のベッドに腰掛けた。ベッドに腰掛ける幽霊。
「おばあちゃん、けど、なんでその本をそんなに一生懸命さがしているの」
 私は言った。
「なんでって、読みたいからさ。それだけだよ」
「おばあちゃん、幽霊になったらあちこち移動できるんでしょ、自分でさがしたらどうかな」
 ふつうに会話ができると、驚きも恐怖心もみるみるうちにしぼんだ。幽霊がこわいのはきっと知らない人だからだ。見知った人なら、幽霊だって妖怪だってこわくないものらしい。
「あのね、なんであたしが幽霊になってまで本屋にいって棚をのぞかなきゃなんないの。そういう七面倒なことは、生きている人間のやることだよ」
「そりゃそうかもしれないけど……」
 おばあちゃんはベッドに腰掛けて窓の外をじっと眺めていた。目線の先を追うと、街灯に照らされた桜があった。
「桜はいいねえ」しみじみと言う。
「おばあちゃん、あの、死ぬのこわかった?」
 私は思いきって訊いた。おばあちゃんは私を見、
「こわいもんか」と胸をはった。「死ぬのなんかこわくない。死ぬことを想像するのがこわいんだ。いつだってそうさ、できごとより、考えのほうが何倍もこわいんだ」
「じゃあさ、あの……」
 なおも質問を続けようとすると、おばあちゃんはすっと立ち上がった。
「あんまり無駄口叩いてると叱られるんだ。目をつけられたらあんたんとこにこられなくなる。本、くれぐれもよろしく頼んだよ。また様子見にくるから」
 そう言い残し、窓を開けて桟をよたよたとまたぐ。あっ、と思ったときにはおばあちゃんは消えていた。おばあちゃんの消えた窓の外、白い桜と、濃紺の夜空があった。(つづく)

投稿者 davinci : 00:00

『さがしもの』-3

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撮影/角田光代

 おばあちゃんの突然の訪問は、私が高校三年生になるまで続いた。高校の三年間は、本当にいろんなことがあった。
 クラスメイトを好きになった。
 告白をした。
 交際をはじめた。
 初キスをした。
 一カ月後、ふられた。
 亀山寛子という友達ができた(亀山寛子は本さがしをときどき手伝ってくれた)。
 受験生になった。
 進路を決めなきゃならなくなった。
 そしてこれが一番私にとって大きい事件だったのだが、父と母が別れた。
 高校三年生の夏休み、私と母は、それまで住んでいた家の近所のマンションに引っ越し、父は都内に引っ越していった。
 その、あまりにもさまざまなことが起こった三年間、私はずっと、おばあちゃんの言ったことを胸のなかでくりかえしていた。いつだってできごとより、考えのほうがこわい。本当にそうなような気がした。ふられることより、ふられるかもしれないと思うことのほうがこわかったし、実際に母との暮らしがはじまるより、父と母が別れたらどうなるんだろうと考えているときのほうが私はこわかった。できごとは、起こってしまえばそれはただのできごとなのだ。
 夏が去って、受験色に染まった二学期がはじまり、ゆっくりと秋になっていくころには、私は自分の毎日に追いつくのに必死で、例の本のことを半ば忘れていた。本をさがして知らない町にいくこともなくなっていた。亀山寛子と話すのは、受験のことばかりになった。
 深夜、静まり返った自分の部屋で受験勉強をしていて、そういえば、このところおばあちゃんがあらわれないと気がついた。おばあちゃんが最後にこの部屋にきたのはいつだったろう? 父が出ていくより前か、それとも母との暮らしがはじまってからか。そんなことも思い出せなかった。
 ひょっとして、おばあちゃんの幽霊は、本をさがせなかった私の罪悪感が見せた幻想だったのかもしれないと私は思った。あるいは、私はいつのまにか大人になってしまっていて、目に見えるものしか、もはや見ることはできないのかもしれない、とも思った。
 新しい年がまたやってきて、その冬の終わり、私は志望大学に合格した。おばあちゃんはあいかわらずあらわれず、私は本さがしをすることもなく、母も私も二人きりの暮らしに慣れはじめていた。おばあちゃんは記憶のなかにゆっくりと沈殿していった。
 大学三年生のときだった。ゼミのための教材をさがしに入った大学の近くの本屋で、ちいさく名前を呼ばれたような気がした。私は足を止め、ふりかえる。本屋のなかには数人の学生が棚を物色しているが、見知った顔はない。気のせいかと視線を戻しかけたとき、平積みにされた本の表紙が目に飛びこんできた。
 そこに記されたタイトルと著者名が、かつて私が何日も何日もさがし続けていたものだと気づくまで、数秒かかった。
「あっ」
 メモに書かれたおばあちゃんの字と、その書名が頭のなかでぴったり重なり合ったとき、私は思わず声を出していた。本を手にとる。まじまじと表紙を見る。
「幻のエッセイ、ついに復刊」と、帯にあった。奥付を見ると、親本の初版は昭和二十五年とある。それが今年になって復刊の運びとなったらしかった。
「これだよ」
 私は本を胸に抱いて顔を上げ、書店じゅうを見まわした。おばあちゃんがまたあらわれるのではないかと思ったのだ。今ごろ見つけだしたの。まったくあんたは愚図なんだから。そんな憎まれ口をききながら。
 けれど、午後の日がさしこむ本屋に幽霊はいなかった。あらわれる気配もなかった。まじめそうな学生がたくさんの本を抱えてレジに向かい、手をつないだカップルが新刊コーナーをのぞきこみ、奇抜な格好をした女子学生が芸術書の棚を眺めている。ガラス窓の外には、いつもと変わりない日常が陽にさらされて進行している。(つづく)

投稿者 davinci : 00:00

『さがしもの』-4(最終回)

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撮影/角田光代

 大学を卒業後、私は都内のちいさな本屋に就職した。世のなかはまだ景気のよさが名残のように漂っていて、就職は売り手市場だった。クラスメイトの多くは、大手の広告代理店や出版社に入社した。初任給がアルバイトとほとんど変わらない、名もない本屋に就職したのは私くらいだった。それでも私は決めていたのだ。本屋で働こうと。それも、さほど大きくない、お客さんの声が店員に届くような本屋で。
 もうすぐ私は三十歳になる。私の勤める本屋は、幾度かの経営不振を乗り切りつつも、なんとか経営を続けている。給料はあいかわらずアルバイトに毛の生えた程度だが、私は顧客サービス係の主任になった(名札には、ブック・コンシェルジェと店長が苦肉の末考え出したとんでもない肩書きがついている)。本をさがして来店するお客さんに、目的の本をさがしたり、とりよせたり、調べたり、関連本を見つけたりするのが、私の主な仕事である。
 書名と著者名、出版社をはっきり覚えて本屋にくる人は案外少ない。「結婚式のスピーチができるだけたくさんのっている挨拶集がほしい」なんてのはまだいいほうで、「犬が出てくる話で、最後はみんな抱き合って泣くような小説なんだけど」とか、「昔読んだんだけれど、雨や雪をワンピースに縫いこむ絵本をさがしている」とか、ときどきは、「十二歳のとき離れてしまった、現在二十歳の娘に本を送りたいので何か選んでほしい」なんて要望もある。その都度、私はコンピュータと人脈を駆使して、彼らがさがしている本を見つけだす。
 コンピュータ。そう、今はそんなものもあるのだ。書名と著者名を打ちこめば、それが絶版になっているかどうかもわかる。本屋としてはあまり喜ばしくないが、コンピュータで本を買うことだってできる。おばあちゃん、もう少し長生きしていれば、あなたがあんなにもさがしていた本を届けることができたかもしれないよ。ときどき、私はそんなことを思う。
 おばあちゃんがなぜあの本をさがしていたのか、私は知った気がしている。大学生のとき、復刻版を手にしてから、毎晩私はそれを読んだ。日本ではちっとも名が売れず、四十歳のときフランスに渡りようやく芽が出たものの、十年もせず亡くなってしまった画家の、それは日々雑記のような本だった。日本での日々、フランスでの日々。幼いころに見た光景、とうに亡くなった母親の面影、フランスで一番最初に食べた料理。
 このなかに、『定食屋の娘』という短いエッセイがある。太平洋戦争がはじまるずっと前の話らしい。著者の下宿のそばに、なんの変哲もない定食屋があって、そこが驚くほどまずい。まずいのだが、この店の、十八にもならない娘がときどき店に出て手伝っていることがある。著者は、この娘見たさにまずい定食屋に通うのである。
 もも色の頬、いつも濡れたような薄茶色の瞳、文句ありげにいつも尖らせている唇、髪の毛が少ないせいで針金みたいに細い三つ編み、ひまなとき彼女が何気なく歌っているちいさな鼻歌、気取りのない定食屋夫婦とのやりとり。
 画家の文章は、読んでいる私にくっきりとした光景を見せる。そうとは気づかず自らの若さをはじけるくらい内に秘めた娘、若さが見せる不思議な美しさと安心感。飾り気のない定食屋家族の、独特の温度。薄暗く静かな、これから起こるだろういっさいの悲惨も暗澹も、やんわりと、しかし頑として受けつけないような店の内部。何も損なうことなく永遠にそこにあり続けるような、一瞬の光景。そんなものが、見るものを釘付けにする絵画のように、私のなかに浮かび上がった。
 そうして私は思ったのだ。この定食屋の娘は、おばあちゃんに違いないと。おばあちゃんの両親は、父親が戦争で亡くなるまで実際定食屋を営んでいたらしい。戦後、おばあちゃんが警察官のもとに嫁いだのをきっかけに、おばあちゃんの母親は定食屋をたたみ、自宅で裁縫を教えていたと、いつか聞いたことがある。
 おばあちゃんは昭和二十五年に出たこのエッセイを、読んだことがあったのかなかったのかはわからない。読んで、自分のことが書かれていると気づいたかもしれないし、あるいはだれか他人から、そんな話を聞いたのかもしれない。どちらにしてもおばあちゃんは、病院のベッドに寝そべって、絵画のように切り取られた若き日の自分を見てみたかったに違いない。画家が活字で切り取った、永遠にそこにあり続ける十代の自分と、家族と家を。
 大学のそばの本屋で、私はその本を三冊買った。一冊は実家の仏壇に、一冊は本棚に、一冊はいつでも開けるよう机の上に置いてある。おばあちゃんの幽霊はあいかわらず影もかたちもあらわれないが、きっと、よくやったと言ってくれたと思う。天国があるなら天国で、ないならきっと桜の見える私のベッドに腰掛けて、長いこと待たされた本のページをくりかえし手繰っているだろうと思う。
 母は五年前に再婚した。父から連絡はないが、たぶん再婚して幸せに暮らしていると思う。私は幾度か恋をして、うまくいったりいかなかったりした。亀山寛子は三年前に結婚して、今は一児の母である。ときどき子連れで私のアパートに家出してくる。
 あいかわらず、いろんなことがある。かなしいこともうれしいことも。もうだめだ、と思うようなつらいことも。そんなとききまって私はおばあちゃんの言葉を思い出す。できごとより考えのほうがこわい。それで、できるだけ考えないようにする。目先のことをひとつずつ片づけていくようにする。そうすると、いつのまにかできごとは終わり、去って、記憶の底に沈殿している。
 今、私は都内のアパートに住んでいて、八時半に家を出る。三十分で職場につく。本屋の開店は十時だ。狭いロッカールームで制服に着替え、ブック・コンシェルジェという気恥ずかしいバッジを胸につけ、相談カウンター(ここにも「ブック・コンシェルジェ」の立て札が立っている)に座り、予約状況と取り寄せ状況をチェックする。問い合わせリストの上から順に電話をかけていく。そうこうしているうちに、十時になる。シャッターが自動で開き、ちらほらとお客さんが店内に足を踏み入れる。
 セーラー服を着た女の子が、おどおどした足取りで棚のあいだを移動しているのが目に入る。その子は手にした紙片と書棚を交互に見つめている。私は席を立ち、ゆっくりと女の子に近づく。
「何かおさがしですか? いっしょにさがしますよ」
 女の子はほっとした顔で私を見る。おずおずと紙切れを差しだす。聞いたことのない書名と著者名。出版社は書かれていない。
「だいじょうぶです、かならず見つけます。調べてみるので、少しお待ちくださいね」
 私は言って、紙片を手にカウンターへ向かう。きっと見つけられる、きっとあの子に届けられる、かげながら手伝ってよね。カウンターの椅子に座るとき、私はいつも、そっとおばあちゃんに話しかけている。(おわり)

投稿者 davinci : 00:00